王都編2-8 観劇
昼間の王立劇場は、夜公演ほど格式張ってはいない。親しい者同士で穏やかなひとときを過ごすには、うってつけの場所だった。
護衛騎士のオスカーが馬車の扉を開くと、先に降りたルシアンがエルナへ手を差し出す。
エルナがその手を取り、ルシアンとともに劇場内の貴賓室へ向かうと、そこにはすでに、シャルロットとジークが到着していた。
「エルナ様、今日は楽しみましょうね!!」
「はい」
にこやかに会話をする二人の隣で、ジークはルシアンへ小声で囁く。
「この前のこと、忘れていませんね」
「もちろんだ」
エルナに関わることを忘れるはずがない。
ルシアンがエルナへ視線を向けると、二人は人数分用意されているはずのパンフレットを並んで覗き込んでいた。
「恋愛劇ですわ!」
「派閥争いなのですね」
「侯爵が黒幕ですわ!」
「騎士様はご活躍されるのでしょうか」
早くも、シャルロットとエルナの注目する点は違っていた。
ルシアンもテーブルの上に置かれたパンフレットを手に取る。
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王立劇場公演案内
『冬薔薇の誓い』
―― 愛か、責務か。雪解けの日、真実は薔薇とともに咲く ――
『あらすじ』
アストリア公爵家の嫡男アルベルトは、幼き日に侯爵令嬢セシリアと婚約を結ぶ。
互いに誠実でありながら、公爵家を背負う者として、そして名門侯爵家の令嬢として、二人は「婚約者」という役割を果たすことを何より優先してきた。
しかし、王都では貴族たちの派閥争いが激しさを増し、陰謀は静かに二人の日常へ忍び寄る。
忠義か。責務か。それとも、誰にも明かしたことのない真実の想いか。
降り積もる雪の果てに、二人が選ぶ未来とは──。
※物語の結末は、ぜひ劇場にてお確かめください。
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あらすじの後には、登場人物紹介、見どころ、本日の配役、上演時間、そして王立劇場からの挨拶文が続いていた。
「……政治劇か」
ルシアンが小さく呟く。
その一言を聞いたジークは、思わず目を閉じた。
(違う。そこじゃない)
表紙に大きく記された「恋愛劇」の文字を見落とすはずもない。
それでも真っ先に派閥争いへ目が向くあたり、いかにもルシアンらしかった。
一方、エルナは目を輝かせてページをめくっている。
「このお二人、とてもお似合いです」
婚約者同士が支え合う姿に、素直な感想を漏らす。
「でしょう!」
シャルロットも嬉しそうに頷き、登場人物紹介の挿絵を指差した。
「でも、この騎士様も格好いいですわ。きっと最後に大活躍なさるのよ!」
「私もそう思います」
二人はすっかり物語の世界へ入り込んでいた。
その様子を横目に見ながら、ルシアンは見どころの欄へ視線を落とす。
『息もつかせぬ宮廷での頭脳戦』『緻密に張り巡らされた伏線』『終幕で明かされる黒幕の正体』
「なるほど」
納得したように頷く。
「……おい」
ジークが肩を落とした。
「恋愛劇って書いていますよね」
「そうだな。だが、派閥争いと陰謀が主軸なら、政治の描き方も重要だ」
「そこなんですよ……」
ジークは深いため息をつき、向かい側で楽しそうに笑い合う二人へ視線を向ける。
(せめて今日くらいは、恋愛のほうを見ろ)
そんな心の叫びは、当のルシアンには届かなかった。
開幕の時間が近づき、エルナたちは隣り合った二人用の貴賓席へ案内された。
「幕間にまたお話しましょうね!」
「はい」
シャルロットとジークに手を振り、エルナもルシアンと席へ着く。
やがて場内の灯りがゆっくりと落ち、静寂の中で幕が上がった。
◇ ◇ ◇
舞台は、雪に包まれた公爵家の庭園。
幼い婚約者同士が、冬薔薇の前で「また来年も一緒に見よう」と約束を交わす場面に、エルナは自然と頬を緩める。
「……可愛らしいですね」
「ああ」
思わず小さく呟くと、ルシアンも舞台から目を離さないまま返した。
物語は時を経て、主人公アルベルトが公爵家を支える青年となる。
王都では派閥争いが水面下で激化し、忠臣が密かに告げた。
『閣下。婚約者様の身辺にも、お気を付けください』
アルベルトは静かに頷いた。
『警護を増やせ。彼女には悟られるな』
その場面を見つめながら、ルシアンの視線がわずかに細くなる。
(判断は早い。だが護衛の配置が甘い)
(婚約者の動線も変えるべきだった)
舞台とは別に、頭の中では別の物語が進んでいた。
一方のエルナは、舞台上の二人の表情に心を寄せている。
(お互いを大切に思っているのに……)
(どうして、伝えられないのでしょう)
一方、隣の貴賓席では。
「アルベルト様は、真面目な方ですわね」
シャルロットが小声で呟く。
「そうだな」
ジークは微笑みながら答える。
「だが、少々回りくどい」
その言葉にシャルロットがくすりと笑ったところで、第一幕は幕を閉じた。
四人は先ほど集合した貴賓室で落ち合った。
「ここまででも十分素敵なお話ですわ!」
シャルロットは瞳を輝かせる。
「はい! 続きが気になります」
エルナも嬉しそうに頷いた。
「派閥争いがどう決着するのかも見どころだな」
「そうですね」
ルシアンの言葉に、エルナは感心したように頷く。
その隣で、ジークは紅茶を口に運びながら二人を眺めていた。
「……」
その視線に気付いたシャルロットは、首をかしげる。
「何ですの?」
「いや。楽しそうだと思って」
「もちろんですわ」
シャルロットが胸を張ると、ジークは意味ありげに微笑むだけだった。
エルナは後半への期待で胸がいっぱい。
シャルロットも結末が気になって仕方がなかった。
◇ ◇ ◇
第二幕。
陰謀は頂点を迎える。
政敵が婚約者セシリアを人質に取り、アルベルトへ迫る。
『婚約を破棄すれば、公爵家は助けてやろう』
場内に緊張が走る。
ルシアンは静かに舞台を見つめた。
(遅い)
(護衛が二人では足りない)
(あの場へ至る前に動くべきだった)
アルベルトが苦悩する姿を見ても、思考は自然と現実的な対策へ向かってしまう。
やがてアルベルトはセシリアを救い出し、雪の中で抱き寄せる。
『君を失うくらいなら、公爵の地位などいらない』
劇場中が静まり返った。
エルナは思わず息を呑む。
(お二人とも……本当によかったですね)
その瞳に、じわりと涙が浮かんだ。
ふと隣を見ると、ルシアンはその横顔に気づく。
(……泣いている)
胸が締めつけられるような、不思議な感覚。
どうしたのだろう。体調でも悪いのだろうか。
思わず声を掛けそうになった、その時。
舞台では大きな拍手が巻き起こった。
ルシアンは再び正面へ視線を戻した。
(終わったら聞こう)
一方、隣の貴賓席では。
そっと、シャルロットの右手が包まれる。
「……!」
驚いて隣を見ると、ジークは舞台へ視線を向けたまま、小さく口を開いた。
「主人公は、地位を捨てると言いましたが……」
シャルロットの鼓動が早まる。
「私は」
一瞬だけ視線が合う。
「あなたも、公爵家も守ります」
シャルロットは息を止めた。
重ねられた手から、じんわりと温もりが伝わってくる。
(ジーク様……)
頬が熱い。
それでも舞台から目を離せず、小さく握り返すことしかできなかった。
収まることのない拍手の中、ゆっくりと幕が下りる。
長いようで短かった婚約者たちの物語は、こうして幕を閉じた。
貴賓室へ戻ったエルナは、パンフレットに描かれた主人公と婚約者の挿絵を嬉しそうに眺めている。
その隣では、シャルロットがパンフレットで顔を半分隠したまま、まだ頬を赤く染めていた。
四人がティーテーブルへ着席すると、劇場の給仕が紅茶を淹れ、三段のスタンドへ菓子を並べていく。
静かに一礼して退室すると、部屋には四人だけが残された。
ルシアンはレオンハルトたちの助言を思い返し、エルナへ視線を向ける。
「……楽しかったか?」
「はい。とても素敵なお話でした」
「そうか」
短く頷く。
(よし)
向かいではジークが、胸をなで下ろしていた。
第一関門は突破だ。
「シャールは、どの場面がお気に召しましたか?」
「私は……最後の、告白が……」
次第に声は小さくなり、最後まで言えずに紅茶へ逃げる。
「私も、あの場面は印象に残りました」
穏やかに微笑むジークを見て、シャルロットはますます俯いてしまった。
その様子を微笑ましく眺めていたルシアンは、今度はエルナへ問いかける。
「……エルナは?」
「アルベルト様が囮となって、騎士様がセシリア様を助けに向かう場面です」
瞳を輝かせながら続ける。
「とても、どきどきしました」
「確かに、あの騎士の配置は悪くなかった」
「ですが、中盤のセシリア様の護衛は、もう少し増やしても良かった気がします」
「それは同意見だ。あの時点で動線も変更すべきだった」
「そうなのですね」
いつの間にか二人の話題は、どうすれば誘拐を防げたのか。
どうすれば派閥争いそのものを未然に防げたのか。
すっかり現実的な議論へ変わっていた。
(始まってしまいましたか……)
ジークは心の中でため息をつく。
「ルシアン。派閥争いも誘拐も、物語を進めるための演出ですよ」
その一言で、ルシアンははっと我に返った。
「……そうだったな」
少し考え込んだあと、ルシアンは真っ直ぐエルナを見つめる。
「私なら、そもそも危険な目には遭わせない」
「さすがはルシアン様です」
嬉しそうに笑うエルナ。
(惜しい……!)
ジークは思わず額へ手を当てた。
そこは「お前は私が守る」でしょう。
そう言えたなら、どれほど良かったか。
その隣では、シャルロットがまだ頬を赤くしたまま、小さく菓子を口へ運んでいた。
◇ ◇ ◇
後日、いつものお茶会。
「観劇はいかがでしたか?」
エリーゼの問いに、エルナは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「とても素敵なお話でした」
一方、その隣では。
「シャール?」
「……」
シャルロットは何も答えられず、みるみる頬を赤く染めていく。
「まあ」
「ふふっ」
オリヴィアとクレアは思わず顔を見合わせた。
あの場にいなかった三人だったが、何があったのか想像するのは難しくなかった。
◇ ◇ ◇
その日の午後。
「観劇はどうだった?」
レオンハルトに尋ねられたルシアンは、観劇の内容とエルナの感想を簡潔に報告した。
「なるほど」
話を聞き終えたレオンハルトは、小さくため息をつくと、どこか憐れむような目でルシアンを見た。
「……?」
理由の分からないルシアンは、不思議そうに首を傾げるばかりだった。




