王都編2-1 辺境伯家の再会
王都、ヴァレリオン公爵邸。
社交シーズンが間近に迫った今日は、ノルドガルド辺境伯家がエルナを迎えに来る日だった。
玄関ホールで窓の外を眺めていたエルナのもとへ、公爵夫人が静かに歩み寄る。
「少しの間、お別れね」
「奥様……」
公爵邸へ戻ってからというもの、エルナは夫人と行動を共にすることがほとんどだった。
新しく仕える侍女や使用人、騎士たちへの挨拶。公爵邸付きへ異動となったオスカーとの再会。
淑女教育の復習に加え、今年の社交界の情勢、有力貴族の動向や夜会の日程の確認。
夜になればルシアンたちと食卓を囲み、それぞれの一日を語り合う。
慌ただしくも充実した日々は、瞬く間に過ぎ去っていった。
しばらくエルナを見つめていた夫人は、一度静かに瞬きをすると、その瞳に凛とした厳しさを宿した。
「辺境伯家へ戻っても、あなたは私の後継です」
「はい」
「皆があなたを通して、公爵家を見ることでしょう」
社交界へ出たばかりの雛だった少女は、もういない。
「心しておきなさい」
「はい、奥様」
畏まって頭を下げるエルナを見つめ、夫人の眼差しがふっと和らぐ。
「辺境伯家の皆さんが帰ったら、またいらっしゃい」
「ありがとうございます」
穏やかな笑みを浮かべる夫人に、エルナも嬉しそうに微笑み返した。
ほどなくして、公爵邸の前にノルドガルド辺境伯家の馬車が到着した。
ノルドガルド辺境伯家の一行が大広間へ姿を現すと、公爵邸は瞬く間に活気に包まれた。
「ビョルン!」
「アレクシウス!!」
再会を喜ぶように、公爵と辺境伯は固く抱擁を交わす。
「お土産にベリーのジャムを持ってきました」
「あなた、いつもそれねぇ」
「お好きでしょう」
「……ええ」
扇の向こうで微笑む公爵夫人に、辺境伯夫人も穏やかに目を細めた。
そして。
「会いたかったぞ、エルナ!!」
「元気にしていたかしら?」
「お兄様! お義姉様!」
エルナは長男夫婦のもとへ駆け寄り、いつものように抱擁を交わした。
「ルカは、お祖父様とスヴェンお兄様とお留守番ですか?」
「ああ。今ごろ、お祖父様が木剣を持たせているだろうな」
「まあ、お祖父様らしいですわ」
兄妹が笑い合う様子を見て、ルシアンの口元にも自然と笑みが浮かんだ。
「今年はどこも雪害があったと聞くが、北部はどうだった?」
日頃は寡黙な公爵が、珍しく上機嫌で辺境伯へ問いかける。
「北は雪と共に生きる土地だ。あの程度、どうということはない。そちらは膝ほど積もっただけで大騒ぎしていたのだろう?」
「よく分かったな。まあ、息子が対応してくれたが」
辺境伯の視線がルシアンへ向く。
ルシアンは静かに一礼した。
「……左腕か」
「さすがですね」
わずか一言で見抜かれ、ルシアンは少しだけ目を見開く。
「身体の使い方を見れば分かる。無意識に庇っているぞ」
医師からは左腕を使うなと言い渡されていた。それでも普段通り政務をこなした結果、傷の治りは思うように進んでいなかった。
「踊れるのか?」
「もちろんです」
「無理はするなよ」
「承知しております」
満足そうに頷いた辺境伯へ、公爵が待っていたように声を掛ける。
「ビョルン。遊戯室でチェスでもやろうじゃないか」
「構わんが……今年こそ勝てるとでも?」
「去年は私の勝ちだったはずだ」
「一昨年も、その前も勝ったのは私だ」
穏やかな笑みを浮かべたまま火花を散らす二人は、「今年こそは」と言い合いながら遊戯室へ向かっていく。
その背中を見送り、公爵夫人は小さく肩をすくめた。
「大人げないこと」
「たまにはよろしいではありませんか」
「では私たちは、サロンでお茶にしましょう」
笑みを交わした二人も連れ立って大広間を後にする。
広い大広間には、エルナたち四人だけが残った。
「……私たちも談話室へ参りましょうか」
エルナがそう言うと、ヒルダの瞳がぱっと輝く。
「公爵領でのお話、たくさん聞かせてちょうだい。もちろん、ルシアン殿もご一緒ですよね?」
「もちろんです」
談話室へ向かう途中から、エルナとヒルダは早くも話に花を咲かせ始めた。
その賑やかな後ろ姿を眺め、ルシアンが小さく笑う。
「……相変わらずだな」
「だろう?」
アルヴィンも苦笑しながら大きく頷いた。
「会うたびに、ああして話が尽きないんだ」
◇ ◇ ◇
公爵邸を後にした辺境伯家の馬車は、王都の街並みをゆっくりと進んでいた。
先ほどまでの賑わいが嘘のように、車内には静かな空気が流れる。
「少しは何かあるかと、期待していたのに……」
向かいの席で、ヒルダがため息混じりに呟く。
公爵領での出来事を尋ねれば、返ってくるのは、公爵夫人との視察で学んだこと、公爵領の領民のこと、婚約者の仕事ぶりばかり。
本当に、夫人教育のためだけに滞在していたような話しか出てこなかった。
「距離が近すぎるのも、良くないのねぇ」
「昔から『お兄様』と慕っていたからな」
アルヴィンは苦笑しながら答える。
エルナが目を輝かせて思い出話をする傍ら、ルシアンは終始、愛おしそうにその横顔を見つめていた。
それなのに、当の本人はその視線の意味にまるで気付いていない。
「……でも、何か違う気がするのよね」
ヒルダは小さく首を傾げた。
雪害で領民を助けたという話。辺境伯が一目で見抜いたルシアンの怪我。
あの二つには、何か繋がりがあるような気がする。
だが、今はまだ分からない。
分からないことを、いくら考えても仕方がない。
「ねぇ、あの二人……好きとか愛してるとか、一度でも言ったことあるのかしら」
アルヴィンは少し考え込み、
「……ないな」
と短く答える。
「ないわよねぇ」
二人は顔を見合わせ、揃って肩をすくめた。




