公爵領編-2 城下町
翌朝。
ルシアンが城下町を案内してくれるというので、エルナは身支度を整え、エントランスホールへやって来た。
「お待たせいたしました」
ソファに腰掛け、書類に目を通していたルシアンが顔を上げる。
「書類の確認をしていただけだ。気にすることはない」
その傍らには、見知らぬ男性が二人控えていた。
従者とも騎士とも違う装いに、エルナは小さく首を傾げる。
「ルシアン様、そちらの方々は?」
「秘書官と書記官だ」
紹介されると、二人は揃って一歩前へ出て、丁寧に一礼した。
「少し確認したいことがあるから、一緒に来てもらう」
てっきり世話役や護衛だけが同行するものと思っていた。
だが、次期公爵ともなれば、城下町を歩く間も執務から完全に離れることはできないのだろう。
(大変ですのね……)
辺境伯である父も忙しかったが、領内を視察するときは、もっと気軽なものだった。
公爵家ともなれば、やはり違う。
秘書官と書記官へ挨拶を済ませると、ルシアンが立ち上がった。
「行こうか」
「はい」
エルナも笑顔で頷き、その後に続いた。
城下町へ繰り出したエルナ達が最初に向かったのは、城前広場からまっすぐ延びる目抜き通りだった。
王都にも支店を構える商会や老舗菓子店、高級宿、王家御用達の仕立て屋や宝飾店、人気のレストランや喫茶店――。
王国中に名を知られる店や、公爵領へ来たならば一度は訪れたい名店が軒を連ねている。
「そのドレスはこの店で仕立てさせた」
「宝飾ならこちらだ。細工が見事で、王家の方々にも好評だ」
「この菓子店は王都にも店を構えているが、公爵領でしか扱っていない菓子が名物なんだ」
「さすがは公爵領ですわね……」
エルナは思わず感嘆の息を漏らした。
公爵家の居城のことはよく覚えている。
けれど、幼い頃に歩いた城下町の記憶は、おぼろげにしか残っていなかった。
(そういえば、一度は公爵領へ行ってみたいと仰る方が、よくいらっしゃいましたね)
磨き上げられた石畳に、華やかな店々。
きらびやかな目抜き通りは、まさに公爵領の顔だった。
飾り窓に並ぶ宝飾品へ目を奪われていると、不意に一人の男性がルシアンへ声を掛けた。
「ルシアン様、いらしていたのですね。……もしや、そちらはエルナ様ですか?」
上質な衣服に身を包んだ壮齢の男性が、丁寧に一礼してから穏やかに微笑む。
だが、エルナには見覚えがなかった。
「ごめんなさい。どなた様でしょう?」
「エルナ、こちらはこの店の商会長だ」
「これは失礼いたしました、商会長様」
慌てて頭を下げると、商会長は朗らかに笑った。
「お気になさらず。あの頃のエルナ様は、まだこんなに小さなお嬢様でしたから。覚えておられなくても当然です」
そう言って腰の辺りに手をかざし、幼い頃の背丈を示す。
エルナも思わず照れ笑いを浮かべた。
しかし商会長はすぐに表情を引き締め、ルシアンへ向き直る。
「ところでルシアン様、流通の件で少々ご相談がありまして」
「ああ。こちらからも聞きに行こうと思っていた」
二人はその場で話し始める。
仕事の話だと分かったエルナは、邪魔にならないようそっと隣の店へ足を向けた。
そこはレース専門店だった。
繊細なレースのハンカチやリボンが並び、模様一つひとつに職人の技が光っている。
(とても綺麗です……)
品物を眺めながらも、ときおり視線はルシアンへ向く。
商会長の話に真剣に耳を傾け、時折うなずく姿は、屋敷で見る穏やかな表情とはまた違って見えた。
しばらくして話が終わる。
「すまない。待たせてしまった」
「色んなお店を見られて、とても楽しいです」
そう答えると、ルシアンは少しだけ表情を和らげた。
「市場の方へも行こう」
「はい」
再び歩き始める。
だが、今度は別の商人に呼び止められ、さらに少し進めば職人から声が掛かる。
そのたびに秘書官は手帳を開き、書記官は素早く書き留め、慣れた様子で動き回っていた。
(皆様、本当にルシアン様を頼りになさっているのですね……)
領民から寄せられる信頼が、その光景だけで伝わってくる。
けれど、そのぶん二人だけで歩ける時間は、思っていたよりずっと少なかった。
気付けば昼を知らせる鐘が響く。
市場へ着く前に昼食の時間となり、一行は一度城へ戻ることになった。
(午後は……もう少し一緒に、市場を歩けるでしょうか)
そんな小さな願いを胸に、エルナはルシアンの隣を歩いた。
昼食の席では、公爵夫妻も加わり、四人で食卓を囲んでいた。
「城下町はいかがでした?」
公爵夫人が穏やかに尋ねると、エルナは嬉しそうに頷いた。
「とても賑やかで素敵でした。王都にもあるお店がたくさんあって、見ているだけでも楽しかったです」
「それはよかった」
公爵が満足そうに頷く。
「それに、商人の皆様や職人の方々が、次々とルシアン様へお声を掛けていらして」
その言葉に、ルシアンの手がわずかに止まった。
「皆様、本当にルシアン様を頼りになさっているのですね」
無邪気な笑顔でそう言われ、ルシアンは何とも言えない表情になる。
本当なら今日は、エルナとゆっくり城下町を歩くつもりだった。
まさか、あれほど次々と呼び止められるとは思っていなかったのである。
「そうだったのか」
公爵は少し意外そうに息子を見た。
「秘書官と書記官まで連れて歩いていたとは思わなかった」
「確認しておきたい案件がいくつかありましたので」
短く答えるルシアン。
公爵は「なるほど」と頷いたが、公爵夫人はどこか納得したように微笑んだ。
「ルシアンは、どんなに忙しくても領民のお話をきちんと聞くでしょう?」
「……当然です」
「だから皆様も、お見かけすると話したくなるのでしょうね」
言われてみれば、その通りだった。
困り事があれば足を止めて耳を傾ける。
改善できることはその場で指示を出し、難しいことも持ち帰って検討する。
それを繰り返してきたからこそ、商人も職人も、迷わずルシアンへ声を掛けるのだ。
「素敵なことですわ」
エルナは心からそう思った。
その笑顔を見たルシアンは、小さく息をつく。
褒められて嬉しくないわけではない。
だが、今日ばかりは少し事情が違った。
(……午後は、もう少し一緒に歩けるといいのだが)
そんな願いを胸の内にしまい込みながら、静かに昼食を口へ運んだ。
市場へ着くと、ルシアンは迷うことなく市場長のもとへ向かった。
「市場長、少し時間をもらえるか」
「もちろんです、ルシアン様」
市場長はすぐに仕事の手を止める。
午前中とは違い、秘書官も書記官も手帳を開き、準備万端だった。
「早雪の影響で、熊や狼の被害が増え、市場への出荷量が減っていると聞いたが?」
「実は……」
市場長は近頃の状況を詳しく話し始める。
どの地区で被害が多いのか。どれほど出荷が落ち込んでいるのか。足りない物資は何か。
秘書官は必要な指示を書き留め、書記官も素早く記録していく。
一方のエルナは少し離れた場所で静かに待っていた。
(お仕事ですものね)
午前中のこともあって、邪魔にならないよう心得ている。
ほどなく話は終わった。
「ありがとう。助かった」
ルシアンは秘書官と書記官へ向き直る。
「二人は先に城へ戻ってくれ」
「よろしいのですか?」
秘書官が尋ねる。
「聞きたいことは聞けた。元々午後は空けていたからな」
二人は一礼すると城へ戻っていった。
その姿を見送りながら、エルナは少し気になって尋ねる。
「本当によろしかったのですか?」
「問題ない」
短く答えたルシアンは、ふっと肩の力を抜いた。
(さて……)
ようやく二人だけになれた。
どこか落ち着いて話せる店へ案内しようか。それとも、静かな通りを歩こうか。
そんなことを考えていた矢先だった。
「エルナ様じゃないかい!」
八百屋の女将が大きく手を振る。
「大きくなったねぇ!!」
「お久しぶりです」
「干しリンゴのお菓子があるんだ。持っておいき。昔、よく食べてただろう?」
「覚えていてくださったのですか?」
「当たり前じゃないか」
嬉しそうに包みを受け取るエルナ。
その様子を見ていた周囲の店主たちも次々に声を掛け始めた。
「ルシアン様!」
魚屋の主人が頭を下げる。
「親父さんが怪我したと聞いたが?」
「屋根の雪下ろし中に落ちたんです。止めたんですけど、雪が溶けなくて気になったみたいで」
「腰縄は付けなかったのか?」
「積もるほど降らないから、ついうっかりで」
ルシアンは静かに頷いた。
エルナは思わず目を丸くする。
(そうなのですね……)
辺境伯領なら、その程度では雪下ろしもしない。 だが、この地方では例年よりずっと多い雪なのだ。
土地が違えば、当たり前も違う。そんな発見が新鮮だった。
さらに歩き出すと、今度は子どもたちが駆け寄ってきた。
「ルシアン様ー!」
「肩車してー!」
「王子様と王女様のお話聞かせて!」
「えー! この前の劇の続きがいい!」
「順番だ」
苦笑しながら、一人を軽々と肩車するルシアン。
「お姉ちゃん誰?」
男の子がエルナを見上げる。
すると、慌てて母親らしい女性が頭を下げた。
「こら! 未来の若奥様だよ。息子が失礼いたしました」
「いえ」
エルナはしゃがみ込み、男の子と目線を合わせる。
「子どもたちは知りませんよね」
にこりと笑みを浮かべた。
「これからよろしくお願いしますね」
そう言うと、男の子はぽかんと見つめたまま動かなくなった。
「……?」
首を傾げるエルナ。
「ほら、お返事!」
母親に促され、男の子は真っ赤になって頷いた。
その様子を見たルシアンは、ほんの少しだけ眉を寄せる。
(……見惚れなくてもいいだろう)
もちろん口には出さない。
エルナは辺境伯領でも、市場の人々と親しく話していると聞く。
だからこの賑やかさも、少しも苦ではないのだろう。
むしろ楽しそうに笑っている。
そんな笑顔を見られるのは嬉しい。
嬉しい、のだが――。
(結局、ゆっくり話せなかったな……)
肩車をせがまれる子どもたちに囲まれながら、ルシアンは誰にも気付かれないほど小さく息をついた。




