王都編1-23 別れ
辺境伯領へ帰る日の朝。
長かった王都での滞在も、今日で終わりを迎える。
荷物はすでに馬車へ積み込まれ、出発の準備も整っていた。
屋敷の前には、見送りの人々が並んでいる。
エルナは公爵夫妻へ深く頭を下げた。
「お世話になりました」
「領地では、ゆっくり過ごすといい」
公爵が頷き、公爵夫人は優しく微笑んだ。
「すっかり、一人前の淑女になりましたわね」
「ありがとうございます」
公爵夫人に認めてもらえたことが嬉しくて、エルナの顔に笑みが溢れる。
その様子を見ていた辺境伯夫人が、くすりと笑った。
「お祖父様たちが寂しがっていますから、そろそろ行きますよ」
「はい。帰ったら、たくさんお話をしないとですね」
王都での出来事を伝えたい人は大勢いる。
祖父母に、父に、兄に、義姉。
誰に何を話そうかと考えるだけで、エルナは楽しみだった。
そんなエルナを見つめ、公爵夫人は穏やかに目を細める。
「それで、いいのですよ」
「え?」
「結婚したら、家族と離れるのですもの」
優しい声音だった。
「今は、たくさん甘えていらっしゃいな」
「はい!」
エルナは素直に頷いた。
一方で――。
その言葉を聞いたルシアンの表情が、ほんの僅かに固くなった。
結婚したら、家族と離れる。
当然の話だ。何一つ、間違っていない。
それなのに、胸の奥へ重たいものが沈んだ。
せっかく王都で共に過ごした時間も、今日で終わる。
少しくらいは、自分との別れを惜しんでくれるのではないか。
そんな淡い期待が、どこかにあったのかもしれない。
けれど、エルナは辺境伯領へ帰ることを心から楽しみにしている。
その笑顔を見れば、それで十分だった。
公爵夫人はそんな息子を横目で見て、小さくため息を飲み込んだ。
エルナはルシアンへ向き直った。
「お土産、たくさんありがとうございます。家族も喜びます」
「大したことではない」
「ルシアン様のおかげで、素敵なデビュタントでした」
「それはよかった」
短い返事。
いつもと変わらない、落ち着いた声。
けれど、その場にいる大人たちは気づいていた。
――普段以上に、言葉が少ないことに。
「着いたらすぐに、お手紙を書きますね」
その瞬間だけ、ルシアンの表情がわずかに和らいだ。
「そうしてくれ」
本当は、毎日でも欲しい。
そんな本音が滲んでいることに気づいているのは、本人以外の者たちだけだった。
「またお会いしましょう」
エルナが笑う。
その言葉に、ルシアンは一瞬だけ言葉を失った。
「…………そうだな」
ようやく返ってきたのは、それだけだった。
その沈黙の意味を理解した者は、何人もいる。
「あらあら」
辺境伯夫人が、楽しそうに微笑んだ。
「仲良しさんねぇ」
「はい」
笑い合う辺境伯夫人とエルナを、ルシアンはただ静かに見つめている。
公爵夫人は、今度こそ小さくため息をついた。
(まったく……)
仲良しなのは、知っている。
問題は、その先なのだ。
寂しいとか。気をつけて帰れとか。君がいないとつまらないとか。
婚約者らしい一言くらい、言えないのかしら。この息子は。
けれど、辺境伯領で待つ家族のことを考えているエルナに、ルシアンの気持ちは届かない。
そして、エルナのことで頭がいっぱいになっているルシアンにも、公爵夫人の期待は届かなかった。
やがて、辺境伯家の馬車がゆっくりと動き始める。
次に会えるのは、来春。
その姿が見えなくなるまで、ルシアンはただ黙って馬車を見送っていた。




