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王都編1-1婚約者

 王都のノルドガルド辺境伯邸。


 談話室へ通されたルシアンは、ソファに腰掛け、紅茶を口にすることで逸る気持ちを落ち着かせていた。


 彼女が来るまで、それほど時間はかからないはずだ。


 やがて、小さなノックの音が響く。


 ルシアンがティーカップを置いて立ち上がるのと同時に、扉が開いた。


「お久しぶりですわ、お兄様!」


 弾んだ声とともに、一人の少女が侍女を伴って駆け寄ってくる。


 背中まで伸びた、毛先に柔らかな癖のある栗色の髪。ルシアンを見つけて輝く茶色の瞳。


 親しみやすい顔立ちに咲いた笑顔は、春の日差しのように明るかった。


 エルナ・ノルドガルド。


 ノルドガルド辺境伯家待望の末娘であり、ルシアンの婚約者だ。


「久しぶりだな、エルナ」


 あと一歩。


 抱きつこうとしたエルナは、はっとしたように足を止めた。


 そのまま一瞬だけ逡巡し、小さく息を吐く。


 ルシアンが不思議そうに首を傾げると、エルナは照れくさそうに笑い、そのまま彼の隣へ腰を下ろした。


「いいのか?」


「もう子どもではありませんもの」


 その一言で、すべてを察する。


 社交デビューを控えた令嬢として、幼い頃のように飛びつくわけにはいかないのだろう。


 どこか大人びた横顔に、ルシアンは自然と目を細めた。


 昨年の社交シーズンも、彼女は両親とともに王都で過ごしていた。しかし、母による淑女教育や互いの予定が重なり、思うように会うことはできなかった。


 今年も母による淑女教育の総仕上げが始まれば、デビュタントの舞踏会までは、ゆっくり話せる時間も少なくなるだろう。


 だからこそ、その前にどうしても会っておきたかった。


「長旅で疲れただろう。昨日の夜はよく眠れたか?」


「ぐっすりですわ。それに、スヴェンお兄様が遠征や騎士団の皆様のお話をしてくださって、とても楽しかったです」


 スヴェンはエルナの二番目の兄だ。


「アルヴィン殿は、ヒルダ殿とともに領地に?」


「はい。もうすぐ赤ちゃんが生まれますので、今回は特別にお留守番です」


 出産は何が起こるか分からない。


 夫がそばにいるだけでも心強いだろう。


 辺境伯位は譲っているとはいえ、初代辺境伯も健在だ。万が一の際は、孫嫁や曾孫を守ってくれるはずである。


 長男夫妻を領地へ残した辺境伯家らしい采配に、ルシアンは納得した。


「公爵様と奥様はお元気ですか?」


「ああ。父上は会議で、母上は茶会だ。後日、挨拶に伺うと言っていた」


 両親もまた、公務や社交で忙しい毎日を送っている。


 エルナが昨日王都へ到着したと聞き、今日一緒に来られないことを二人とも残念がっていた。


「母上が、淑女教育の最終確認の際に、デビュタントのドレスも最終調整すると言っていた」


 エルナのデビュタントドレスは、公爵家が誂えている。


 ルシアンも何度も職人のもとへ足を運び、生地や装飾の相談を重ねてきた。


 彼女に似合う一着になると信じて疑わなかった。


「お兄様が贈ってくださるドレスは、どれも素敵ですもの。デビュタントのドレスも、とても楽しみです」


 エルナが身にまとっている淡い空色のドレスも、昨日の到着を聞いて届けさせたものだった。


 すぐに袖を通してくれたらしい。


 柔らかな空色は栗色の髪によく映え、とてもよく似合っている。


 それだけで贈った甲斐があった。


「靴はどうだった? 痛くはないか?」


「いつものように、ぴったりですわ」


 普段着や外出用のドレスに、手袋や靴、羽織。


 加えて今回は、夜会用のドレスや宝飾品まで揃えていた。


 サイズは事前に辺境伯家へ確認を取っているとはいえ、実際に身につけるまでは安心できない。


 ふと、エルナが首を傾げる。


「今回は、いつもより多くありませんか?」


「シーズンが終わるまで王都に滞在するのだろう。夏物も必要になると思ってな」


 辺境伯領は北部蛮族から国を守る最前線だ。


 毎年、祖父と兄弟のどちらかが領地を預かるため、一家全員で王都に滞在できるのは一、二か月ほどに限られていた。


 だが今年はエルナのデビュタントがある。


 辺境伯夫人とともに、社交シーズンの終わりまで王都で過ごす予定だった。


「どれも必要なものだ。――衣装箪笥が足りないなら、すぐに手配しよう」


「いえ、まだ空きはありますので大丈夫で

す。でも、お母様も驚いておりました」


「大したことではない」


 婚約者に、不自由な思いは何一つさせたくない。


 王都から遠く離れた辺境伯領では、流行が届くのも遅い。


 社交界では装い一つがその家の格を示すこともある。


 だからこそ、王都に滞在する間くらいは、何一つ不足のないよう整えておく。


 それだけのことだった。


「菓子も紅茶も、好きな時に楽しむといい」


 昨年、美味しいと喜んでいた菓子から、この冬に王都で話題となった新作の菓子まで。


 エルナの好みの茶葉とともに、服飾品に合わせて昨日届けさせていた。


「お菓子もお茶もいただきますけれど、このくらいなら私だって買いに行けますわ」


 少しだけ口を尖らせるエルナに、ルシアンは小さく笑う。


「流行の菓子は先に味を知っておいた方がいい。茶会や夜会で話題に上がることもあるからな」


「なるほど……。さすがお兄様です!」


 尊敬の眼差しを向けられ、ルシアンは思わず頬を緩めた。


 その後は互いの領地での出来事や、これから始まる社交シーズンの話で花が咲いた。


 別れてから一年。


 思うように会えなかった時間を埋めるように語り合っていると、ひとときは驚くほどあっという間に過ぎていった。





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