王都編1-16 恋路
王宮にあるルシアンの執務室には、今日も招いていない客人が訪れていた。
「一時期はどうなることかと思ったが、エルナ嬢もすっかり社交に慣れてきたな」
レオンハルトがそう言うと、隣に立つジークも小さく頷いた。
「変な噂もありますけどね」
白い結婚の婚約者から始まり、ハルトマン伯爵家の茶会では、当事者を前に善意と正論で押し切った――。
その一件から、「辺境伯令嬢の前では、どんな結び目も両断される」などという噂まで流れ始めた。
最近では、それを面白がった令息たちの間で、『北境の天秤』などという異名まで囁かれているらしい。
噂の一人歩きも甚だしい。
「実際のところ、どうなんだ?」
レオンハルトに問われたルシアンは、少し考えてから、大真面目な表情で口を開いた。
「エルナは他の令嬢よりも素直で優しいんだ」
「……だろうな」
「そういう話ではありませんよ」
二人から同時に返され、ルシアンは僅かに眉を寄せた。
「事実だろう?」
「事実でしょうね」
ジークは苦笑しながら頷いた。
「ところで、ルシアン」
レオンハルトが話題を変える。
「おまえ、肝心のエルナ嬢とはどうなんだ?」
「どう、とは?」
ルシアンが首を傾げた。
「社交シーズンに毎日律儀に朝から仕事をしてくれるのはありがたいんだが……たまにはエルナ嬢と出かけたりしないのか?」
「毎日辺境伯邸で会っているが?」
さらに首を傾げるルシアンを見て、レオンハルトとジークは顔を見合わせた。
「……ルシアン」
「何だ?」
「レオンは、せっかくエルナ嬢がデビュタントをして王都にいるのですから、二人でどこかへ出かけたりしないのか、と聞きたいのですよ」
ジークが噛み砕いて説明する。
「社交のために会うのではなく、二人で過ごすために出かける、という意味です」
「……考えたこともなかった」
煙水晶の眼鏡の奥で、青い瞳が瞬いた。
「…………」
「…………」
二人の間に、何とも言えない沈黙が落ちる。
「おまえな……」
レオンハルトが額を押さえる。
「エルナ嬢はデビュタントしたばかりなんだぞ。王都にはいくらでも二人で行ける場所があるだろう」
「例えば?」
そんな視点で王都を見たことなどな
かった。
「それを俺たちに聞くな」
「ジーク」
「私に振らないでください」
「そういうところだ」
レオンハルトが呆れたように息を吐いた。
「エルナ嬢の好みは、とっくに把握しているだろう? 彼女が喜びそうな所へ連れて行ってやれ」
「なるほど」
確かに毎日会ってはいるが、お互い予定の合間を縫って、少し顔を合わせるだけだ。
以前、一人で買い物へ行ったと聞いたが、その後、どこかへ出かけたという話は聞いていない。
そろそろ息抜きがあってもいいかもしれない。
頷いたルシアンは、真剣に候補を考え始めた。
王都の外は、移動がエルナの負担になるかもしれない。
買い物も、必要なものは既に揃えている。流行の菓子も、話題になるたびに贈っている。
図書館や庭園、食事では、公爵邸で過ごす時間とそう変わらない。
騎士団の演習――は、辺境伯領で見慣れているだろう。
「ルシアン? 話を聞いていたか?」
「聞いていませんね」
レオンハルトとジークの呆れた声は、すでにルシアンの耳には届いていなかった。
エルナが喜びそうなものは何か。
王都にいて、負担が少なく、普段とは違う時間を過ごせるもの。
ルシアンは頭の中でいくつもの候補を並べ、ひとつずつ消していく。
やがて、ひとつの場所に目星をつけると、ようやく顔を上げた。
その頃には、執務室にいたはずのレオンハルトとジークの姿は、すっかり消えていた。




