王都編1-13 茶会事件
「あちらが猫、あちらは文鳥ですわ」
「可愛らしいですわ」
「素敵ですわ」
ハルトマン伯爵家の庭園では、エルナと数名の令嬢たちが、今日の茶会の主催者であるヴィオラに案内を受けていた。
動物の姿を模すように植えられた、色とりどりの花々。
ヴァレリオン公爵家の庭園とはまた違った趣に、エルナは目を輝かせながら庭園を眺めていた。
「まさか、辺境伯令嬢にお越しいただけるとは思いませんでしたわ」
「エルナとお呼びください、ヴィオラ様。――こちらの庭園のお噂を伺って、ぜひ拝見したいと思っていたのです」
「お気に召していただけたかしら?」
「もちろんですわ」
にこにこと頷くエルナを見て、ヴィオラは嬉しそうに胸を張った。
少しでも話題性を持たせようと、庭師に頼んで作らせた庭園だった。
まさか、次期公爵夫人の座を約束された辺境伯令嬢が、自分の茶会への招待に応じてくれるとは思っていなかった。
――これなら、少しは父も褒めてくださるだろうか。
そんなことを思いながら、ヴィオラは最後の花壇まで案内する。
やがて庭園の案内を終えると、一行は茶会の部屋へと戻ってきた。
すでに部屋には招待された令嬢たちが集まり、それぞれの卓を囲んで談笑を始めている。
庭園から戻ってきたヴィオラたちを、令嬢たちが笑顔で迎えた。
「まあ、庭園はいかがでした?」
「とても素敵でしたわ」
いくつかの卓では、すでに令嬢たちが楽しそうに会話を交わしている。
エルナの視界の端では、クレアもペンを片手に、笑顔で談笑していた。
「エルナ様はこちらへどうぞ」
「ありがとうございます」
ヴィオラに促され、エルナは彼女と同じ卓へ案内される。
クレアから視線を外し、促されるまま歩き出したエルナは、ふと足を止めた。
一人だけ、部屋の隅に所在なげに立っている令嬢がいる。
セドナ伯爵家のミレイユ。
今年、エルナとともにデビュタントを果たした令嬢だ。
(……お困りでしょうか?)
どうしたのだろう。
そう思ったエルナは、ヴィオラへ一言断る。
「少し、よろしいでしょうか?」
「ええ」
ヴィオラの返事を聞くと、エルナはそのままミレイユのもとへ歩いていった。
「お久しぶりですわ、ミレイユ様。こうしてお話しするのは、先日の王太子妃殿下のお茶会以来ですわね」
「お久しぶりでございます、エルナ様……」
ミレイユは少し緊張した面持ちで頭を下げた。
デビュタントを終えたばかりの令嬢令息たちを集めた、エリーゼやシャルロットたちの茶会。
あのときは王太子妃や王女に囲まれ、ようやく緊張が解けた頃に、ミレイユと少しだけ言葉を交わしたのだった。
「お困りですの?」
「いえ……ご心配いただくようなことは……」
声をかけられるとは思っていなかったのだろうか。
ミレイユの返答は、どこかぎこちなかった。
なぜ、こんなところで一人で立っているのだろう。
心配するに決まっている。
ミレイユが答えに詰まるのを、エルナは首を傾げながら見つめた。
その間にも、ヴィオラはほかの令嬢たちと話を交わしながら、それぞれの席へ案内している。
エルナは何気なく室内を見渡した。
そして、ふと気づく。
「お席がありませんの?」
「……!」
ミレイユは答えなかった。
けれど、否定もしない。
それだけで十分だった。
席を用意されないという意味を、エルナが知らないわけではない。
そういえば、公爵家の夜会でルシアンが話に加わっていた伯爵たちは、二人とも彼女の父親だった。
隣り合う二つの領地は、街道の利権をめぐって揉めていると、ルシアンが言っていた。
それ以前から、何かと争いが絶えないとも聞いている。
(ルシアン様が、このお茶会には行く必要はないと仰っていたのは……)
動物の姿を模した庭園を見てみたかっただけなのだが。
もしかすると、ルシアンには最初から分かっていたのだろうか。
エルナはもう一度、部屋を見渡した。
参加している令嬢は、伯爵家をはじめ、子爵家や男爵家がほとんどだ。
皆、にこやかに歓談している。
けれど、ときおり自分へ向けられる視線を感じた。
事情を知っているのだろうか。
それでも――。
エルナは、目の前で所在なげに立つミレイユを見つめた。
このままにしておきたくはなかった。
そっと、エルナはミレイユの手を取った。
「参りましょう」
「……どちらへ?」
「お席がないのでしょう? でしたら、ヴィオラ様にお願いしましょう」
「そ、そんなこと……!」
目を見開くミレイユの手を、エルナはしっかりと握ったまま離さなかった。
「せっかくいらしたのですから、そんなところにいてはいけませんわ」
「ですが……」
小さく首を振るミレイユに、エルナは穏やかな口調で言い聞かせる。
「大丈夫ですわ」
その手を包む強さと、迷いのない姿に、ミレイユは俯いた。
周囲の令嬢たちと視線を合わせることもできない。
けれど、エルナに手を引かれるまま、ミレイユは歩き出した。
やがてエルナの足が止まる。
顔を上げたその先に、ヴィオラがいた。
「ヴィオラ様。私たちの卓ですが、もう一席増やしていただくことは可能でしょうか?」
穏やかなその言葉に、ヴィオラは固まった。
室内から、会話の声が消える。
「私、ミレイユ様ともお話ししたいですわ」
エルナの後ろで、ミレイユが俯く。
何か言わなければ。
そう思いながら、ヴィオラは視線を泳がせた。
「エルナ様、その方は……」
言葉に詰まるヴィオラに、エルナは不思議そうに首を傾げる。
「ヴィオラ様がご招待されたのですよね?」
「え、ええ……」
「ミレイユ様も応じてくださったのですから、今はよろしいではありませんか」
穏やかに告げられた言葉に、ヴィオラは心の中で首を振った。
(……よろしくありませんわ)
使用人に当たり散らす父親の矛先が、いつ自分へ向けられるか分からない。
体裁のために招待状を送った。
まさか、本当に参加するとは思っていなかったのだ。
では、いったいどうしろというのだ。
「今この場にいるのは、私たちだけですもの――」
眉をひそめるヴィオラへ、エルナはにこりと微笑んだ。
「ご家族同士のことまで、私たちが気にする必要はないのでは?」
「…………」
返す言葉がなかった。
次期公爵夫人の座を約束された辺境伯令嬢から、あまりにも真っ直ぐな正論を突きつけられては、何を言っても言い訳にしかならない。
ヴィオラは折れるしかなかった。
同じ卓に座る令嬢へ、ヴィオラは尋ねた。
「一席増やしても、よろしいかしら?」
「え、ええ……」
戸惑いながら頷く令嬢の返事を聞くと、ヴィオラは使用人を呼び、ミレイユの席と紅茶を用意させた。
「ヴィオラ様、ありがとうございます」
屈託なく笑うエルナに、ヴィオラはどんな表情をすればいいのか分からなかった。
ミレイユが席に着く。
それを合図に、卓を囲むヴィオラたちは揃って口を閉ざした。
誰もが何を話せばいいのか分からず、視線だけが静かに行き交う。
そんな中、エルナだけは何も気にする様子もなく、ミレイユへ微笑みかけていた。
優しい香りの紅茶が淹れられ、エルナはゆっくりと口に含んだ。
続いて用意された菓子へ目を向ける。
そこには、庭園で見た動物たちと同じ形をした焼き菓子が並んでいた。
「まあ! お庭の動物たちと一緒ですわ。――ハルトマン家の料理人の方がお作りになったのですか?」
「ええ。ぜひ、庭園の余韻も味わっていただきたくて……」
「素敵ですわ」
エルナは嬉しそうに微笑んだ。
猫の形をしたフィナンシェを手に取り、一口食べる。
バターの香りと優しい甘さが、しっとりとした生地とともに口の中へ広がった。
「美味しいですわ」
「ありがとうございます……」
ヴィオラはほっとしたように微笑んだ。
けれど、エルナ以外の令嬢たちは、誰一人として紅茶にも菓子にも手をつけようとしない。
エルナは不思議そうに皆の顔を見た。
せっかく用意された美味しいお菓子なのに。
ならば――。
エルナは、自分が口にした猫のフィナンシェのほか、ドライフルーツが入った熊のクッキーと、クリームをたっぷり挟んだ小さなケーキを、それぞれの皿へ取り分けた。
「皆様は、この三種類の中でどれがお好みですか?」
目の前に置かれた菓子を見つめ、令嬢たちは戸惑ったように顔を見合わせる。
けれど、辺境伯令嬢自らが取り分けた菓子を断ることもできない。
――とりあえず、食べてみろということだろうか。
三人は静かに菓子を口へ運んだ。
甘い菓子が、張り詰めていた空気を少しずつほどいていく。
全員が食べ終えると、エルナが口を開いた。
「私はクッキーが好きですわ。ヴィオラ様はいかがですか?」
「――私は、フィナンシェですわ」
「まあ。では、ミレイユ様は?」
「私は……ケーキが好きです」
一人ずつ尋ねていくと、ぽつり、ぽつりと答えが返ってくる。
エルナはそれぞれが選んだ菓子をきっかけに、好きな味や普段好むお菓子の話へと話題を広げていった。
ぎこちなさは残っている。
それでも、少しずつ会話が続いていく。
そうしてしばらく話しているうちに、ふとエルナの視線が、ミレイユの髪に結われたリボンへ向いた。
少し年季が入っているものの、大切にしているのだろう。よく手入れされた、淡い菫色のリボンだった。
そこには、橙色の糸で四角い刺繍が施されている。
「ミレイユ様のリボン、素敵ですわね」
「ありがとうございます……」
「夕暮れ時に、こんな色の空を見たことがありますわ」
「……昔、いただいた時に、私もそう思いましたわ」
ミレイユは少しだけヴィオラの様子を窺いながら、ぽつりと答えた。
ヴィオラは、ただ黙って二人のやり取りを見つめている。
「そうなのですね。とてもお似合いですわ」
ミレイユのリボンへ視線を向けていたエルナは、二人の様子には気づかない。
「ルシアン様がおっしゃるには、日が沈む頃は太陽の光が長い距離を空気の中を通るので、色の見え方が変わるのだそうです。だから、あんなに綺麗な紫や橙になるのですって」
幼い頃、公爵領でルシアンとともに空を眺めた日のことを思い出す。
「同じ空なのに、異なる色が合わさるだけで、あんなに素敵な景色になるのですね」
「そう、ですわね……」
エルナの向かい側、ヴィオラとミレイユに挟まれた令嬢は、もはや何とも言えない表情で紅茶を口に運んだ。




