王都編1-10 仕立て
ある晴れた日のことだった。
エリーゼの庭園で開かれた茶会では、エリーゼ、シャルロット、オリヴィア、クレア、エルナの五人が、今年流行しているドレスの型について話に花を咲かせていた。
そんなとき、ふとエルナが呟いた。
「――オリヴィア様のドレスが素敵だと思いますわ」
艶めいた美しさと聡明さを持つオリヴィアは、流行を取り入れながらも、肩や胸元を大胆に見せるデザインのドレスを好んで着ている。
この茶会でも、紫や赤といった目を引く色合いに、華やかな意匠を施したドレスを纏っている。
けれど、それほど鮮やかな色や大胆なデザインであっても、オリヴィアが身に纏えば、決してドレスだけが目立つことはない。
すべてが彼女自身の美しさを引き立てるための装飾に見えた。
「まあ! エルナ様もああいうドレスがお好きなのですか!?」
その言葉に、真っ先に反応したのはシャルロットだった。
「好きというか、気になるというか……。私、ああいうドレスを着たことがないので……」
エルナが少し恥ずかしそうに視線を落とす。
「エルナ様なら、きっとお似合いになりますわ」
オリヴィアが穏やかに微笑んだ。
「本当ですか?」
「ええ。普段は可愛らしい雰囲気のドレスが多いでしょう? 少し形を変えるだけでも、随分と印象が変わると思いますわ」
「そうなのですか……」
エルナは自分のドレスを見下ろした。
「でも、胸元の開いたドレスなんて……私には少し、大人っぽすぎる気がしますわ」
「そうでしょうか」
クレアが首を傾げる。
「社交界に出て、もう何度も夜会を経験されたではありませんか。エルナ様も随分、大人になられたと思います」
「だと、いいのですが……」
エルナが考え込む。
その隣で、シャルロットの瞳がみるみる輝いていった。
「――でしたら、作りましょう!!」
「えっ?」
エルナが顔を上げる。
シャルロットは待っていましたとばかりに身を乗り出した。
「エルナ様は、いつも公子様が贈られたドレスばかりでしょう? 今度はご自身で仕立てて、公子様にお見せするのです! きっと驚かれますわ!」
シャルロットは勢いよくエルナへ詰め寄った。
きっとルシアンは、大人びたドレスを纏ったエルナを見れば惚れ直すに違いない。
そうすれば、二人の距離も少しは近づくはず。
そんな思惑を胸に、シャルロットは目を輝かせる。
「なるほど……」
エルナは少し考え込んだ。
いつもはルシアンが選んでくれたものを仕立ててもらうばかりだ。
けれど、自分自身で選び、仕立てたドレスを身につければ――。
一人の淑女として、少しはルシアンに認めてもらえるかもしれない。
そう思うと、胸の奥が少しだけ熱くなった。
「私たちもお手伝いいたしますわ!」
「私たち?」
オリヴィアの問いに、シャルロットは両手を合わせた。
「せっかくエルナ様が初めてご自身で仕立てるのですもの。皆で応援しますわ!」
そして、隣に座るエリーゼへ振り向く。
「――ね、お義姉様。いいでしょう?」
ねだるようなシャルロットの視線を受け、一人静かに紅茶を楽しんでいたエリーゼは、カップをソーサーへ戻した。
「オリヴィア様とクレア様はいかがですの?」
肯定も否定もしない。
二人に委ねるということだ。
シャルロットのきらきらとした眼差しと、少し困惑したエルナの視線。
二つの視線を見比べ、オリヴィアは愉快そうに目を細めた。
「王女殿下のお誘いですもの。もちろん、お手伝いいたしますわ」
「このような機会は、滅多にございません」
クレアも眼鏡の位置を直しながら頷く。
「――では、仕立て屋を呼びましょうか」
エリーゼがそう言うと、シャルロットの瞳がぱっと輝いた。
その隣では、エルナが瞳をぱちぱちと瞬かせている。
本当に、軽い気持ちで、ただ言っただけだった。
まさか、こんなことになるなんて。
エルナは戸惑いながら、膝の上でそっと手を握る。
けれど――。
自分で選んだドレスを着て、ルシアンの前に立ったら。
少しは、一人の婚約者として認めてもらえるだろうか。
そんな期待が、ほんの少しだけ胸に芽生えていた。
(……よろしいのでしょうか?)
エルナは目の前で楽しそうに盛り上がる四人を見つめた。
◇ ◇ ◇
数日後。
王宮の一室には、エリーゼ御用達の仕立て屋が呼ばれていた。
エルナたちは並べられた型本を囲み、どんなドレスにするかを話し合っている。
「可愛いのがいいですわ!!」
真っ先に声を上げたシャルロットが開いたページには、リボンをふんだんにあしらった愛らしいドレスが描かれていた。
(……可愛すぎではないでしょうか)
困惑するエルナの前で、オリヴィアは眺めていた型本をシャルロットとエルナの前へ差し出した。
「可愛らしさだけでは、せっかくのエルナ様の魅力が隠れてしまいますわ」
そこに描かれているのは、装飾を抑えた洗練されたデザイン。
すっきりとしたシルエットに、大胆に胸元を見せる意匠が施されている。
「オリヴィア様、これはさすがに……」
胸元が心許なさすぎる。
思わず頬を赤らめるエルナに、シャルロットが別のページを勢いよく開いた。
「では、こちらはいかがです?」
そこには、胸元から肩にかけて繊細なレースをあしらったドレスが描かれていた。
「レースが可愛いですわ!」
「このくらいなら……大丈夫だと思いますわ」
エルナがほっとしたように頷く。
シャルロットが開いたページとエルナを交互に見つめ、オリヴィアも頷いた。
「レースでしたら、殿下の『可愛い』はそのままに、エルナ様の魅力も引き出せるかもしれませんわね」
「でしょう!」
シャルロットは嬉しそうに声を弾ませる。
「では、このあたりを基本に考えましょう!」
レースをあしらうことを前提に、どの形がエルナに似合うのか。
三人はさらに型本をめくり始めた。
その様子を眺めながら、エルナは少しずつ実感していく。
本当に、自分のためのドレスを作るのだ。
しかも――今まで着たことのない、大人びたドレスを。
少しだけ胸が高鳴った。
ドレスの型を話し合う三人の隣では、エリーゼとクレアが生地の見本帳を開いていた。
「エルナ様のドレスといえば、深緑色に銀糸の刺繍ですよね」
クレアは、これまでエルナが夜会で着ていたドレスを思い返す。
夜会のドレスには、家の色を取り入れることが多い。
ノルドガルド辺境伯家の紋章を飾るのは、盾を構える銀狼と、深い緑の針葉樹。自然とエルナも、夜会ではその二色を基調としたドレスを身につけていた。
「そうですね。ですが、エルナ様はルシアン公子の婚約者ですから、紺色も必要でしょう」
公爵家の色は紺と金。
今はまだ辺境伯令嬢だが、いつまでもそうというわけではない。
「さすがは殿下です。それでは、二色が自然に並ぶ生地がよいですね」
方向性が決まれば、候補も絞りやすい。
クレアが見本帳をめくり始める。
その様子を、エリーゼは紅茶を口にしながら静かに眺めていた。
やがて、向かいからシャルロットの弾んだ声が聞こえてくる。
「決まりましたわ!」
エルナたちが選んだ型が決まったらしい。
「まあ、どんな形になったのです?」
エリーゼが声をかけると、シャルロットが嬉しそうに型本を掲げた。
「こちらです! 胸元から肩にかけてレースをあしらうのです!」
「まあ……」
エルナも隣で、少し照れくさそうに微笑んでいる。
エリーゼは型本へ目を落とし、それからエルナを見た。
可愛らしさを残しながらも、これまでのドレスよりずっと大人びている。
「それなら、上着は紺色にしましょうか」
「紺色ですか?」
エルナとシャルロットが、揃って首を傾げた。
その様子に、クレアが見本帳から顔を上げる。
「エルナ様はこれまで、辺境伯家の色である深緑を中心にしたドレスが多かったでしょう?」
「はい」
「ですが、ルシアン公子様の婚約者である以上、公爵家の色も取り入れたほうがよいのです。深緑のスカートに紺色の上着なら、どちらの家の色も自然に取り入れられます」
「まあ……!」
シャルロットが目を輝かせる。
「エルナ様、両方の家のお色が入るのですわ!」
「そういうことでしたのね」
エルナも納得したように頷いた。
クレアは再び見本帳へ視線を落とす。
「でしたら、生地はこちらのあたりがよいでしょうか。紺が深すぎると深緑と馴染みすぎますし、明るすぎてもレースが浮いてしまいます」
「そうですね」
エリーゼが頷く。
「いくつか候補を見せてくださいな」
「かしこまりました」
クレアは手際よく見本帳をめくり、いくつかの生地を抜き出して並べた。
「こちらが候補です。質感と光の当たり方も、それぞれ少しずつ違いますわ」
エルナたちは、並べられた生地へ一斉に身を乗り出した。
先ほどまで型本を囲んでいたときと同じように、今度は色と生地についての話が始まった。
エルナの肌によく馴染む生地が決まると、今度は細かな意匠について話し合う。
「何か刺繍は入れられますか?」
仕立て屋に尋ねられ、エルナは少し考えてから口を開いた。
「辺境伯家の紋章を入れたいです」
脳裏に浮かんだのは、デビュタントのときに着たドレスだった。
あのときは銀狼の刺繍にばかり目がいっていたけれど、よく思い返せば、その周囲には針葉樹もさりげなく描かれていた。
「エルナ様のデビュタントのドレス、素敵でしたわ!」
シャルロットが嬉しそうに声を上げる。
「今回はデビュタントではありませんから、紋章をそのまま大きく入れるより、もう少し控えめにしたほうがよいかと」
クレアがそう言うと、オリヴィアも頷いた。
「そうですわね」
決まった型本のページへ視線を移し、オリヴィアはスカートの一部分をそっと指でなぞった。
「ただ紋章を刺繍するのではなく、盾を構える狼と針葉樹を意匠として取り入れましょう」
「意匠、ですか?」
エルナが首を傾げる。
「ええ。そのほうがドレスの装飾としても美しくなりますわ」
仕立て屋から紙とペンを受け取ると、オリヴィアは迷うことなくさらさらと線を走らせた。
やがて描き上がったのは、針葉樹の間を歩む銀狼だった。
「まあ……」
エルナが目を丸くする。
「オリヴィア様は、絵の才能もおありなのですね」
「オリヴィア様は美的感覚が随一ですもの!」
シャルロットが身を乗り出し、まるで自分のことのように誇らしげに言う。
「まあ、殿下ったら」
オリヴィアが苦笑すると、クレアと顔を見合わせた。
その表情は、いつもの令嬢同士のものというより――まるで、可愛い妹分を眺める姉たちのようだった。
「では、この意匠を刺繍に取り入れましょう」
仕立て屋が嬉しそうに紙を受け取る。
「ほかに、何かご希望はございますか?」
「希望……ですか?」
エルナは少し考え込んだ。
型も決まった。色も決まった。辺境伯家の紋章も入る。
もう十分だと思ったのに、なぜか胸の奥に、ひとつだけ浮かぶ色があった。
「……青を、入れたいです」
「青ですか?」
シャルロットがぱちりと瞬きをする。
「どこに入れましょう?」
「そうですね……」
エルナは並べられた装飾の見本を眺める。
紺と深緑を邪魔せず、それでいて、ふと目に留まるくらいの色。
「目立ちすぎないところがいいですわ」
「でしたら、こちらはいかがでしょう」
仕立て屋が、青い細いリボンや小さな飾りの見本をいくつか並べる。
シャルロットが身を乗り出す。
「まあ! この青、綺麗ですわ!」
「紺にも深緑にもよく合いますわね」
オリヴィアも頷く。
クレアは装飾の位置を確認し、
「このくらいの大きさなら、全体の調和も崩れません」
と太鼓判を押す。
「では、こちらにしましょうか」
エルナは小さく頷いた。
「はい」
採寸を終えたエルナが戻ってくると、隣に立つエリーゼへ仕立て屋が一礼した。
「仮縫いが終わりましたら、お持ちいたします」
「ええ。連絡を待っているわ」
エリーゼが頷く。
そして、何気ないことのように続けた。
「――ところで、今シーズン中に間に合いそうかしら?」
その一言に、仕立て屋はもちろん、その場にいた全員が息を呑んだ。
王太子妃であるエリーゼが、ドレスの仕立てにどれほどの時間を要するのか理解していないはずがない。
つまりこれは、通常の倍近い人員を割いてでも、急いで仕上げてほしいということだ。
「……可能な限り、急がせていただきます」
仕立て屋が慎重に答える。
「つまり?」
にこやかなエリーゼに促され、仕立て屋は一瞬だけ言葉に詰まった。
「……善処いたします」
断言できない仕立て屋と、微笑みを崩さないエリーゼ。
その間に、エルナが慌てて口を挟んだ。
「殿下、私は急いでおりませんので、シーズン後でもよろしいのでは?」
「せっかくですもの。皆で見たいではありませんか」
天の使いもかくやという見事な笑みを向けられ、エルナは口を閉ざした。
「……はい」
仕立て屋は、ただただ冷や汗を流していた。
「その分、見積もりに上乗せしてもよろしくてよ」
エリーゼがちらりと仕立て屋の手元にある用紙へ視線を落とす。
今なら変更しても構わないという意味だろう。
しかし、仕立て屋は慌てて首を振った。
「滅相もございません。いつも王太子妃殿下にはご贔屓いただいておりますし、エルナ様のドレスを仕立てさせていただけることは、公爵領の民として光栄でございます」
「では、決まりね」
エリーゼは満足そうに頷いた。
「……ちなみに、お見積もりはどなた様宛に?」
仕立て屋が尋ねると、エリーゼは見積書を受け取り、さらりと額面を確認する。
その金額を横から見たエルナが、目を見開いた。
けれど、エリーゼは何事もなかったかのように口を開く。
「公子宛です」
「え?」
エルナが思わず声を上げる。
エリーゼは見積書を仕立て屋へ返した。
「あの、お支払いでしたら私が……!」
「大元は公爵領の仕立て屋なのでしょう? それなら、公爵家にも税収が入るのでしょうから、公子に払っていただけばよいではありませんか」
あまりにもあっさりと言われ、エルナは言葉を失う。
「エルナ様のためであれば、公子も惜しみませんわ」
「えぇ……」
エルナの顔から、さらに血の気が引いていく。
一方、エリーゼはいたって平然としている。
仕立て屋も納得したように頷き、見積書を受け取った。
「当店の公爵領工房では、公子様から直接エルナ様のドレスのご注文もいただいております。公子様へご報告を入れるだけでよろしいかと」
「そう……なのですか」
「はい。――今回のお品も、特別に高額というわけではございません」
「……そうなのですか?」
エルナは呆然と仕立て屋を見つめた。
今までルシアンから贈られたドレスも、いつも素敵だと思って何も考えずに着ていた。
毎年のことだったから、値段など考えたこともなかった。
けれど――。
今季だけでも、いったい何着贈ってもらっただろう。
「…………」
エルナの顔色だけが、みるみる悪くなっていく。
そんなエルナをよそに、エリーゼは用を済ませたとばかりに仕立て屋へ目を向けた。
「では、よろしくお願いいたします」
「かしこまりました」
仕立て屋が一礼し、部屋を後にする。
残されたエルナは、青ざめたまま見積書の消えた扉を見つめていた。
◇ ◇ ◇
その日の午後。
ルシアンが辺境伯邸を訪れると、エルナはさっそく今日の出来事を話した。
「――ということで、今日は皆様に仕立てを手伝っていただきました」
「そうか。完成が楽しみだな」
いつもは自分が贈っているドレスばかりだ。
それでも今回は、あの四人が手伝ったとはいえ、エルナが初めて自分で仕立てる夜会用のドレス。
きっと、素敵な一着になるに違いない。
そう思いながら頷くルシアンに、エルナは少し申し訳なさそうに口を開いた。
「仕立てたまではよかったのですが、エリーゼ殿下が、お支払いはルシアン様にと仰って……」
話すにつれて、エルナの声が少しずつ小さくなっていく。
「何か問題でも?」
ルシアンが首を傾げた。
「ありますわ!」
珍しくきっぱりと言い切ったエルナに、ルシアンが目を瞬く。
「私が仕立てたのですから、私が支払います。請求書は私へ渡していただきたいですわ」
仕立て屋は「普通の金額だ」と言っていた。
けれど、エルナにとっては、気軽に支払えるような額ではない。
「エルナが支払う必要はない」
「なぜです?」
「婚約者の装いを整えるのは、当たり前だろう」
「…………」
あまりにも平然と言われ、エルナは口を閉ざした。
たしかに、必要なものはいつもルシアンが用意してくれている。
けれど――この金額まで同じように考えていいのだろうか。
「何を心配しているんだ?」
「その……ドレスの金額がですね……」
エルナが小さな声で請求書の額を告げる。
するとルシアンは、拍子抜けしたような顔をした。
「あの商会で、この金額なら普通だぞ」
「仕立て屋の方もそう仰っておりましたが、私にとっては普通ではありませんわ」
エルナは眉を下げる。
「それに、ルシアン様からは、もうたくさん頂いておりますもの」
珍しく、その口調にははっきりとした力がこもっていた。
エルナが自分で何かを買ったとしても、確かにドレス一着の金額とは比べものにならない。
そもそも、こうなることまで王太子妃は見越していたのだろうか。
不自由がないようにと、必要なものは何でも自分が贈ってきた。それが、エルナに「自分で支払いたい」と思わせる原因になったのかもしれない。
そう考えれば、今回のことはエルナにとって、ちょうどいい機会なのだろう。
まっすぐに自分を見つめるエルナへ、ルシアンは微笑んだ。
「では、なぜドレスにその値がついたと思う?」
「生地や刺繍糸、装飾の仕入れや運送費はもちろん、それを作る職人たちへの報酬が含まれます。それに、職人たちが技術を身につけるまでに費やした時間と、その唯一無二の技術を買うための値でもありますわ」
まるで教本をそのまま読み上げているような、よどみのない答えだった。
ルシアンは思わず口元を緩める。
「――ですが、それとルシアン様がお支払いすることに接点はございません」
大真面目に言い切るエルナに、ルシアンは笑いそうになるのを必死に堪えた。
「接点はある。ドレスに必要なものは、我が領地で賄っているものがほとんどだ。支払った金は、職人や商人を通じて領民の生活を潤す。そのために使うのだから、問題はない。どうせ、その一部は税として戻ってくる」
「私だって、公爵領の皆様を支える義務がありますわ」
「私もそうだが?」
「……」
思いもよらない返答だったのか、エルナは口を横に結んだ。
それ以上、どう返せばいいのか分からないらしい。
ルシアンはそんなエルナを見つめ、少しだけ目を細めた。
「それに、金額を気にする必要はない」
「でも……」
「エルナへの贈り物に使わなければ、私費を使い切れないんだ」
「……?」
エルナが首を傾げる。
私費とは、交際費や急な贈答品、使用人への心付け、個人的な買い物や消費活動などに使われる金だ。
ルシアンは、毎年自分に割り当てられている私費の額をエルナへ伝えた。
「……本当ですの?」
エルナの目が丸くなる。
自分が自由に使える金額とは、比べものにならない。
市場への金回りをよくするためにも、私費はある程度使い切るほうがよいとされている。
それでも、その金額なら――辺境伯領の騎士団の装備更新費くらいはあるのではないだろうか。
先ほどまで高いと思っていたドレスの金額が、急に可愛らしく見えてきた。
「エルナも嫁いだら、私ほどではないが私費が与えられる。今のうちに、使い道を考えておくといい」
「……」
「孤児院や教会への寄付金などは別に用意される。だから、私費は遠慮なく消費に回してくれ」
「…………」
エルナは、とうとう何も言い返せなくなった。
しばらく考えた末、ようやく顔を上げる。
「……私に、支払わせてくださらないのですか?」
「そうしてくれるな?」
穏やかに問われ、エルナは観念したように小さく息を吐いた。
「……そうさせていただきますわ」
素直に頷くエルナに、ルシアンは満足そうに微笑んだ。
◇ ◇ ◇
一週間後、仕立て屋から仮縫いが終わったとエリーゼへ連絡が入った。
エルナが試着すると、クレアが歩いたり座ったりする様子を確認し、細かな調整を指示する。
「これで仕上がりが楽しみですわね」
エルナも嬉しそうに頷いた。
そして社交シーズンも終わりに近づいた頃。
完成したドレスが届くと、エルナはお茶会の皆へ見せた。
「まあ、素敵ですわ!」
「ええ。上出来ですわね」
皆でドレスを眺めながら、あれこれと褒め合う。
けれど、エルナは最後まで袖を通せなかった。
「……恥ずかしくて、着られませんわ」
肩や胸元の開いたデザインを思うと、どうしても勇気が出ない。
そんなエルナへ、エリーゼが穏やかに微笑む。
「いつか、着ようと思える日が来ますわ」
「……はい」
その後、エルナはルシアンにもドレスが完成したことを報告した。
「せっかく支払っていただいたのに、まだお見せできなくて申し訳ございません」
「気にするな。その時まで待つ」
レオンハルトやジークから、いつもとは違うデザインになったことは聞いている。
エルナがなぜ見せられないのかも、なんとなく想像はついた。
それでも、エルナがそのドレスを箪笥にしまい込んだままにするとは思っていない。
いつか、自分から着てみようと思う日が来るだろう。
「……いつか、着られる日が来るでしょうか?」
エルナは完成したドレスを思い浮かべながら、小さく呟いた。




