静観者
久美は三条神宮道の歩道を踏みつけるように歩いていた。
先ほど研究室で起きた一幕が尾を引き、思い返すたびに怒りが胸の奥から濁流のように込み上げてきた。
喉の奥に溜まったものを吐き出すように、久美は荒く息を継ぎながら毒づいた。
「くそっ! くそっ! くそっ! あのクソジジィ・・・・・・
私に才能があるって、わかんねーのかよ・・・・・・」
すでに夜の帳が降り、歩道の左脇には知恩院の石垣が長く続き、その上では樹齢数百年を思わせる木々が風に揺れて、“ザアッ…”と乾いた葉音を鳴らしていた。
道路の反対側にも寺院が静かに並び、黒々とした空間が奥へと沈んでいた。
街灯も15メートルおきに設置されているが、京都らしい景観を損なわぬよう光は控えめで、道は街の中心部に比べるとひときわ翳って見えた。
神宮道を進んでいくと、道は右へと続く知恩院道が、明るい街の方へ伸びていた。
左には知恩院の巨大な三門が口を開くように佇んでいる。
久美はその口のように開いた闇を見つめた途端、背筋を氷の指でなぞられたような悪寒に襲われた。
ぶるりと身を震わせた瞬間、なぜかショルダーバッグの中のタブレットの存在だけが、ひどく生々しく意識に浮かび上がった。
「な、なに・・・?」
三門の奥から滲み出す得体の知れない気配が、まっすぐバッグへと伸びてきている――そんな錯覚を振り払えなかったからだ。
久美は追い立てられるように駆け出し、先に灯りの見える南門をくぐって、円山公園へと逃げ込んだ。
南門をくぐったところでようやく足が止まり、久美は荒い呼吸の合間に、胸の内をこぼすように呟いた。
「はぁ・・・はぁ・・・きょ、京都って・・・古い寺院に飾られている像が睨んでるみたいで・・・怖いのよね・・・・・・。
も、もう3年目なのに、全然慣れない・・・なんで、みんな・・・平気なのかしら・・・・・・?」
そう言って、膝に手を着いて息を整える。
落ち着くと腰を伸ばし、腕で額の汗を拭って周囲を見回した。
それでも円山公園に入ると、営業中の店々の灯りがやわらかく滲み、人の往来もあって、あたりはほっとするほど明るかった。
まだ宵の口とあって人も多く、着物をまとった海外からの観光客たちが、もの珍しげにスマホを向け合っては、自撮りや撮影に興じている。
公園の中では、ライトアップされた池や古い日本の情景に目をキラキラさせ、
池のほとりからは、はしゃいだ声が次々に弾み、
「สวยมาก!」
「One more picture!」といった異国の言葉が明るいざわめきとなって、水気を含んだ夜気にやわらかく溶けていた。
「何の悩みもなさそうな連中ばっかだ・・・」
久美は乾いた笑いを漏らしたものの、その明るさがかえって胸の奥のささくれを逆撫でしてくるようで、唇の端が引きつった。
久美はそんな人垣を見て、車両の進入を止めるバリカーの前で立ち止まった。
そして、それを避けるように横道へと入っていく。
その横道は公園の脇を走る細い道で、古い家屋を生かした飲食店が、灯りを連ねるように軒を並べていた。
切り石を敷き詰めた石畳を、久美は足早に進んでいく。
店先からは、暖簾の揺れといっしょに、すでに出来上がった地元のサラリーマンたちの声がこぼれてきた。
「せやし京都の仕事は、段取りが肝心や言うてるやろ」
「あんた、それ今日もう何遍も言うてるえ」
どっと起こる笑い声が、石畳の道に弾けていた。
そんな明るい声が耳に刺さるたび、久美の内側では行き場のない苛立ちがじりじりと膨らみ、気づけば両手で耳を塞いでいた。
「クソ! クソ! クソばっか!
なんで、こんな能天気な連中ばっかなのよ・・・」
久美は走り出し、八坂神社北の公園の中へと入っていく。
夜の公園内は、街灯が少なく薄暗く、人も疎らだった。
久美はその中の石の椅子に、ショルダーバッグを肩から降ろして置き、自分も腰を下ろすと、太ももに肘を置き背中を丸めた。
「はあ~・・・落ち着く・・・・・・」
しかし、腰を下ろして息が整うと、今度は研究室での光景が鮮やかによみがえり、胸の底に沈みかけていた怒りがまた生々しく顔を上げた。
「アイツ等・・・李、桐野、白井、辻、本田、岩城、岡野、長谷部・・・」
胸の奥に沈んだままくすぶっていた名を、一つずつ舌の上に引きずり出すように、久美は研究室のメンバーの姓を吐き捨てた。
「ああ・・・そうだ、小田切もだ・・・」
(……溜まってる…ようだな……)
そのとき、不意にショルダーバッグの奥から声が響き、久美はびくりと肩を震わせた。
視線を恐る恐るバッグの方へ向ける。
「な、何よ・・・出てきたの3年ぶりじゃない・・・?
何してたのよ?」
(……静観してた…だけだ……)
「静観って・・・見てはいたってこと?」
(……ああ……事を成したあと……『どうなるのか?』と思ってな……
しかし…3年で12人……我慢してるじゃないか……)
久美はイラついたように頬杖をつき、やり場のない視線を正面の木々へ投げた。
「ふん! 見てたんならわかるでしょ?
消しても、消しても、ムカつくヤツばっか溢れてくるのよっ!!」
足元の石を拾うと、生け垣に力一杯に投げ入れた。
ガサガサッ…と生け垣に石がぶつかる音が静かな公園に響いた。
(…溢れるのに…なぜ消さない?…)
久美はその問いに一瞬だけ目を見開き、次の瞬間には、張りつめたものが切れたように大声で笑った。
「あはははは・・・そんなことしたら、誰もいなくなっちゃうわ!!
私1人だけになっても、誰も評価しないんじゃ意味ないのよ!!
でも・・・低評価されるのはムカつく!!
あのクソジジイ・・・私のレジュメのどこがダメだって言うんだ!!
そのくせ、結果が出てないようなレジュメばかり褒めちぎりやがって・・・」
(……小田切を…消すか?)
「消したいけど、あのジジイを消したら、研究室が無くなる・・・
それはダメ・・・・・・あのジジイの権威は本物なのよ・・・」
久美はそう言って、“ギリリ……”と親指の爪を噛んだ。
「でも、同期のメンバーはその限りじゃない・・・」
噛んだ爪を口から離すと、久美はニヤリと笑った。
そして、バッグからタブレットを取り出し、電源を入れた。
パスワードを打ち込むと、タブレットのホーム画面があらわれた。
久美は画面の右上を確認する。
「・・・あ、Wi-Fiが・・・」
真央のタブレットはWi-Fiモデルで、SIMは挿さっていない。
高校時代、久美は校内のWi-Fiを利用していた。
通常、授業用タブレットでしか接続できないのだが、“タブレット自身”がそのフィルタリングを看破して接続可能にしていた。(*これに関して機械に弱い久美は知らない)
そして、京都大学への入学に合わせて、自分のスマホで使っているキャリアのWi-Fiサービスに申し込んでいた。
久美はタブレットを掲げて、Wi-Fiを探す。
「確か、この辺りにもスポットがあったと思ったけど・・・」
立ち上がって数歩移動すると、自動接続が始まり、Wi-Fiマークが点灯した。
「やった! 出た!!」
久美は周囲を見回して空いている椅子を確かめると、その一つに腰を下ろした。
そして、VPSへの接続アイコンをタップした。
自動接続が始まり、画面にVPSの画面が表示された。
その画面にあるアクチュアリーのショートカットをタップすると画面が暗転し、ゲームのタイトル画面が表示された。
ピロンッ!!




