元赤坂の森
真央はそんな表の世界の戸惑いを置き去りにして、迎賓館の裏手――広大な主庭へと足を踏み入れていた。
真央は立ち止まり、後ろを振り返る。
前庭のライトアップは建物に遮られ、迎賓館の輪郭だけが、ワイヤーフレームのように闇の中へ浮かび上がっていた。
主庭にある噴水がザアァ…と冷たい水音を立てて、飛沫を上げ続けている。
その噴水を横目に歩を進めていくと、元赤坂の森が目の前に広がっていた。
この森の中には外灯などない。それゆえに、森はさらに深い黒い姿を見せて立ち塞がっている。
主庭の人工の美から森へと降りていく階段は、真央には、あの迷宮の入口にあった闇のように思えた。
「ははは・・・、まるで迷宮の入口だな・・・」
ぽつりと零した声すら吸い込むように、階段の先はすべてが闇に沈んでいた。
真央はその階段を、暗闇に向けて慎重に降りていく。
カサッカサッ……
足元に落ちている落ち葉が乾いた音を立てる。
先ほどまで固い人工物だったが、地面の柔らかい感触が靴の裏から伝わってきた。
警戒するように進んでいくと、舗装された庭園の道路に出た。
真央は身をかがめて、地面に顔を近づけて、目の前に広がる空間の輪郭を探った。
「芝生だ・・・」
かろうじて見えるのは左手の木々と芝生の輪郭だけ。 その先までは闇に遮られ確認できなかった。
立ち上がって芝生の方へ歩を進めると、ブンッ!という音が闇を切り裂いた。
真央は反応して体を思いっきり反らした。
チッ!
木刀の切っ先が鼻先をかすめた。
「なっ!?」
真央はすぐさま低い体勢を取り、何も見えない周囲に視線を何度も送る。
「ほお~、今のを避けるか。 黒木の言ったことは本当じゃったか。」
闇の奥から、低く掠れた老人の声が響く。
真央は先ほどかすめた鼻先を手の甲で擦り、声のする方を確認するがよく見えなかった。
頭を左右に振って、都市からの漏れるかすかな光で相手を確認しようとした。
(・・・くそ・・・見えないな・・・ミルマ使うか・・・?
いや・・・・・・魔法を見られるのは、マズいな・・・
・・・それより・・・向こうから見えるの? なんで・・・?)
真央が目を細めて何度も確認していると、声の主が手を挙げる。
パチッ!
空気が爆ぜるような音が聞こえたと思った次の瞬間、周囲に用意されていた一連のかがり火が一斉に点火された。
激しく揺らめくオレンジ色の炎が、森の一部を赤々と浮かびあがらせた。
真央が立っている場所は、芝生エリアのど真ん中だった。
芝生を囲むように舗装された道路が円を描き、その道路にかがり火が真央を取り囲むように配置されていた。
かがり火の足元には、黒い袴を着た男女が、片膝と片手を地面につけて低く平伏している。
誰もがピクリとも動かず、顔を伏せたまま真央へ身体を向けていた。
「立花真央じゃったか?」
真央は名前を呼ばれ、振り返ると木刀を帯に差した背の低い老人が、そこに立っていた。
自然体で立っているだけだった。 なのに真央はゴクリと息を飲んだ。
「は、はい、そうです。」
「黒木の話だと、おぬしは真剣での戦いを鍛えたいとのことだが?」
真央は周りと同じように平伏して答えた。
「はい! 仲間を助けるため、自己流ではなく・・・強い剣技を覚えたいんです!」
「仲間を助けたいとな・・・どこかに囚われておるのか?」
「ツッ・・・・・・は、はい・・・」
アクトリアの皆を想い、地につけたこぶしに力が入って声が震えた。
「面をあげてみよ。」
真央は顔をあげ、老人の顔をジッと見つめた。
老人は顎髭を数回指でつかむようになでる。
「晴樹!」
「ハッ!!」
かがり火の足元にいた一人の男が立ち上がる。
「まずは実力を見せてもらおうかの・・・」
帯に刺した木刀を抜き、真央に放り投げた。
真央は膝をついた状態で、片手を上げて木刀をパシッ!と受け取る。
「あの晴樹は、影の中で最も速い剣を持つ男じゃ。
立花真央、おぬしの実力、見せてみい!」
晴樹が芝生の中へとゆっくりと入ってくる。
真央は立ち上がり、その場で晴樹を待った。
老人は芝生の外へと歩いていき、通路上に用意されていた小さい木の椅子に腰を下した。
真央と晴樹は、芝生の中央で対峙した。
老人が隣にいる女性に首を回して声をかける。
「薊、開始の差図を・・・」
「はっ!」
薊は立ち上がり、一歩、芝生に入ると手を上げる。
「始めっ!!」
薊が手をバッと振り下ろして差図を掛けると同時に、晴樹が一気に上段へ木刀を持ち上げて踏み込んだ。
「キィエェーイッ!!」
大声で掛け声を出し、ものすごい速度で木刀を振り下ろした。
「ふっ!!」
真央は木刀を片手で振り上げ、晴樹が振り下ろした木刀を弾こうとした。
カアーン!!
木刀は真央の手を離れ、芝生の上に転々と転がった。
(・・・・・・受けれると思ったのに・・・)
真央は体に粟立つ感覚に襲われた。
「真央! おぬしは示現流の事を、どれぐらい知っておるか?」
老人が真央に向かって尋ねた。
真央は老人に向き合って、申し訳なさそうに答える。
「すいません・・・何も知りません。」
老人はその様子に「ククク・・・」と少し笑いながら、示現流について説明する。
「示現流は初太刀に命を乗せる剣でな。
“一の太刀を疑わず、二の太刀要らず”というほど、初太刀を磨き上げる。
今、おぬしはそれを知らず、片手で受けようとした・・・だから木刀をはじき落とされた。」
真央の後ろで晴樹が、転がった木刀を拾い上げる。
「だが、悪くない・・・受けさせるつもりもなかったのだが・・・
オレの剣筋がちゃんと見えているようだな。」
晴樹はそう言って、木刀を真央に差し出す。
真央はしびれた右手をグッパグッパしながら、左手で木刀を受け取った。
掌から肘にかけて、まるで電流が走ったかのような激しい痺れが残っている。
木刀を握り直す指先が、自分の意志に反してわずかに震えていた。
アクトリアの迷宮で、“アースジャイアント”や“フロストジャイアント”の怪力を受け止めた時とも違う、人間の身体から放たれたとは信じがたい、密度の高すぎる“質量”の一撃だった。
思わず真央は笑った。
レベルアップという反則技をこの世界に持ち込んだ自分。
そんな自分を超える肉体を持つ常人が、目の前にいることに、目を輝かせた。
(ほお~・・・晴樹の技を見て笑うとは、なかなか大した胆力よ・・・)
「しびれが取れるまで待つか?」
真央が手のしびれを気にする様子を見て、晴樹が尋ねてきた。
「いえいえ、実戦では痺れがあろうと、敵は襲ってきますから・・・
このままやりましょう!」
「・・・そうか」
真央の言葉に、晴樹は一瞬目をわずかに開いて驚き、すぐに目を伏せ“フッ”と笑った。
真央は木刀を左手に持ち、痺れた右手を添えるように握った。
その所作を見て、老人が体を前のめりにする。
構えを下段に構え、切っ先を右に傾ける。
「霞か・・・」
晴樹が真央の構えを見てそう呟く。
老人は、それを見て驚いた。
「あの小僧・・・晴樹の初太刀を避ける気じゃぞ・・・どう思う、薊・・・?」
「ありえません。 晴樹の神速の初太刀を避けるなど・・・」
「だから面白いのだろう・・・ほれ、二人とも合図を待っておるぞ。」
薊は手を振り上げて、「始めぃ!!」と声と同時に手を振り下ろした。
晴樹は先ほどとは違い、すぐには打ち込まなかった。
真央の右に構えた切っ先を避けるように、右手へと周る。
それに合わせるように真央は左足を引き、手首を返して切っ先を左へと切り返す。
手首を返した事で、少し窮屈な構えになった。
それを見て晴樹が動く。
「キエェーーーイッ!」
晴樹が真央に向かって強く踏み込んだ。
「フッ!!」
真央は木刀をすばやく持ち上げる。
先ほどと違って弾くのではなく、切っ先を下に構え、振り降ろされる木刀を斜めに受けた。
ジャァーーーッ!
晴樹の木刀が、真央の木刀の上を流れるように走る。
真央はそこから、晴樹の横に右足を内側に向け大きく踏みだす。
そこから体を晴樹の方へ捻り、木刀の切っ先を、流れるように晴樹の脇へ滑り込ませた。
「お見事!」
そう言って老人は手を叩いた。
「晴樹の初太刀を2回目で見切るなんて・・・」
薊は驚いて呟く。
周りで見ていた影の集団も顔を見合わせて、ざわつく
「いえ、違います・・・」
真央が否定すると、その場にいる全員が更にざわついた。
「なんだと?」
「違うだと?」
「我ら影をバカにするのか?」
真央は目を伏せ、俯き気味に首を振る。
「晴樹さんの初太刀は、1回目と寸分たがわない技とスピードでした。
だから、対応できただけです。
もし、違う剣筋・・・フェイントなどを入れられたら・・・
対応できなかったと思います。」
真央はそう言って晴樹を見つめ、悔しそうに顔を歪めた。
それを見た老人が笑う。
「カッカッカッ・・・面白い男じゃのう・・・
晴樹、こんなことを言っておるぞ。」
晴樹は困った顔をして、木刀を持ったまま後ろで手を組む。
そして、真央に向きなおす。
「言いたいことはわかる。
だが、私の初太刀を二度目で見切ったのは、君が初めてだ。
だから、自慢していい。」
真央はその言葉にポカンとする。
「・・・自慢・・・ですか?」
晴樹はその真央の表情を見て、苦笑いしか出なかった。
「カッカッカッ・・・実戦に身を置きすぎて、自分の異常さに気付きよらんか・・・
そうか、そうか・・・どれ・・・」
そう言って老人が立ち上がる。
その瞬間、平伏していた袴姿の者たちが、さらに深く頭を下げた。
晴樹もすぐさま平伏した。
真央は“えっ?”という表情になり、周りを見回す。
老人は晴樹の近くまで歩み寄ると、晴樹は自分の木刀を、頭の上に両手で掲げた。
その木刀を老人が受け取ると、晴樹は立ち上がり首を垂らしたまま後ろ向きに下がっていき、周囲の輪の所で膝をついた。
老人は真央の目の前までやってくると、
「では、改めて名乗ろうかの。
ワシは裏・示現流十五代目当主、東郷重臣。」




