推薦の果て
――― 口加高校(3年前)
3-Dの担当である幸田が朝のHRのために、教室へと向かう階段を登っている。
ただ、その足取りは重く、表情は硬かった。
原因は、昨日の職員会議で決まった、久美の京大推薦への繰り上げだった。
(・・・木下さんがいなくなったからとはいえ・・・
ただ、安直に推薦枠を次席へ回すって・・・なにか、機械的で嫌だわ・・・・・・)
当然、昨日の職員会議でも、同じような話は出ていた。
だが、校長と教頭は、学校のことしか考えておらず、生徒は二の次だった。
『今期の推薦枠を外せば、来期の推薦枠を貰えない可能性が高いです。
その為、“誰も推薦しない”という案は却下とします。
次席の“安永久美”さんも、試験の判定では問題はありませんので、
わが校は京大の推薦には“安永久美”さんで決定ということにします。
次に――・・・』
それは、有無も言わせない校長の言葉だった。
「はあ~~~っ・・・」
幸田は大きなため息をつく。
(失踪事件がこれほど大きくなっているんですもの・・・
大学側に説明すれば、事情は分かってくれると思うんだけど・・・
あの校長と教頭じゃ・・・無理よね・・・)
幸田は、教室の入り口の柱に設置されている“3-D”のパネルを見上げる。
ドアを開けようとするが、手を止めた。
すぅ~~~~っ! はぁ~~~~っ!
大きく深呼吸をして、気持ちを切り替えると、先生の顔に戻った。
ガラガラガラ………
「起り~つッ!」
ガガガガ…と机と椅子が教室の床を擦って音が響く。
幸田はドアを閉め、教壇の所まで歩くと、生徒たちに向いてニコリと笑う。
「おはよう。」
「礼!」
「おはようございます!」
「着席~ッ!」
ガタガタ…と座る動作に再び音を鳴らす。
「出席を取ります!」
幸田はそう言うと、クラスの生徒の名前を呼んでいった。
「休みは、立花君、山本君、柏木さんの3人ね・・・」
そう言って、出席簿に3人をチェックしていく。
出席簿を教壇の上に置いた。
「今日は、大変うれしい連絡があります!
安永久美さんの京大推薦が決まりました!」
幸田の発表に、教室内がザワザワとなった。
「京大の推薦って・・・陽菜乃さんが決まってたやつだよね?」
「スライド・・・」
「いなくなったからって、早すぎじゃない?」
生徒たちの声に、幸田が慌てて手を叩く。
パン!パン!パン!
「静かにーっ!
決まったのはウチの高校から京大推薦に送るってことだけよ。まだ決定じゃないわ!
安永さんは、これから推薦を通るためにやらなきゃいけないことが沢山あります。」
幸田の説明に、教室内に「な~あんだ」という空気が流れる。
「そうだよな。 推薦でも落ちる時は落ちるんだもんな。」
「世の中、そんな簡単じゃないわよ。」
「ランクの低い大学の推薦の方が楽じゃん。」
ザワザワとする教室と、視線が後ろに座る久美に向けられる。
久美は静かに笑っていた。
「先生!」
久美が手を上げる。
「先生、それは私が落ちると言いたいんですか?」
急に教室の空気が重くなった。
その空気に生徒たちが口をつぐみ、教室はシン!となる。
幸田は教壇に置いた手をギュッと握ると、出来る限りの笑顔を見せて答える。
「違いますよ。
何もせずに合格できるわけではないと、教室のみんなに説明したのよ。」
久美は頭を少し左に捻り、利目の右目で射貫くように、顎をゆっくり上げて、見下ろすように教壇の幸田を見つめる。
「それなら、いいです。」
幸田は目を細めて久美をジッと見る。
久美の周りの空気が揺らいでいるような気がしたからだ。
(なに・・・あれ・・・?)
「先生・・・?」
教壇前の女子生徒が固まった幸田に声をかけた。
幸田はハッとして、HRの終わりを告げる。
「あ、ごめんなさい。 ちょっとボーッとしちゃったわ。
じゃあ、今日の連絡事項はこれでおしまい。
安永さん以外も勉強頑張って!
文化祭が終わった後は、もう言い訳なんてできないからね!
・・・じゃあ、日直おねがい。」
「起り~つ! 礼! 着せ~き!」
幸田は一礼をして、出席簿を手に取り教室を出て、ドアを閉める。
ガラガラガラ……
「ふう~・・・」
ため息をつき、そのまま立ったまま視線を床に落とす。
(あれが・・・生徒たちの言う“重い空気”ってやつかしら・・・?)
「あら?」
幸田は、左の小脇に抱える出席簿が、汗で湿っていることに気づく。
そして、手を開いて見つめる。
「あ・・せ・・・?」
――― 現実世界(現在)
ザワザワと喧騒が響く店内。
大きなガラス越しの二車線道路には車が行き交い、目の前の歩道には人々がスタスタと速歩で過ぎていく。
店舗の道路側はすべてガラスになっており、壁はすべて木製のパネルがはめられ、窓に出来ない場所は窓を装うような木枠がはめられ、枠内にはどこかの森の中のような写真が飾られている。
そうすることで、店舗内を都市とは切り離した空間を演出していた。
道路側のガラスには、長いテーブルが設置され、そのテーブルには1メートル毎に角を丸めた木の板で区切られており、一人用のスペースとして使えるようになっていた。
そのスペースでノートPCのキーボードを叩く一人の女性がいた。
専門書をノートPCの左側に置き、ノートPCの右側にはモバイルディスプレイがノートPCと接続されている。
そして、モバイルディスプレイの前には、あのタブレットがあった。
そう、その女性は、現在の安永久美。
太かった眼鏡のフレームは細く洗練され、
肩口までだった黒髪は、肩甲骨の下あたりまで伸びていた。
青みがかったグレーのリクルートスーツを着てヒールを履き、足元の物入れのカゴには肩掛けのバッグとスーツの上着が入っている。
同級生が見ても、同一人物とはすぐには気づかないような容姿に変わっていた。
ノートPCのモニターには、論文と思われる文章が編集中で、モバイルディスプレイには検索できるようにブラウザーが表示されている。
「くそ! くそ! くそっ!」
論文を打ち込むキーが、バシバシと音を出す。
隣にいたサラリーマンがちらりと横目で久美を見る。
その音が気になって落ち着けず、立ち上がると荷物を持って別の席へと移動していった。
久美の手が止まる。
テーブルに両肘をつき、手で顔を覆った。
「なぜ、認められない・・・どうすれば教授に認めて貰える?」
背の長い椅子の足掛けで、久美の足が上下にカタカタと揺れる。
「1、2年はまだよかった。 一般教養と薬学の基礎科目を適当にこなしていれば、まだ「推薦の安永さん」でいられた・・・
なのに、3年になってから始まった実験とレポート・・・私のデータが、私の考察が、教授の『論理』に届かない・・・」
揺れていた足が止まる。
顔を覆っていた指を開き、そこから書いている論文を覗く。
視線が動き、モバイルディスプレイと自分の論文を交互に見つめる。
「実習が・・・教授に認めてもらえるような結果・・・何をすればいい・・・?」
背を伸ばし、飲み物の入ったトールサイズのカップを手に取り口をつけた。
「くそっ、次は誰を消せば、いい方向へ行けるのよ!? 教えなさいよ!」
(……クックックックックッ……本当に…見ていて愉快な奴だ……)
タブレットはただ淡い光を放つ。
「黙ってないで、昔みたいに教えなさいよ!」
久美は無事に推薦で入学ができていた。
だが、大勢の秀才の中に埋もれ、思ったような成績は残せないでいた。
更に推薦で入学したことが、立場を危うくさせていた。
一般入試で入った学生たちの方が久美よりも上におり、小馬鹿にされる時があった。
その為、大学2年生の中盤以降――邪魔な存在を12人消してきた。
だが、高校の時と違って人のつながりは薄く、学生が一人消えた程度では周囲はすぐに日常へ戻る。誰しもが他人より自分のことが大事だった。
そして、久美の順位も評価も、何一つ変わらなかった。
「消しても、消しても、下からどんどん突き上げてくる・・・どうしてよ・・・?」
久美は再び頭を抱えた。
大学という巨大な“知”という集積地での冷ややかな視線に、焦りと恐れが常に付きまとっていた。




