Y
―――3-D
教師が教室を飛び出して5分ほど経ったが、戻る気配がまったくない。
だが、教室は5月の頃のように、騒ぐ生徒は少なかった。
多少の雑談はするものの、それが長続きしない。
話が途切れ、会話の内容を把握できないこともあった。
「先生、戻って来ないわね。」
久美がボソリとつぶやいた。
(…あれは…しばらく戻れんだろう…)
「そうなの?」
(……あれの体に…支障が出てるな…)
「どんな?」
(……心臓に…負担がかかってるだろうな……)
「どうみても、中年太りだもんね。」
久美はそう言って頬杖をつき笑った。
ぼそぼそと何かをしゃべる久美を、隣の男子生徒がちらりとバレないように目線を配る。
「見るんじゃねえ・・・」
久美は目線を正面に向け、頬杖をついたまま、聞こえるようにつぶやく。
「ひっ!」
男子生徒は慌てて目線をノートへ戻す。
ペンを握る手が汗でべとべとになった。
久美は机の中からタブレットを取り出して机に置く。
(……このタイミングで…やるのか…?)
「来週から中間テストだからね。
邪魔者はいない方がいいに決まってるわ。」
そう言って笑う。
慣れた手つきでキャラメイクする。
名前は「T」
ボーナスは12が出た。
久美の手が止まった。
「ねえ、12ってボーナス……大きいの?」
(……それほど大きくないな……出る時は…20以上が出る…)
「・・・・・・ふ~ん。」
そう言って久美は「作りますか?」の問いに N を選択してメイキングを止め、
再びキャラメイクを始める。
名前は「T」
ボーナスは8が出た。
「くふっ!」
久美はおかしくてしょうがない。
全部自分の手のひらの上で、コマのように操作できるのだ。
「職業は・・・『盗賊』かしら・・・
スポーツマンで女子にも人気の高い『藤堂』・・・
あいつが盗賊っておかしくてしょうがないわね。
そして、悪属性。
この属性が何を表しているのかわからないけど、善にはしてあげないわ。」
そう言って、ニヤニヤと笑う。
【この人間を作成しますか? Y/N】の問いが画面に表示される。
「くふぅ、くふっ! ほんと簡単ね。くふっ・・・」
そう言って笑いながら【Y】をタップする。
「きゃあああああっ!!」「うわあっ!!」
廊下の向こうから、悲鳴が聞こえてきた。
その悲鳴にクラスが久しぶりにザワザワと騒いだ。
久美は眼鏡を左手で外し、右手で顔の右側を覆う。
少し窓の方に顔を向け、笑っているのを見えないようにした。
―――3-A
時間は少しさかのぼり、藤堂智久が消える直前。
Aクラスの担任、間島のチョークが黒板を叩く乾いた音が、静まり返った教室に響く。
難関大の入試過去問から引かれた、微分積分の応用問題。
グラフの概形から面積を求める、計算力の差が出る一問だ。
数学教師の間島は教卓に手をつき、自信たっぷりに振り返った。
「よし、この問題を藤堂!
お前がみんなに解説しながら、答えを導き出してくれ!」
「はい。」
藤堂は立ち上がって、教壇へ向かう。
「よく見ておけよ!
どういうところから、どういう観点で、どういう風に解いていくのか参考になるはずだ!
・・・藤堂は間違えるなよ。」
間島は笑いながら藤堂にそう言った。
藤堂は間島の方を見て「善処します。」と答えた。
藤堂は、黒板から少し離れた位置で問題を眺めた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
放物線 y = x^2 - 4x + 3 と、点(0, -1)を通る傾き m の直線が接するとき、
その接点の座標と定数 m の値を求めよ。
さらに、その放物線と直線、および y 軸で囲まれた部分の面積 S を求めろ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
少し考えて、「ああ~・・・」と小さく何度か頷き、チョークを手に持つ。
解説しながら、黒板にチョークで式を解いていく。
「まず、直線の式を y = mx - 1 と置きます。
放物線と直線が接するということは、連立方程式
x^2 - 4x + 3 = mx - 1 の解が重解を持つということです。
整理すると、x^2 - (m + 4)x + 4 = 0。
この二次方程式の判別式 D が 0 になればいいので、
D = (m + 4)^2 - 4 * 1 * 4 = 0
(m + 4)^2 - 16 = 0
m^2 + 8m = 0
m(m + 8) = 0 となります。
グラフの形状から、傾き m が負の時を考えると m = -8。
このとき、接点の x 座標は式の中心軸にあたる x = (m + 4) / 2 に代入して、x = -2。
接点の y 座標は放物線の式に代入して、y = 15。
よって、接点は (-2, 15)、傾き m = -8 です。
最後に面積 S ですが、積分範囲は y 軸(x = 0)から接点(x = -2)までになります。
S = ∫[-2→0] (x + 2)^2 dx
S = [ 1/3 * (x + 2)^3 ](範囲 -2から0)
S = 1/3 * (2^3 - 0) = 8/3
したがって、求める面積は 8/3 です。」
答えを示すと、間島を見る。
間島は目を伏せ拍手をする。
「正解だ。」
「おお~・・・」
Aクラスの生徒たちから感嘆の声があがった。
藤堂は笑いながらチョークを黒板に置こうとした――その瞬間だった。
パキッ! カラン!カラカラカラ……
藤堂が消え、チョークが床へ落ちて、二つに折れたあと教壇の下へと転がった。
間島はその瞬間、驚きのあまり体重が後ろに乗りすぎて、パタパタとかかとで後ろへずり下がり、尻餅をつく。
教室の生徒のほとんどがその瞬間を目撃した。
あまりの衝撃に立ち上がって、悲鳴を上げた。
「うわあああーーーっ!!」
「きゃああああああっ!!」
――― 3-A 放課後
生徒たちは全員家に帰され、教室内には県警の岩永、後藤、そして科捜研が教室を調べている。
藤堂が落としたチョークの痕には白のテープが貼られ、その周囲では科捜研の数人が床に這いつくばって何かを探していた。
間島は教室の椅子に座り、頭を抱えていた。
その隣では、副担任の如月が心配そうに間島を見つめている。
そこに岩永が近づく。
「間島さん・・・少しは落ち着かれましたか?」
その問いに、抱えていた頭をゆっくりと持ち上げる。
間島は、先ほどまで錯乱状態だった。
人間が消えるという衝撃は、未熟な高校生よりも、現実的な大人の方が大きいようだった。
「あ・・・いや・・・なんだろう・・・・・・おかしいな・・・」
間島は意味の分からない日本語を繰り返す。
頭を抱えていた手を見ると、ブルブルと震えていた。
「・・・・・・先輩・・・」
普段の間島との豹変に、如月が困惑する。
岩永はため息を一つつき、間島に言った。
「今日は無理そうですね・・・送らせます。
一晩、ゆっくり休んでください。」
「あ、ああ・・・そうだな。 うん。 ・・・そうだ・・・帰ろう・・・」
「先輩・・・立てますか?」
如月が間島に問うと、間島はゆっくりと立ち上がる。
ガタン! ガタガタッ! キィーッ!
歩こうとした瞬間、足がもつれ、学生の机におぶさるようにして止まった。
机が揺れ、はじかれた椅子が床とこすれて音を響かせた。
岩永は慌てて、間島の腕を小脇に抱えて起こす。
「おい! そこの君、手伝え。」
岩永が、教室の外で誰も入らないように警備していた南島原警察署の警官に声をかける。
警官は一度「自分ですか?」と自分を指さす。
岩永がこくんと頷くと、教室の中へと入ってくる。
「何でしょうか?」
「間島氏を車まで支えてくれるか? まともに歩けんようだ・・・」
警官は間島に一度視線を落とす。
余りの焦燥に、まともに体を動かせない間島をみて納得する。
そして、警官は間島に肩を貸すと、確認するように岩永を見る。
「頼むぞ。」
「はい。」
返事をしたあと、警官と間島、そして如月が教室の外へと出て行った。
岩永は無線で体育館前に待機している車両に連絡する。
「間島氏がこれから出て行く。自宅まで送ってくれ。」
(――了解しました。)
「ちゃんと玄関の中まで送れよ。」
(――はい。)
ふう~~~っ・・・
無線を切ると、一度大きく息を吐いた。
「また学年一位か・・・」
後藤が、掲示板に貼られた紙をめくりながら言った。
岩永は顔をしかめながら、右手で顔を何度も強くこすった。
そして左の拳を、肘を曲げた状態で前後に何度もゆすりながら口を開いた。
「夏休みの間は何事もなく・・・
二学期が始まって、学生や教師は我々には感じない圧を感じ・・・
そして、中間テスト前に一位が消える・・・」
めくった紙を放し、体をひねって岩永の方に視線を送る。
「あからさまだな・・・
成績上位を消す・・・目的は完全にこれだ。」
岩永は口元を押さえながら、考えながらゆっくりと話す。
「そうですね・・・犯人の意図がかなり見えてきました・・・
ですが・・・どうやって人を消すんでしょう?」
「わからん。」
「問題はそこなんですよね・・・」
岩永は頭をガリガリと掻き、深く息を吐いた。
「・・・この学校で、いったい何が起きているんだ・・・・・・」
静まり返った3-Aに、その声だけが沈むように落ちていった。




