ファーストキス〜おわかレモネードの原則〜【※】
【※注意】第3王子によるスキンシップ表現あり(R-15:背後注意!)
沈黙を破ったのは、ニコくんのお兄さんだった。
「性別が男の場合、ニコが鏡の前で『さよなライム』を持った時に、一緒に元の世界へ帰ることができたんだがな。君は女性だから戻れなかったのだろう」
「そんなっ! もしかして、ぼくは、元に戻れない……?」
「まぁ、帰る方法はあるさ」
「いやっ……ぁ!」
唐突に、お兄さんがぼくのおへそを服越しに上からなぞってきた。
自分の高くて甘い声に嫌気がさして、ぼくは慌てて両手で口を隠す。
それでも、ニコくんのお兄さんは指の動きを止めてくれない。
「な、何して……っ!」
「親子の絆の証――かわいいおへそだ。君はお母さんからしっかり栄養と愛情を受け取ったんだな」
(あっ、お母さんの愛情……って表現はとても嬉しい。でも、いきなり、おへその話をするなんて!)
ぼくは真っ先に目を逸らしたかった。
そもそも「かわいい」なんて絶対に言わなさそうなお兄さんが褒めてくれたこと自体がむず痒いし、ぼく自身、お母さんのことを思うと、今にも涙が出てしまいそうになる。
なのに、ぼくを揶揄ったお兄さんの方が頬を赤く染めて、そっぽを向いた。
「今のは、父上と王妃様から教わった話だ。本当はいろんな話を聞きたかったところだが……二人とも帰らぬ人になってしまった」
王妃様――ぼくの大好きなお母さんのことだ。
どうして、ニコくんのお兄さんが、お母さんと接点を?
ぼくが聞かなくても、お兄さんがぼくの気持ちを汲み取って、話を続ける。
「俺は元々、体が弱かった。さらに、父上が亡くなってからは、生死の境を彷徨っていた。そんな絶望的な状況でも、俺の命を救ってくれたのは、王妃様――レンゲ様の回復魔法だった」
「回復魔法……」
「天使族にしかできない魔法だ。大怪我でも治すことができるし、自身の傷も癒せると聞いたことがあるが――」
黒手袋越しに、お兄さんがぼくの両手首を力強く握りしめ、ぼくの鎖骨あたりに顔を近づける。
「例えば、君の血を吸ったら、どうなるのか試してみたいところだが?」
「あぁっ……! 美味しくないからダメっ!」
「美味しくない? ふーん、自分で血を飲んだことがあるのか?」
「ぼくは吸血鬼じゃないから、飲んだことなんて……! やぁっ……、やめてっ!」
お兄さんの熱い吐息を直に感じてしまい、ぼくは茹でダコのような顔をしながら、必死に抗議する。
その上、お兄さんの紅い艶髪もぼくの肌に当たっているから、とてもくすぐったい。
つい、くすくすと笑ってしまったぼくだけど、お兄さんは微動だにしなかった。
(あっ、悠長に構えている場合じゃない!)
このまま、血を吸われるのはまずい。
ぼくの正体が天使族だとバレる。
「吸血鬼じゃないのは、見ればわかる。君は天使族なのだろう?」
ギクッ――!
(しまった、今のはちゃんと誤魔化さないといけなかったのに!)
単刀直入に言われるとは思っていなくて、動揺のあまり、全身が大きく動き、同時に冷や汗もかき始める。
早く言い返したいけれど、何を言っても、見透かされてしまいそうだから……ぼくは口を噤んだ。
「ふっ……」
またしても笑われてしまった。
「お嬢さんは嘘をつくのが苦手なんだな。隠し事をしていると、そのウサ耳が交互にぴょこぴょこ揺れている……」
「あっ……!」
(ぼくのバカ! さっきの麻雀で役満チャンスの時に、ニコくんにも同じことを指摘されたんだった!)
急いで頭のウサ耳を両手で掴んで揺れているのを抑えたいところだけれど、お兄さんに手首を握られてしまっているせいで、触れることすらできない。
剣術バトルでは勝ったのに、討論バトルだと、ぼくは勝てそうにない。
かといって、自分が天使族と認めてしまえば、第一王女だと自らバラしているようなものだ。
ぼくは反論できない現状に悔しさを覚えて、唇を噛み締める。
「おっと、言い過ぎたな。君の可憐な姿をたっぷり堪能したことだし、そろそろ元の世界へ帰る方法を教えよう」
「えっ、本当にー?!」
一転して、「帰る方法」が分かってしまえば、この状態から解放されると思い、現金なぼくは頬が緩んでしまった。
「あぁ。方法はふた通り。まず、ひとつ目。女性の場合は『おわかレモネード』というアイテムを鏡の前で持たないと、元の世界に戻れない」
直後、コトンッ――と机の上に缶ジュースが落ちてきた。
(今すぐにでも戻りたいよ。ルルに会って、ニコくんの安否を確認して、チョコくんに『大丈夫だよ』って伝えて、不安を取り除いてあげたい! 早く缶ジュースを回収しよう!)
ぼくは身を乗り出し、藁にも縋るような思いで、机の方へ手を伸ばそうとした。
しかし、お兄さんに両手首を握られてしまっているから、届きそうにない。
ぼくは頬を膨らませ、不満げに嘆願する。
「お兄さん! 戻りたいから、早く手を解いてください!」
「お嬢さん、冷静に。そうだな、もう一つの方法を選んだ場合、瞬時で元の世界に戻れるんだが、どうする?」
「瞬時って……?」
簡単に甘い誘惑に乗るわけにはいかないけれど、ここでお兄さんと二人っきりでいるよりは、一秒でも早く帰りたいという気持ちの方が優勢だった。
「その方法を実行し終えた途端、君は元の世界で目が覚める。ちなみに、『おわかレモネード』はゲーム世界からの転送作業を挟むから、目を覚ますまでに30分ほど時間がかかるんだ。どうする、お嬢さん?」
「早く帰りたいから、お願い! 教えてください!」
「……わかった」
ニコくんのお兄さんが深く考え込んでいる中、ぼくはぼくで、「瞬時に戻れる方法」がどんな手段なのか想像してみることにした。
『お疲レモン』に『さよなライム』、そして『おわかレモネード』――この柑橘系の法則なら、次は『おやすミカン』を食べる流れになるんじゃないかな?
おじさんがお庭でよく蜜柑の木を育てていたから、ぼくは蜜柑が大好物だ。
蜜柑を食べながら、現実世界に帰ることができたら、一石二鳥だよね?!
ぼくはご褒美の蜜柑だと一人でワクワクしていたが、「そろそろ準備はいいか?」とお兄さんに話しかけられ、風船ガムが割れるようにパンッ! と思考が止まってしまった。
(しまった! 大切なことを聞いているのに、自分の世界に入っちゃった!)
「ごめんなさいっ! 大丈夫です!」
「それなら、ゆっくり、目を閉じて」
「えっ?」
不安がどっと押し寄せる。
「目を閉じて」と言われても、本当に大丈夫なの?
「お嬢さん。一刻も早く帰りたいのだろう?」
有無を言わせない雰囲気のまま、お兄さんが距離を詰める。
「待って……何をする気なの……?」
「そう警戒しなくても。先に、『だいすきストロベリー』を持って」
ずっとぼくの手首を握っていたお兄さんだが、とうとう離してくれた。
ポンッ!
先ほどの『おわかレモネード』と同じように、お兄さんの右手に、かわいらしい苺のぬいぐるみが現れる。
すぐさま、そのぬいぐるみをぼくの手のひらに渡してくれた。
「じゃあ、これを持って、鏡の前に……?」
「いや、鏡に行く必要はない。ここで完結できる」
ぼくが苺のぬいぐるみを持った両手の上に、お兄さんの大きな手が重なる。
「何を……!」
「Shhhh……」
(あれ、顔が近いっ!)
お兄さんの端正な顔が近づいてくるのが怖くなり、ぼくはぎゅっと目を閉じた。
「ん……っ……!」
ぼくの体温よりも、お兄さんの唇は冷たい。
ダークチョコレートみたいにほろ苦い感触。
でも、その冷たさは消えていき、次第に、ホットチョコレートのように優しく甘い感覚で支配されていく。
手も、体も、温かさを通り越して、溶けてしまいそう。
目を閉じなければよかった。
一粒の涙がぼくの右頬をゆっくり伝っていく。
少女漫画で憧れていた、甘い夢を叶えることはできなかった。
好きな人に唇を捧げると決めていたのに。
ぼくが生まれて初めて味わったファーストキスは、苺のように甘酸っぱいものになった。
だけど、ぼくのお母さんが助けたお兄さんと、ここでお別れするのは寂しい気もして。
ぼくはお兄さんに体を寄せてしまっていた。
お兄さんも、ぼくの両手を強く握ってくれた。
そして、お互い何も話さず、唇が離れたところで――ぼくの意識はシャボン玉のように消えていった。
サラちゃんのファーストキスを奪ったのは第3王子でした。
なお、今回登場した脱出アイテム、そしてサブタイトルの『おわかレモネード』は、成功した起業家が用いる意思決定理論・エフェクチュエーションの「レモネードの原則」のオマージュです。
“When life gives you lemons, make lemonade.”(人生が君に酸っぱいレモンを与えるのなら、それで甘いレモネードを作ればいい)
予想外のトラブルや偶然の不確実性を排除するのではなく、前向きな機会に変えて、自らの手で好転させていく、ダルテ様(ニコくんのお兄さん)の選択と人生哲学を示しております。
次回もお楽しみに。




