2-10 玄関先
翌日、日曜日。
オレは、神崎家の前に立っていた。
……何やってんだ。
葬式が終わって、まだ2日目だぞ。
こんな時に訪ねてこられても、美鈴だって迷惑なんじゃないか?
そう、頭の中ではわかってる。
……いや、通夜の時、ろくに挨拶も出来なかったからな。
だから、改めて来た、だけなんだ。
長居する訳じゃない、玄関先で、ほんの少しだけ、話すだけ。それだけなんだ。
そんなことを考えながら、もう5分ほど迷ってる。
やっぱり、日を改めようか。
1歩、後ずさる。
でも……足は、そこで止まる。
会いたい。
一目だけ。一言だけでも。
顔を、見たいんだ。声を聞きたいんだ。
美鈴、優人。
玄関に歩み寄り、インターホンに手を伸ばす。
「……」
手が、止まる。
唇を噛み締めて、人差し指を、押し込んだ。
ピンポーン
拍子抜けしそうな、軽い音。
……押した。
もう、後戻り出来ない。
出て欲しい。
出てこないで欲しい。
たぶん、1分にもならない時間。その間、何度も繰り返す、相反する思考。
「……はい」
どくんっ、と心臓が跳ねた。
……美鈴。美鈴の声。
返事、しなきゃ。
なんて?
名乗らないと。
なんて名乗る?
そんなの、決まってる。
「……あ……」
出てこない。
「永田理真」と……名乗らなければ、ならないのに。
——美鈴に。「直文」ではなく、「理真」と名乗るのが……こんなに、怖いなんて。
「……どちら様ですか?」
「あ、突然すみません。永田と、いいます」
「永田……さん?ええと……どちらの……?」
遠い。自分の名前も、美鈴の反応も。
美鈴、「知らない人間」との話し方だ。
それが、いまのオレに対する、話し方なんだな。
「あの、お通夜のとき」
「お通夜?」
「ゆ……お子さん……を、止めた者です」
「あ、あのときの」
「あのとき、ろくに挨拶も、できなかったので」
「ちょっと、待ってください」
中から聞こえる、足音。
すぐ分かる、美鈴の足音だ。
カチャリ
鍵を開ける音。
「我が家」だった家の、扉が、開いた。
「お待たせしてすみません」
扉の向こうに、大切な人の顔が見えた。
「いえ、ありがとうございます」
慌てて頭を下げた。
自分がどんな表情してるか、わからなかったから。
そこからひと呼吸して、頭を上げた。
「あの時は、ありがとうございました。息子を助けていただいて……」
「……いえ」
……会話が続かない。何を話せばいいのか、わからない。
「それで、今日は、どのような?」
「あ、先日、ちゃんとご挨拶も出来なかったので。ただ、それだけ……です」
「そう……わざわざ、ご丁寧にありがとう」
美鈴が、軽く頭を下げる。こういう所、真面目なのが美鈴らしい。
「いえ、急に押しかけてしまって、すみません」
「……永田さん、でしたね」
「あ、はい」
「……あ、すみません、私は……神崎直文の妻の、美鈴と言います。」
「……はい」
……知ってるよ。
神崎美鈴。オレの……妻。知ってるよ。
「私は……永田理真といいます」
改めて、名前を伝える。ずっと一緒に過ごしてきた人に、初対面のように。自分ではない名前を。
「あの、申し訳ないんですけど……主人とは、どういう?」
「……」
……ああ、確かに、気になるよな。
だけど……
どう、答えたらいい?
「オレは、神崎直文だ」なんて……言えるはずもない。
「……同じ電車に、乗ってました」
絞り出すように、そう答えるのが精一杯だった。
「えっ?それは……まさか、事故の時?」
「……はい」
それだけしか、答えられない。つい、下を向いてしまう。
その時。家の中から足音が聞こえてきた。
考えるよりも先に、わかった。
優人。
優人の足音が、近づいてくる。
そして、ひょこっと、顔を覗かせた。
「……っ」
危うく、優人の名前を、呼ぶところだった。
「……」
優人は、じっとこちらを見る。不思議そうな顔。
「優人?どうしたの?」
美鈴が問いかけても、反応しない。ただ、じっとこちらを見つめてくる。
「……こんにちは」
目線の高さを合わせて、そう話しかけてみる。
すると、優人がこちらに寄ってきた。
敷居をまたぎ、裸足で三和土に降りて、オレの手を、そっと、握った。
「優人?」美鈴も、驚いている。
「優人、お姉さん、びっくりしてるよ?離そう?」
そう美鈴に言われても、しばらく手を離さなかった。
「優人……?どうしたの?」美鈴が、優人の腕を、優しく握る。それでやっと、優人はオレの手を離した。
「あ……うー」
優人が、話しかけてきた。
言葉には、ならない。いつもの喃語だ。
何を話したいのか、わからない。
けれど、オレに対して、何か話しかけてる。
「……うん」
気づけば、そう返していた。
笑顔になっているのが、自分でわかる。
「……すみません。この子、初めて会った人に、あんまりこういうことしないんですけど」
美鈴が言う。申し訳なさそうな顔で。
「そう……ですね」
そう答えると、また優人が声を出した。
「あ—」
「うん」優人の声に、そう答える。
美鈴が、その様子をじっと見ていた。
「あ、すみません。ほら、優人……くん。こっち」
優人の手を取る。いつもやっていたように、美鈴のいる方へ手を伸ばしてやる。
美鈴が、こちらを一瞬見たあと、優人の手を取った。
そうしたら、優人は納得したのか、家の中に入った。
「そろそろ、失礼します。長居して、すみませんでした」
「あ……はい。今日は、わざわざ……ありがとうございました」
頭を下げる美鈴。こちらも、軽く頭を下げる。
「優人くん」優人に、手を振る。
「うー」こちらを見る優人。
「優人。お姉さんに、バイバイしよう」
そう言われ、手を振る優人。
その様子を背に、神崎家を後にした。
少し歩いてから、一度振り返る。
家の扉は……閉まっていた。




