2-7 今の自分が、帰る場所
学校が、見えてきた。
電車の中、ここまでの道、ずっと心臓は早鐘を打っている。
意気込んで家を出たが、不安は大きい。1歩1歩、足を出すたび、回れ右して帰りたくなる。
……大丈夫。
心の中で、そう繰り返しながら、歩を進める。
校門の、前まで来た。
足が止まる。
深く息を吸い、吐き出す。
……行こう。
覚悟を決めて、校内に入る。
始業よりも、少し早めの時間。同じ服装の学生たちが、周りを通り過ぎてゆく。
「永田」
声をかけられ、一瞬驚く。声は、前から聞こえた……つい、下を向いてしまってたな。視線を上げると、30代くらいの男性の姿。
「おはよう。来たな。体調は、大丈夫か?」
声に聞き覚えがある。電話で話した、担任の先生だ。
「おはようございます、心配おかけしました」
「記憶が曖昧、って言ってたな。何か手を貸すことはあるか?」
「……すみません、自分の下足箱が……」
「ん。こっちだ」
「あと、教室が、わからなくて」
「一緒に教室まで行く。その後は職員室戻るけど、すまんな」
「……ありがとうございます」
教室まで歩く間、体調や、痛みはあるか、といったことを聞いてくる以外は無言だった。特に心配するような顔もしていないが、気遣ってくれているのだろうな。
もし自分なら……大丈夫か?辛くなかったか?とか聞いてそうだな。こういう感じの気遣いは、この人の人柄なんだろう。
「ほら、ここだ」
そう言って担任が立ち止まる。
「何人か、もう来てる生徒もいるな。入れるか?」
「……はい」
「勝手な判断で悪いが、クラスのやつらに記憶の事は言ってある。分からないこととかは、他の奴にも頼れ」
「はい」
「……困ったことがあれば、職員室に来い。じゃ、後でな」
「ありがとうございます」
担任が去り、1人になる。
扉を開く。中に、数人の生徒。こちらに気づいたひとりが声を掛けてきた。
「あ、おはよ」
「……お、はよう」
しまった、噛んだ。
「怪我、大丈夫なの?大きな事故だったんでしょ?」
「……あ、うん。軽傷ですんだから……」
さらに数人の子が、聞いてきた。
「列車事故なんて、怖かったでしょ」
「あ、いや、実はあんまり覚えてなくて……それに、ところどころ、記憶が曖昧なんだ」
「あ、センセーに聞いたよ。なんか分からないことあったら、聞いてね」
「あ、ありがとう。……えっと、早速で悪いんだけど……」
自分の席が分からない、と言うと、一人があそこだよ、と窓際の席を教えてくれた。
「ありがとう」
お礼を言うと、困った事あったら言ってね、と言って、みんなそれぞれのグループに戻って行った。
そこから先は、問題なく過ごせた。
だんだんと増えるクラスメイト、何人かは事故の事を聞いてくるが、その度に「あまり覚えてない」と返す。事前に知らせてくれていたからか、深く聞いてくる者もいなかった。
教師が来て、ホームルームがはじまる。最初に一言「永田は、事故の後初登校だから、不便があったら助けてやってくれ」と言ってくれた以外は、特に変わったところもなく終わった。
それから始まる、授業。
机の上。ノートとペン。
簡単だ。黒板の文字を書き写す。
社会人のように、速さや効率を求められることもない。ただ、ここにいて、無難に過ごせばいい。
楽では、ある。
だけど。
思考が、そこで止まる。
(今、なにしてるかな)
つい、呟いてしまう。誰にも聞こえないほどの、小さい声。
向ける相手は、ここにはいない。
でも、決まっている。
思い出す。
——優人。
その名前が、はっきり残る。
昨日、あれから少しは、落ち着けたかな。
——美鈴。
疲れた顔、してたな。
少しは休めただろうか。
そんな事を考えていたら、チャイムが鳴った。
……気がつけば、昼休みも終わり。
午後の授業も、なんとか乗り切れた。
帰りのホームルームも終わると、クラスメイト達は「じゃあね」「またあした」と交わし、帰宅していく。
自分も、玄関へ向かい、靴を履く。
校門を出て、振り返ってみる。
……終わった。
なんとか、1日乗り切れた、かな。
どっと疲れが出る……。家に帰って、少し休みたい。
……家。
多分、いまは……葬式の最中か。
美鈴の、優人の、顔が目に浮かぶ。
神崎家に向かう電車の時刻を、つい考えてしまう。
……でも。
行っても、今日は何もできないだろう。この「自分」は、葬式には出られない。
……帰ろう。
理真の部屋へ。
今の自分が、帰る場所へ。




