2-5 遺影
スタッフの声に促され、中に……入ろうとして、一瞬だけ止まる。
——ここまで来て、まだ躊躇するのか?
行くと決めて、ここへ来たんだ。なら。
一歩、踏み出す。中へ。
お坊さんの読経だけが聞こえる、静かな空間。
……白い床だけが、見える。
視線が……上げられない。どうしても、下を……向いてしまう。
でも、一歩一歩、前へ進む。自分の遺影……自分の死と……向き合う、ために。
焼香台の前まで、来た。
さあ。
もう、下を向くのは、終わりだ。
前を、見よう。
前を——
意を決して、視線を上げる。
目に映るのは……見慣れているはずの、自分の顔——の、写真。
ただ、その写真は、自分にとって——そしておそらく、美鈴と、優人にとっても——
最も見慣れた、オレの、写真。だった。
……「おとうさん」カードの、写真。
毎日のように、優人が自分に……渡してきたカード。それに使った……写真。
美鈴……この写真を、使ったのか。
「おとうさん」「ください」そう伝えてくるたびに、嬉しく思っていた、この写真。
優人との思い出の中で、どんな場面でも、必ず入っている——この写真が、いまは遺影なのか。
目に、熱いものが、にじんできた。
そして、それと同時に、自分の中でなにかが変わった。
病院の医師の言葉。
通夜の準備をする家。
美鈴の涙。
何度も、何度も。自分の死を突きつけられてきた。
でも。
今。
心の奥に、すとん、と落ちた。
オレは……本当に、死んだんだ。
一筋。頬を、涙が伝った。
心の中は、とても静かだ。
死んだ。もう、いないんだ。神崎直文は、もういない。
でも、大丈夫。まだ、オレはここにいる。
悲しいのかもしれないけど、不思議と心は静かだった。
オレは——「永田理真」としてでも。
まだ、ここにいる。
涙を、拭いた。
前を見た。
遺影を、まっすぐ見つめると、まるで自分と向かい合ってる気になった。
何も言わない、元の自分。その表情は、笑顔。優人に向けて浮かべた笑顔だった。
——見送ろう。
抹香を摘み、香炉にいれる。
——ここで、オレは、自分を見送る。
手を合わせ、目を閉じる。
——さよなら。
目を開ける。振り返って、遺影に背を向ける。
一瞬、白い棺が目に入る。見ようと思えば、見られた。
でも、見なかった。
出入り口に向かって、歩く。入った時と違い、前を見て。
美鈴と優人が、こちらを見ていた。美鈴が、頭を下げる。
自分も、黙って、頭を下げた。
優人は、やはりこちらをジッと見ていた。
また、会いに来よう。
こんどは、あの二人の力になれるように。
会館から出ると、夕日が沈むところだった。
薄暗くなってきた景色の中を、家に向かって、歩き出した。




