1-10 戻る、って。
1-10 戻る、って。
思わず、電柱の陰に身を隠した。
……様子を見るだけ、なんだから。だから隠れた。
「……思ったより、元気そうだな」
少しホッとした。泣き崩れていないかと、心配だったから。
美鈴は、黒いスーツを来た人たちを案内して家の中に入っていく。
「ほら、優人。こっち来て」
家の中から聞こえる、美鈴の声。
——優人。
玄関ドアの向こう、ガラス越しに、影が見える。
いる。そこに。
すぐそこに、ふたりがいる。
姿が、みたい。声が、ききたい。
でも。今の自分は……
赤の他人。その事実が、重い。
自分にとっては、何より大切な、家族なのに。
あの2人から見れば、面識のない人間。
……会えない。
そこに、いるのに。
遠い。
家に入る美鈴たちを、見ることしか出来ない。
……帰れない。自分のいた、あの家に。
その事実に、気づいていなかった。
いや——目を、そらしていたんだろう。
いつでも帰れる場所、なんだと。
家の方を、見る。
ドアが、閉まる。
でも、時折、中から話し声が聞こえてくる。
「ご親戚の方は、30分前までに——」
「神崎様の会社関係の方は——」
通夜の打ち合わせか。美鈴の声も、聞こえる。
「……はい」
「こちらは、これで宜しいでしょうか?」
「……はい」
きちんと応対しているようだが……?
何か、引っかかる。
美鈴はいつも、「はい、それでお願いします」とか、もっと柔らかい感じに話す。人見知りだから、緊張しながら。
でも、今の声は……妙に、硬い。
「遺影の写真は、どうされますか?」
「……」
沈黙。写真を、選んでるのか。
オレの……遺影を。
「……優人?どうしたの?」
「……え……?『おとうさん』……?」
優人、カードを出したのか。
「……そうだね……おとうさん、写ってる、ね……」
「え?『ください』……」
「……う……うん、『おとうさん』『ください』だ、よね……」
「う、……ご、ごめ……んね……?おとうさん、おしごと……」
「う……すみません、う、うぅ——」
……
息が、出来ない。
心臓を掴まれたみたいだ。
優人。おとうさん、ここにいるよ。
美鈴。泣くなよ。オレは、こんなに近くにいるんだよ。
そう言いたい。 今すぐ飛び出して、抱きしめたい。
でも——でも。できない。
今、二人の前にでたら、どうなる?
声を出したら。姿を見せたら。
優人は、美鈴は、どう思う?
——出来ない。ここに、いるのに。
——なんで、できない?こんなに、近くにいるのに。
家の中から、押し殺したような泣き声が聞こえる。
美鈴……彼女の、こんな声、聞いたことがなかった。
それを聞いても、ただ、そこに立ち尽くす。それだけ。
それだけしか、今の自分には——
視界が歪む。
いや、自分が泣いてどうする。
辛いのは美鈴なのに。
泣いてる場合じゃない。誰かに見られたら……
でも。
止まらない。
止められない。
「——、——」
膝から、力が抜けた。
電柱に手をつく。
声を出して泣くことも出来ない。
ただ嗚咽だけが、漏れた。
苦しいのは、美鈴だ。
寂しいのは、優人だ。
自分より余程、辛いはずだ。
なのに——
足は、動き出していた。
その場を離れた。
聞こえてくる、美鈴の泣き声に……耐えられなかった。
気がつけば、小さな公園で、ベンチに座り込んでいた。
頭の中は、ぐちゃぐちゃだった。
美鈴の、震えた声。
「『おとうさん』『ください』だ、よね……」
何度も、頭の中に響いていた。
美鈴が、泣いている。
優人が、自分を呼んでいる。
なのに、それに応えられない。
何ひとつ、してやれない。
拳を握りしめる。——爪が、手にくいこんだ。
痛い。
でも、その痛みが——少しだけ、心を引き戻してくれた。
落ち着け。
……落ち着け。
ここで泣いていても、何も前に進まない。
息を吸う。病室で、自分の死を聞いた時のように。
息を吐く。
周りの音が、耳に入ってくる。
鳥の声。春の風に揺らぐ、木の葉の音。
涙は止まった。
少しだけ——頭の中が、静かになった。
周りを見る。この公園も、優人と一緒に来たことがあるところだ。
変わっていない。
世界は、何も変わっていない。
変わったのは、自分。でも、心は、変わっていないんだ。
優人に会いたい。
美鈴に会いたい。
あの家に、帰りたい。
それは変わらない。
でも……今、自分が帰る家は、あそこじゃない。
今の自分は……そう。「永田理真」なんだ。
そうだ。病院で、目覚めた時に、決心したじゃないか。
この身体が、誰であっても。
他人としてでも。
家族のもとに。
優人のところに。
――――戻る、って。
【あとがき】
ここまでで、第1章は一区切りとなります。
直文が事故に遭い、「永田理真」として目を覚まし、
そして、自分の家族のもとへ「戻る」と改めて決意するまでを描きました。
第2章では、美鈴や優人との関わり。
そして、この身体の本来の持ち主である「永田理真」のことも、少しずつ明かしていく予定です。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
これからもお付き合いいただけたら嬉しいです。
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