3 王者の初対戦
燐は早速、団体の幹事長に、桜井美和と対戦できないかと頼み込んだ。幹事長は、どうしてまた?という顔をして、聞いてきた。
「まあ、確かに、桜井美和は、試合が終わって、リングの上でベルトを受け取るのを拒否している。だが、記録上は美和は一旦は王者になったうえで、すぐにベルトを返上したことになっているんだ。勿論、正規の手続きを踏んでいるし、防衛戦を一度もすることなく、ベルトを返上するということは、決してないわけではない。だから、別に桜井美和と対戦しなくても、君はエンベレス・ベルトの正式な継承者なんだよ」
それでも燐は首を振った。
「そういう問題じゃないんです。このエンベレス・ベルトのために、私を含めてみんな必死に闘ってきた。だけど、あの人は、王者を倒しておきながら、重いとか、面倒だからと言って、直ぐに手放した。このベルトに対する侮辱です」
燐は、幹事長の目を見て言った。
「これは私個人の感情だけじゃないんです。エンベレス・ベルトを、格闘技を、侮るものは絶対に許せない。ベルトを侮辱することは、格闘技そのものを馬鹿にすることと同じなんです」
幹事長は困り果てた表情で燐を眺める。
「桜井美和はプロモーションに所属しておらず、連絡を取りにくいんだよ。私自身、彼女の連絡先は知らないんだよ。それに彼女の闘い方というのが、ちょっとねえ」
「どういうことですか?」
燐が問いかけると、幹事長は目線をそらせながら、
「……まあ、格闘家のあり方としては、それもありなんだろうが、観客が見る興行としては、ちょっとねえ。美和の対戦が少ないというのは、彼女自身があまり出たがらないというのもあるが、各団体が避けているという面もあるんだ。本当のところ、新王者とフリーの美和との対戦は、団体としては余りメリットはないんだよ…」
それでも燐は必死に頼み込んだ。
「お願いします。何としてでも、桜井美和と戦いたいんです。美和と闘わなければ、真の王者にはなれないんです。おねがいします」
いつもは無愛想な燐がこうも必死になっている。
「分かったよ。君がそこまで言うなら、つてを探してみよう。ただし美和との対戦は、エンベレス・ベルト・ベルトとは関係ない形でさせてもらいたい。いいかね」
「はい」
幹事長はため息をついてから言った。
「まあ、美和に接触がついても、彼女が受けてくれるかどうか分からないがね」
燐は頭を下げて言った。
「ありがとうございます」
燐が退出すると、幹事長はまた大きなため息をついた。
「まったく、あの頑固さも困ったものだ…」
2か月後、燐は幹事長から呼ばれた。
「美和との試合が決まったよ。受けてくれるそうだ」
燐は喜びで跳び上がりそうだったが、何とか抑えて礼を言った。
「ありがとうございました。試合の条件は?」
幹事長はため息交じりに答えた。
「前にも言ったとおり、エンベレス・ベルトとは関係のないノンタイトルマッチ。どちらが勝ってもベルトに関係はない」
燐にとってはそれで充分だった。試合の形式がどうであれ、燐にとっては、これはエンベレス・ベルトを断った美和と決着をつけるという意味では変わらなった。
「それから、これは桜井さんから君にと、ことづかってね」
幹事長が差し出したのは、薄紫色の和紙で巻かれた巻紙だった。細い水引がかけられ、表には毛筆で「藤崎燐様」と流麗な筆致で記されている。仄かに白梅の香りが漂ってくるようだった。
およそ、これから格闘の試合をしようとする人間が渡すようなものとは思えない雰囲気の代物だった。燐は一瞥しただけで、手を伸ばさなかった。
「それはお預けしておきます」
燐の言葉に、幹事長は困ったように眉を下げた。ある程度予想していたのか、それ以上は無理に渡そうとはせず、そっと机の端に置いた。
「私は、リングの上で語ります。それで全てです」
「わかったよ」
幹事長はそれ以上何も言わなかった。
燐は一礼すると、きびすを返して部屋を出て行った。
手紙のことはすぐに頭から消えた。今はただ、対戦相手の桜井美和、その実力だけが問題だった。
燐にとって、人を知る方法は一つしかない。リングの上で戦うことだ。どんな言葉よりも、どんな経歴よりも、試合の内容が全てを語る。これまで戦ってきた相手がそうだったように、美和もまた例外ではない。
試合まで、あと三週間。
燐のトレーニングは、これまで以上に激しさを増していった。




