2 静かな格闘家
燐は自分の試合以外はほとんど興味のない選手だった。対戦相手のことについて調べるということも、あまりしてこなかった。そんな時間が勿体なかったからだ。それよりも、より過酷な練習、キツいトレーニングをする方が有意義だった。
美和についてもごく断片的な噂程度しか耳に入ってない。もっとも、美和自体が、フリーの選手で試合数も少ないせいもあった。
美和が対戦した前王者は、何度も防衛線を勝ち抜いた人物だった。対して、美和の方はフリーで大会にエントリーしていただけで、大して目立っていたわけでもなかった。それが突然、前王者と試合することになったのは、やはり「特別な何か」を持っているせいかもしれない。
試合の様子は、まったくと言っていいほど情報がなかった。ただ、この試合でKOされた王者は試合のダメージが大きかったのか、立ち上がることができず、そのまま引退してしまったそうだ。
それだけの闘いをしたにもかかわらず、美和はベルトを受け取らなかった。曰く、ベルトは重いし、王者の称号がつくと防衛戦で忙しくなって困るから、と。あっさりと断って、そのままリングから降りていったという。美和はほかに仕事を持っているらしく、格闘は「本業」というわけではなかったらしい。燐はそれが少し面白くなかった。
自分には格闘しかない。いや、格闘を選んだのではない。格闘が自分を選んだのだ。格闘に出会って、これこそ自分の人生だと感じた。そこからは、人生すべてを格闘に捧げてきた。大学へは行ったが、一般企業には就職せず、プロになった。そのころはまだフリーの選手だったが、数年後、総合格闘技の新団体設立ということで、今のところに入団した。格闘には多くのジャンルがある。総合格闘技だけでなく、キック、ムエタイ、空手、柔術、サンボなどなど。格闘に打ち込んでいくうちに、いずれか一つだけでなく、すべてを究めたいと思うようになった。総合を選ぶのが自然だった。とはいえ、それでもまだ、格闘は奥が深い。
もし、自分がプロになれなかったら、どんな職業についていただろうか。燐は一度も考えてみたことがなかった。それぐらい、自分の人生は格闘しかないと思っていた。それでも、格闘が好きだったし、何より格闘で食べていけるプロになれたのが何より嬉しかった。
それなのに、他に仕事を持ちながら格闘を続け、王者を引きずり降ろして、その上、自分はベルトはいらないと言った選手がいるのだ。燐には、なんだか自分が今までやってきたこと全部を馬鹿にされたような気がする。そう、桜井美和、この選手の存在だけは絶対に認めるわけにはいかなかった。
今のベルトは、美和が断らなかったら、手に入ることのなかったものだ。この桜井美和を倒さない限り、自分は本当にこのベルトを継承したとは言えない。
「桜井美和……」
燐はベルトに触れた。重い。だが、その重さはまだ自分のものではなかった。
「絶対に倒す」




