10 勝者
(何を考えている……?)
燐は違和感を覚えた。この女はまだ何かを持っている。追い詰めているはずなのに、こちらの攻撃を凌ぐその目の奥に、静かな光が宿っているのを感じる。
(だが、そんな余裕もここまでだ)
燐は深く踏み込んだ。この流れを決定的なものにする。そのための必殺の右ストレートだった。
しかし、その瞬間、眼前から美和の姿が消えた。
「……!」
空を切った拳。燐の目は、美和の姿を追う。どこへ行ったのだ! 燐は焦る。
背中に何か気配を感じた。ハッとして後ろを振り向くと、リングロープの上に美和がいた。だが、それは一瞬のことだった。
紫の影が高々と舞い上がる。長い黒髪が大きく広がる。
(え……!)
そそう思った時には、揃えられた脚が寸分の狂いもなく燐の胸元へ向かっていた。
バタフライキック。
(あっ!)
鈍い衝撃が胸を貫いた。燐の意識が遠のいていく。倒れ込む自分の身体の感覚さえも、遠くかすんでいった。
レフリーがカウントを始める声が、まるで水の中から聞こえてくるかのように歪んで聞こえる。
「ワン……ツー……スリー……」
カウントの声がだんだんと遠くに聞こえてくる。会場の天井の照明が目の前に広がっているが、次第にぼやけてくる。起き上がらなければと思うのに、身体がまるで言うことを聞かない。
「フォー……ファイブ……シックス……」
やがて、視界の端に何かが映った。燐の方へゆっくりと歩み寄る、白い裸足。
美和だった。倒れた燐を、ただ静かに見下ろしている。美和は手を貸すでもなく、追撃するでもなく、ただただ静かに、対戦相手の姿を見つめている。
「――エイト……ナイン……テン!」
その声は燐の耳元にはもう入っていなかった。
レフリーが、勝者となった桜井美和の腕を掲げる。
美和の全身は汗にまみれ、肩で息をしていた。だが、その立ち姿に乱れはない。会場は静まり返っていた。
誰もが、今何が起きたのか理解できずにいる。
やがて客席のどこかから拍手が起こった。それは少しずつ広がり、やがて会場全体を包み込んでいった。
それは、あまりにも劇的な決着だった。
観客席の奥にブロンドの女性が座っていた。アリシア・ストーンだった。試合を見届けた彼女は、立ち上がると、静かにつぶやいた。
「やっぱり、思ったとおりだったわね」




