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第7話 敵の信頼を内側から壊す情報戦

黒鉄の砦、その一角にある執務室。


かつては殺風景で、ただ戦況を記しただけの地図が放り出されていた机の上は、今や綺麗にファイリングされた書類と、見やすく色分けされた統計グラフで埋め尽くされていた。


僕は使い慣れた万年筆を指先で回しながら、対面に座る二人の男へ視線を向けた。


一人は、すっかり僕の『経営手法』に信頼を寄せている魔王軍副長のバルトロ。


そしてもう一人は、前回の取引で完全に退路を断たれ、未だにこの砦に足留めされているアルテニア王国の闇商人、ガラムだ。


ガラムは僕と目が合うたびに、まるで極上の捕食者に見据えられた小動物のように肩をビクリと震わせている。


「さて、ガラムさん。本題に入ろうか」


手帳を開き、あらかじめ書き留めておいたタスクリストを指で叩く。


「前回の取引の際、君から返品の形で引き取らせた物資があったよね。

ほら、アルテニア王国軍の公式な刻印が入った、あの粗悪な鉄剣や型落ちの古びた防具一式だ」


「あ、ああ……。確かに、うちの商会が軍の廃棄品を横流しして、魔王軍へ高値で売りつけようとしていた在庫だが。

それがどうかしたのか?」


「あれをね、今すぐ人間界へ逆流させる」


僕が淡々と言い放つと、隣で静かに聞いていたバルトロが、勢いよく椅子を鳴らして身を乗り出した。


「な、何と言ったダイスケ殿!?

せっかく手に入れた敵国の武具を、わざわざ人間の元へ返すというのか!?

いくら財政が潤ったからとはいえ、それは利敵行為ではないのか!」


「落ち着いて、バルトロさん。文字通り『返す』わけじゃないよ。

ガラム商会が元々持っている人間界の密輸ルートをそのまま使って、アルテニア王国の最前線拠点の街――あの『城塞都市ラインハルト』の市場に、相場の半値以下でゲリラ放流、つまり格安でゲリラ販売するんだ。

ただし……僕が用意した、とびきり極上の『噂』と一緒にね」


バルトロはまだ納得がいかないといった様子で太い眉をひそめていたが、商売の表も裏も知り尽くしているガラムの方は、違った反応を見せた。


ガラムはみるみるうちに顔を青ざめさせ、額からじっとりと冷や汗を流し始めたのだ。


「……待て。まさか、あんた……」


「おや、気づいたかい? さすがは大商会の会頭だ、話が早くて助かるよ。

バルトロさん、ガラムさんの表情を見てごらん。

これが『市場の歪み』を理解している人間の顔だ」


僕は背もたれに深く身体を預け、冷徹な笑みを浮かべた。


「ガラムさん、僕がガラム商会から買い取った情報の中にあったよね。

城塞都市ラインハルトの現状が。

あそこの平民や末端の衛兵たちは今、アルテニア王国の度重なる重税と、お偉い貴族様たちの強引な価格統制のせいで、深刻な食料・物資不足に陥っている。

大豊作のはずなのに、市場にパンもまともな装備も回っていない。

現場の不満は、すでにパンク寸前だ」


「そ、その通りだ……。ラインハルトを治める侯爵どもが、小麦や物資の価格暴落を防ぐために、軍の倉庫に大量の資材を囲い込んでいる。

現場の兵士どもは、錆びた槍と擦り切れた革鎧で戦えと命じられている状態さ」


「完璧な機会損失だ。

そんな最悪な労働環境の中に、なぜか『王国の刻印がはっきりと刻まれた本物の鉄剣や防具』が、一般の市場に信じられないほどの格安で、大量に出回ったらどうなると思う?」


ガラムはごくりと唾を飲み込み、震える声で答えた。


「……平民も、末端の兵士も、こう思うはずだ。

『誰かが軍の正規の物資を倉庫から盗み出して、裏で売って私腹を肥やしている』と」


「その通り。人間の組織は、これまで見てきた通り個人の戦闘力(武力)だけで役職を決めて回っている。

だから、上層部(経営陣)と現場(労働者)の信頼関係が最初からスカスカなんだよ。

理念もなければ福利厚生もない。

そんな脆弱な組織の足元に『市場の不信感』という着火剤を放り込めば、驚くほど簡単に大炎上する」


バルトロは僕たちの会話を交互に聞きながら、ようやく事の重大さに気づいたのか、その大きな目をさらに見開いた。


「なるほど……! 武力で砦を囲むのではなく、人間の心に疑念の壁を築くというわけか。

しかし、ダイスケ殿。ただ物資が安く出回っただけでは、商人の小遣い稼ぎや、盗賊の仕業として片付けられる可能性もあるのではないか?」


「もちろん、それだけじゃただの単発の事件で終わる。

だからこそ、マーケティングには『強力なストーリー』が必要なんだ」


僕は手帳のページをめくり、次の指示をバルトロへ出した。


「バルトロさん。第2話で僕らのシフト制ゴブリン部隊が捕らえた、王国の斥候部隊がいただよね。

あの捕虜の中から、特に口の軽そうな人間を三人ほど選んで、今夜、意図的に街へ逃がしてあげてほしい」


「逃がす!? 捕虜をか!?」


「ただ逃がすんじゃない。彼らがこの砦の地下牢に囚われている間、毎日毎日、彼らの耳元で徹底的に『同じ話』をささやき続けておいたんだ。

彼らには今、完璧な偽の記憶(情報)が植え付けられている。

『魔王軍の倉庫には、アルテニア王国の最高品質の物資や兵糧が、山のように隠されていた。

それらはすべて、王国の高貴な貴族様たちが裏で魔王軍と手を結び、密輸して私腹を肥やしていたものだ』ってね」


バルトロは息を呑み、言葉を失った。


「生還した兵士の口から語られる『生々しい恐怖の証言』。

これはね、王国のどんな公文書や弁明よりも、最前線で飢えている現場の兵士たちに100%信じ込まれる。

なぜなら、彼らにとって『上が私腹を肥やしている』というストーリーは、現在の自分たちの悲惨な境遇を納得させるのに一番都合が良いからだ。

これは、短期決戦の情報戦だ」


僕はガラムに向けて、書類をトントンと整えた。


「ガラムさん。君の仕事は、その小麦と防具を『ガラム商会の名前を出さずに』ラインハルトの闇市場へ流すことだ。

利益はすべて君の商会の取り分にしていい。

ただし、三日以内にやり遂げること。できるね?」


「で、できる、やらせていただきます!

逆らうわけがないでしょう、そんな悪魔のような作戦……!」


ガラムは何度も首を縦に振り、這うような勢いで執務室を辞していった。


残されたバルトロは、僕の顔をまじまじと見つめながら、ぽつりと言った。


「ダイスケ殿、お前を敵に回したアルテニア王国が、哀れに思えてきたよ」


「ビジネスの世界じゃ、情報の価値を見誤った企業から倒産していくんだ。

さあ、仕込みは終わった。数日、楽しみに待とうか」



それから、わずか四日後のことだった。


アルテニア王国の最前線拠点、城塞都市ラインハルトは、僕の狙い通りになっていた。


突如として市場にあふれ返った『軍の刻印入り装備』と、命からがら逃げ帰ってきた斥候たちの絶望的な証言によって、手の付けられない大混乱に陥っていた。


執務室の机の上に置かれた、バルトロ所有の『遠話の魔導具』からは、敵地の酒場や兵舎で交わされている生々しい怒号と、荒んだ平民たちの生声がリアルタイムで漏れ聞こえてくる。


『おい、見ろよこの鉄剣! 間違いなく我が国の軍の支給品だ!

なんでこんな上等なモンが、パンの耳より安い値段で闇市にゴロゴロ転がってやがるんだ!?』


『聞いたか? 先日生還した斥候の奴が言ってたぞ。

魔王軍の砦には、俺たちが一度も見たことがねえような極上の小麦袋や最新の防具が、街一つ分も山積みにされてたって!』


『ふざけるな! 俺たちが毎日毎日、重税でスープの具もねえ生活をしてるってのに、上の貴族どもは裏で魔王軍に武器や飯を売って、金貨を肥やしてやがったんだ!』


『命を懸けて前線を守るなんて馬鹿らしい!

上の奴らはとっくに国を売って、いざとなったら自分たちだけ人間界の奥へ逃げる気なんだ!』


聞こえてくる声は、どれも怒りと、それ以上に深い「絶望」に満ちていた。


上層部である貴族への不信感は一瞬で地方都市全体へ爆発的に伝播し、前線の兵士たちは武器を構えることすら拒否し、戦う前にボイコット寸前の機能不全に陥っていた。


王国の騎士団長たちがどれだけ「これは魔王軍のデマだ!」と声を大にして叫ぼうとも、現実に市場を埋め尽くしている『王国の物資』が、何よりも雄弁にその言い訳を握り潰していた。


静まり返った部屋の中で、バルトロは戦慄した顔のまま、彫像のように固まっていた。


その大きな身体は、かすかに震えているようにも見える。


「だ、ダイスケ殿……」


バルトロは掠れた声で、僕を振り返った。


「我が軍の兵は、人間界との戦争で剣を一本も交えていない。

血の一滴すら流していない。オークの怪力も、ゴブリンの刃も、何一つ使っていないのだぞ。

それなのに人間の、あの強固なはずの防衛拠点が、ただの疑心暗鬼と噂だけで、内側から勝手に崩壊していく。

情報とは、これほどまでに恐ろしい刃なのか……」


恐怖を隠しきれないバルトロの言葉に、僕はただ、フッと自嘲気味な笑みを返した。


「バルトロさん。市場の信頼を失った組織というのはね、外からどれだけ強い圧力をかけられようが関係ないんだ。

内側の足元から、勝手に自壊して崩れていく。

前世で僕が何度も見てきた、ブラック企業の倒産の瞬間と全く同じさ。

彼らは魔王軍に負けたんじゃない。

自分たちの歪んだ評価基準と、現場を蔑ろにした労務管理のツケが、一気に回ってきただけだよ」


僕は満足して、立ち上がった。


窓の外を見やれば、ゴードン先生の指導のもと、オークたちが活き活きと広大な畑を耕し、青々とした美しい芽が大地を埋め尽くし始めている。


現場の士気は最高潮、物流は完璧、調達コストは最小限。


そして、クロムの開発した超安価な量産型魔導爆弾が、倉庫にうずたかく収められている。


「さあ、バルトロさん。敵の社内政治がガタガタになって、まともに連携も取れなくなった今が絶好の好機だ。

いよいよ、僕たちの新体制の圧倒的な生産性を、彼らにお披露目しにいこうか」



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