第38話 水のサブスクリプション
東の荒れ地での対峙から、わずか数日。
水を完全に遮断された軍事国家レムリア公国は、文字通り限界を迎えていた。
「み、水を……水をくれ……」
王都の至る所で井戸が完全に干上がり、平民はおろか、屈強な兵士たちすら乾きに喘いでいた。
自慢の突撃軍馬たちも喉の渇きでバタバタと倒れ、国家の誇りである最強の騎兵隊は完全に機能不全に陥っている。
「おのれ……。あの人間のペンの前に、我が第一軍が一本の剣も振るえんとは……!」
宮廷の会議室。
脳筋将軍がガタガタと震える拳を机に叩きつけ、悔し涙を流していた。
戦う力はあっても、攻め込む大義名分がなく、そもそも兵も馬も喉が渇いて戦を始める体力すら残っていない。
『……そこまでにせよ、将軍。これ以上の意地は、我が国を滅ぼすだけだ』
レムリア公国の上級公爵が、乾ききった声で溜息をついた。
そこへ、部屋の扉が静かに開け放たれる。
「失礼するよ。皆さん、随分とお困りのようだね」
涼しい顔で入ってきたのは、手帳を片手にした僕と、バルトロ大将軍、そしてフロント企業の商会長であるガラムだった。
◇
「き、貴様ッ……! よくも我が宮廷に足を踏み入れられたな!」
将軍が反射的に剣の柄に手をかけるが、その隣に立つバルトロさんの圧倒的な魔力に気圧され、それ以上は動けなかった。
「怒鳴らないでほしいな。今日は『ビジネスの提案』、つまり営業にやってきたんだ」
僕は円卓の空いている席に腰掛け、手帳から一通の新しい契約書を取り出して滑らせた。
「我がガラム商会が所有する『プライベート・ダム』から、新鮮な水を毎日、レムリアの全水路へ供給してあげてもいいですよ」
「な、何だと!? 本当か!」
税務官僚たちが、飢えた獣のように契約書に身を乗り出してきた。
「いくらだ! 金貨ならいくらでも支払う!今すぐ水門を開けろ!」
「いいえ、金貨はいりません。一時的な大金など、我が社の経営には不要ですから」
僕は人差し指をチッチッと横に振った。
「我が社が求めるのは、毎月定額のリソースを支払い続けてもらう【サブスクリプション(定額課金)契約】です」
「サブスクリプション……? 定額、だと?」
公爵が眉をひそめて契約書を読み進める。
そこへ書かれていた条件は、彼らにとって金貨よりも遥かに重い、国家のインフラの明け渡しを意味するものだった。
「ば、馬鹿な! 条件の一つ目が【国境の関所の永久無償開放(関税の完全撤廃)】だと!?
さらに、二つ目は【レムリア国内における大街道の延伸の独占許可と、黒鉄物流拠点の建設】……!?
こんなものを認めれば、我が国の強固な防衛網が丸裸になるではないか!」
将軍が再び激昂して立ち上がった。
「防衛線を気にするのは自由です。
ただ、今この契約書にサインしなければ、明日には君たちの国民も軍馬も全員が渇きで全滅しますよ? 選択肢はありません」
僕は冷淡に言い放った。
◇
実は、この契約の裏には、さらなる巨大な戦略が隠されていた。
黒鉄の砦の司令部から、通信の魔道具を通じて僕の手帳に、カイム先生からのメッセージが届く。
【カイムの通信】「ダイスケ、レムリアの関所を無償開放させ、大街道を繋ぐルートの選定は完璧じゃ。
ここを通れば、人間界のさらに奥にある巨大な商業圏へ、これまでの『3分の1の期間』で到達できる最短物流ルートが完成する。
奴らが防衛線を守ろうと足掻いている間に、儂らの物流網は人間界の中枢へ直接突き刺さるというわけじゃな」
そう、レムリア公国の関所を開放させることは、世界経済を完全子会社化するための最大のジャンクション(合流点)を握ることに他ならなかった。
「……う、ぐぬぬ……っ」
上級公爵は震える手で羽根ペンを握り、目の前の契約書を見つめた。
サインをしなければ、国が干からびて滅びる。
サインをすれば、国境の主導権を合法的に魔王軍(ガラム商会)に握られる。
戦う前に完璧に詰まされた男は、屈辱に涙を流しながら、国家の命運を明け渡すサブスク契約書にサインを書き込んだ。
「……これで、良いのだろう。今すぐ、水を流せ……!」
「毎度あり。契約は正式にアクティベート(有効化)されました」
僕は満足して手帳をパチンと閉じ、ハンスへ無線で指示を出した。
「ハンス君、水門を『プランA(基本給水プラン)』の量まで開放して」
「了解しました、ダイスケ殿!」
◇
ゴゴゴゴゴ……と、遠く東の荒れ地から、地鳴りのような音が響いてきた。
干上がっていた大河の底に、濁流となって新鮮な水が勢いよく流れ込んでいく。
「おお……! 川が、川が戻ったぞ!」
「水だ! 生き返るぞ!」
窓の外から、王都の民衆や兵士たちの歓声が聞こえてきた。
だが彼らは気づいていない。
その水は、毎月、魔王軍に「関所の開放」と「物流の特権」という莫大なリソースを支払い続けなければ、おっさんのペン一本でいつでも一瞬で止まる【依存の鎖】だということに。
「見事だ、ダイスケ殿」
宮廷を出て大街道を戻る馬車の中、バルトロさんが深く感嘆の息を漏らした。
「これでレムリア公国の頑強な国境は、名実ともに我が黒鉄グループとなったわけだな」
「ええ。武力で国境を破壊すれば、大きな傷跡が残る。
でも、サブスクリプションでインフラの心臓部を握れば、彼らは自ら進んで僕たちに国境を差し出し、しかも感謝までしてくれるのさ」
僕は手帳を開き、新しい市場の開拓グラフを万年筆で描き足した。
「内側の経営基盤は完璧。そして隣国の国境も、最短の物流ルートも手に入った。
さあ、バルトロ大将軍、カイム先生」
僕は窓を開け、新しくレムリア公国を貫通して延伸していく大街道の、その先にある人間界のさらなる巨大な経済圏を静かに見据えた。
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