第37話 渇水する軍事国家
巨大な黒鉄の貯水ダム。その主要な構造が完成した翌朝。
僕は、新しく設置された魔導制御盤の前に立っていた。
「ダイスケ殿。本当に、ここからあのレムリア公国を干上がらせることができるのだな?」
大将軍バルトロさんが、ごくりと喉を鳴らして見守る。
「ああ。段階的に、計画通りに水門を閉めよう。ハンス君、レバーを」
「はい、ダイスケ殿!」
ハンスが魔導レバーをゆっくりと引き下げた。
ズ、ズ、ズ、と重厚な黒鉄の水門が降り、レムリア公国へと流れる三つの主要河川の川上が、完全に堰き止められた。
「よし。それじゃあ、堰き止めた膨大な水資源の『有効活用』を始めようか、カイム先生」
「ククク、儂の引いたバイパス(迂回水路)の出番じゃな。行くぞ、お前たち!」
最高戦略顧問のカイム先生が、生き生きとした顔で土木兵たちに指示を出した。
ここから、レムリア公国が地獄のパニックに陥るのと同時に、我が黒鉄グループの拠点は、空前の「水資源バブル」へと突入することになる。
◇
水門を閉めてから、わずか数日後。
強硬な軍事国家であるレムリア公国の王都は、文字通りの大パニックに陥っていた。
「報告します! 王都を流れる第一河川の水位が消失! 完全に干上がりました!」
「馬鹿な! 第二、第三の水路はどうした!」
「全滅です! 街のすべての井戸が底を突き、民衆が暴動を起こしかけています!」
レムリア公国の宮廷。
豪華な玉座の間では、脳筋の将軍たちが血相を変えて怒鳴り散らしていた。
「これは魔王軍の呪いに違いない! 汚い魔族どもめ、我が国に嫌がらせを仕掛けてきたのだ! 今すぐ全軍を出兵させろ!」
「待ってください、将軍閣下! 魔王軍は国境の砦から一歩も動いていません!
原因は国境ではなく、あの『東の荒れ地』です!」
「何だと……!?」
「先日、我が国の税務局長が、アルテニア王国の商人に『開拓名目』で格安で売り渡した、あの草一本生えない不毛の荒れ地です!
あそこの川上に、いつの間にか、見たこともない巨大な黒鉄のダムが建設されているとの報告が!」
「おのれ、あの落ち目国家の商人が、我が国の生命線を握ったというのか!
騙されたのだ! 今すぐ騎兵隊を出せ!
その商人を捕らえ、ダムを叩き壊して水を奪い返すのだ!」
激怒したレムリア公国の脳筋将軍は、直属の精鋭騎兵を率いて、砂煙を上げながら東の荒れ地へと猛スピードで突進していった。
◇
一方その頃。レムリア公国が水不足で干からびかけているのとは真逆の状態であった。
黒鉄の砦の各セクターは、溢れんばかりの水力インフラによって大豊作と大増産に沸き返っていた。
「ダイスケ殿! 見てくれ、この瑞々しい大麦を!」
農業部門のゴードン先生の農地。
カイム先生の設計したバイパスから大量の水が引き込まれ、ゴブリンたちが新設した「自動灌漑(水やり)システム」が勢いよくスプリンクラーのように水を撒いていた。
「これまでは水汲みだけでゴブリンたちの半日が潰れていた。
だが、この自動水路のおかげで、彼らは完全に栽培と収穫に集中できている!
労働時間は大幅に減ったのに、今月の収穫量はこれまでの3倍以上だ!」
「それは良かった、ゴードン先生。現場の負担が減って成果が上がる、これこそが理想のインフラ投資だよ」
さらに、生産部門の黒曜工房へ向かえば、クロムが狂ったような歓声を上げていた。
「ギャハハハハ! 見ろよダイスケ! この圧倒的な高水圧!」
工房の裏手では、ダムから送られてきた強力な水流によって、超巨大な「自動鍛造水車」が恐ろしい速度で回転していた。
これまではサイクロプスたちが交代で巨大な槌を振るって金属を叩いていたが、この水車動力の導入により、鍛造プロセスの自動化が一瞬で完了したのだ。
「生産ラインの進化は大成功だね、クロム」
「ああ! 槌を振るう必要がなくなったサイクロプスどもは、今や製品の検品と安全管理に専念してるぜ!
不良品はゼロ、職人たちの残業も完全にゼロだ!」
それだけではない。
大街道の「魔術温泉保養所」には、大量の冷たい冷却水が送られ、超巨大な「大露天風呂(ウォータースライダー付き)」へとエリアが大幅に拡張されていた。
仕事終わりに冷えたエールを飲みながら温泉に浸かる現場の兵士たちのやる気は、すでに計測不能なほどに跳ね上がっていた。
「……信じられん。隣国を限界まで干上がらせながら、そのリソースをこれほど完璧に自軍の富へと変換してみせるとは」
報告を聞いたカイム先生が、手帳の数字を見つめて心底から震えていた。
「戦術とは『敵を倒すもの』だと信じていた儂が恥ずかしいわ。
お前のやっていることは、敵の存在そのものを、こちらの『利益』に変える錬金術じゃ」
「これが、資源の最適配置ですよ、先生」
その時、バルトロさんが作戦室の扉を勢いよく開けた。
「ダイスケ殿! 来たぞ! レムリア公国の騎兵隊が、剣を抜いてこの荒れ地の境界線へと突っ込んできた!」
「お出ましだね。よし、僕たちも出迎えに行こうか。公式な『地主』としてね」
◇
東の荒れ地の境界線。
そこには、怒り狂ったレムリア公国の脳筋将軍と、その背後に並ぶ武装した数百の騎兵たちが、荒い息を吐いて待ち構えていた。
だが、彼らはそれ以上、一歩も前に進むことができなかった。
「どけッ! 我らはレムリア公国軍である! 我が国の水を堰き止める大罪人どもを成敗しに来た!
邪魔をするなら、この大剣で細切れにしてくれる!」
将軍が怒号を上げるが、その目の前に立ちはだかるのは、バルトロ大将軍が率いる完全武装の魔王軍警備部隊だ。
徹底的なホワイトなシフト管理と、美味い飯で完全にリフレッシュされた彼らは、一切の隙なく、圧倒的な威圧感で境界線を完璧にガードしていた。
「お静かに、レムリアの将軍閣下」
バルトロさんの背後から、僕は手帳を片手に、穏やかな笑顔で歩み出た。
「き、貴様がこのダムを作らせた商人の黒幕か!
人間でありながら魔族の兵を従え、我が国の水を奪うとは何事だ!
今すぐ水門を開けろ! さもなくば、不当な侵略行為として貴様らを皆殺しにする!」
「不当な侵略行為、ですか。人聞きが悪いな」
僕は手帳から、綺麗にラミネートされた一通の書類を取り出し、将軍の目の前へと滑らせた。
「これを見てください。
これは君たちの国の税務管理局長が、公式な魔導承認印を押して調印した土地売買契約書です。
この広大な東の荒れ地は、ガラム商会が合法的に永久所有権を買い取った、完全な『私有地』なんですよ」
「な、何だと……っ!?」
「君たちの国の法律(国内法)に基づき、代金も金貨で全額支払い済みだ。
自分の土地の中にある水源をどう使おうが、ダムを建てようが、それは所有者である僕たちの完全な自由です」
僕は万年筆の先で、契約書に押されたレムリアの国章をトントンと叩いた。
「もし、君たちがその剣でこの私有地に一歩でも踏み込み、ダムを破壊すれば……それこそが、レムリア公国側による、公式な契約破棄であり、大義名分のない不当な略奪行為になります。
同じ人間界の近隣の国々──特にアルテニア王国や、周辺の商業都市が、契約も守れない野蛮な狂犬国家をどう見るでしょうね?
明日には国際的な大非難を浴び、すべての交易路が閉鎖されて経済的に完全孤立することになりますが……その覚悟はありますか?」
「う、ぐ、ぬぬぬぬ……っ!」
将軍の顔が、屈辱と怒りで真っ赤に染まった。
軍事国家といえども、自国の役人が正式にサインした契約を理不尽に武力で破れば、人間の国同士のネットワークから完全に弾き出される。
戦う力はあっても、大義名分が1ミリもないのだ。
「武力で攻め込みたいなら、どうぞお好きに。
でも、その前に君たちの軍馬、水不足で明日には全滅するんじゃないかい?」
僕は冷徹に微笑み、手帳をパチンと閉じた。
「戦う前に、君たちはすでに詰んでいるんですよ」
完全に武器を取り上げられたレムリアの脳筋将軍は、ただ歯をガタガタと鳴らすことしかできなかった。
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