第33話 魔王軍の老害
中央統制局の権限を移管させた、その日の夜。
僕は魔王城の最奥にある、普段は誰も立ち入らない『深緑の間』の前に立っていた。
隣に立つバルトロさんが、いつになく緊張した面持ちで声をごくりと飲み込む。
「ダイスケ殿……。本当に、ここの扉を開けるのか?」
「ああ。グレモル局長が現場を止めてまで守りたかったものの正体が、この奥にあるからね」
「だが、この奥にいるのは、先代魔王様の時代から何百年も我が軍を支えてきた『元老院(相談役)』の重鎮たちだ。今のザガンどもとは、格が違うぞ……」
「どれだけ格が高くても、組織の経営を圧迫しているなら査定の対象だよ。行こうか」
僕は手帳を片手に、重厚な木製の扉を静かに押し開けた。
◇
部屋の中に広がっていたのは、薄暗い暖炉の光と、高級な葉巻の煙だった。
豪華なソファーに腰掛けているのは、白髪の混じった、見るからに年老いた三人の魔族の老人たち。
彼らこそが、先代の時代から魔王軍の運営に口を挟んできた「相談役」の面々だった。
「……フン。騒がしいと思えば、新入りの総合参謀か」
中央に座る、豪奢な杖を持った老魔族が、不機嫌そうに僕を睨みつけた。
僕は無言のまま、彼ら三人へ《鑑定》の視線を向けた。
【名前】ガープ(元・第一軍長/現・最高相談役)
【不満度】95%
【適性】なし(全ステータスが全盛期の1割以下に低下)
【名前】ムルムル(元・軍需大臣/現・財政相談役)
【不満度】92%
【適性】なし(現在の複式簿記の仕組みに全くついていけていない)
なるほど、と僕は心の中で冷淡に査定した。
この二人は、完全に過去の栄光にしがみついているだけの「老害相談役」だ。
ザガンやグレモルを裏で操り、新体制の足を引っ張っていた首謀者は彼らだった。
しかし、最後に一番奥の椅子に深く腰掛けている、片目の老魔族を見た瞬間、僕の目がピタリと止まった。
【名前】カイム(元・魔王軍総参謀/現・戦略相談役)
【不満度】40%
【適性】地政学:レベルS、防衛戦略立案:レベルS
(……素晴らしい。この人は、本物の『生ける財産』だ)
僕は心の中でニヤリと笑った。
相談役の全員が有害なわけではない。
本当に組織を愛し、今でも貢献したいと願っている優秀なベテランが、古い仕組みのせいで一括りにされている。
これこそが、ブラックな年功序列組織の典型的な病理だった。
「何用だ、ダイスケ。我らの聖域に立ち入るなど、無礼であろう」
最高相談役のガープが、杖を床にトントンと打ち付けた。
「本日付で、魔王軍の『組織若返りプラン』──つまり、【定年退職制度】の導入を通告しに参りました」
「て、定年退職だとぉっ!?」
ムルムルが、老人とは思えない鋭い声で絶叫した。
「ふざけるな! 我らは先代魔王様から、永久にこの城で暮らす特権(終身雇用)を約束されているのだぞ!」
「それは先代の経営判断です。現在の魔王の方針では、成果を出さずに席だけを汚し、裏で現場の妨害を働く役員は、即刻リストラの対象となります」
「おのれ人間風情がッ! 我らを追い出すなど、絶対に認めんぞ!」
ガープが怒りに任せて立ち上がろうとした瞬間、バルトロさんが前に一歩踏み出し、大将軍の圧倒的な魔力で室内を威圧した。
「静かにされよ、ご老師方。
我が軍の軍資金を握っているのは、総合参謀ダイスケ殿だ。
ご老師方の毎月の高額な『顧問報酬』も、明日から一円も出んぞ」
「う、ぐ……っ」
老人たちの顔から、一気に血の気が引いた。
「もちろん、ただ追い出すような冷酷な真似はしませんよ」
僕は手帳から、綺麗に印刷された一通の『早期退職優遇プラン』をテーブルの上に滑らせた。
「条件を提示します。
ガープさん、ムルムルさん。あなた方には本日付で相談役を『円満引退』していただきます。
代わりに、これまでの功績を称え、通常の三倍の『割増退職金』を一括で支給します。
さらに、大街道の中間にある宿場町の『最高級温泉リゾートの永住権』をプレゼントしましょう。
これからは毎日、冷えたエールを飲みながら、温泉に浸かって優雅なセカンドライフを送ってください。どうですか?」
「お、温泉リゾートの永住権……!?」
「退職金が、三倍……!?」
ガープとムルムルの目が、獣のようにギラリと輝いた。
彼らは本来、ただ自分の贅沢な隠居生活を守りたいだけの老人なのだ。
これ以上ない好条件が用意されれば、文句を言う理由などどこにもなかった。
「……サ、サインする、サインすればいいのだな!」
「大街道の温泉、行ってみたかったのじゃ!」
二人の老害相談役は、涙を流しながら引退届に震える手でサインを書き込み、そそくさと荷物をまとめに部屋を飛び出していった。
◇
部屋に残されたのは、片目の老魔族──戦略相談役のカイムだけだった。
彼は契約書を見つめたまま、深く、静かにため息をついた。
「……見事な手際だな、総合参謀。
金と温泉で老害を綺麗に掃除するか。
さて、儂への退職金の額はいくらだ? 儂もさっさと温泉へ行くとしよう」
「いいえ、カイム先生。あなたに退職金は支払えません」
「……何? 儂だけは一銭もやらずに追い出す気か?」
「違います」
僕はカイムの前に歩み寄り、深く頭を下げた。
「あなたには、今日から我が総合参謀部の『最高戦略顧問』として、現役で残っていただきたいのです」
「な、何だと……っ!?」
カイムの片目が、驚愕で丸くなった。
「《鑑定》させていただきました。カイム先生、あなたの持つ『大陸全体の地形データ』と『関所の防衛戦略』。これは、我が軍にとって、金貨一万枚を積んでも手に入らない最高の知的財産です。
ただ温泉で腐らせるなんて、とんでもない機会損失ですよ」
「しかし……儂の古い戦術など、お前の大街道や物流の時代には通用せんぞ……」
「戦術は僕たちがアップデートします。
僕たちが欲しいのは、あなたの持つ圧倒的な『経験』です。
あなたが図面を引き、僕たちが物流を走らせる。
先生、あなたの最高の頭脳、もう一度だけ我が魔王軍のために貸してくれませんか?」
カイムは呆然と僕を見つめ、やがてその大きな手がガタガタと震え出した。
王国でも魔王軍でも、老兵は「役立たず」として一括りにされ、誰からも顧みられなくなるのが常識だった。
そんな中、戦闘力ゼロの人間のおっさんだけが、自分の本当の価値(強み)を見抜き、現役のプロとして最大の敬意を払ってくれたのだ。
「……ハッ、ハハハ! まさかこの歳になって、人間の小僧に口説かれるとはな!」
カイムは豪快に笑い飛ばし、目元に涙を浮かべながら、僕の手を力強く握り返した。
「面白い! 儂の脳髄のすべて、お前の手帳にくれてやるわ!
新しい魔王軍の背骨、とことん作ってみせようぞ!」
「よろしくお願いします、先生」
僕は手帳を開き、カイムのステータスを確認した。
不満度は一瞬で0%になり、忠誠心は【150%(限界突破)】を叩き出していた。
実に見事な、ベテランの再雇用(シニア活用)の成功例だった。
◇
翌朝、魔王城の廊下で、バルトロさんが心底感心したように息を吐いた。
「ダイスケ殿……本当に、言葉もないぞ。
ザガンたちの後ろ盾だった老害相談役を温泉へ追放し、同時に、軍の至宝であったカイム先生を完璧に味方に引き入れてしまうとは」
「年齢や身分で一括りに評価するからエラーが起きるんだよ、バルトロさん。
使えない老害には綺麗な花道を用意し、使えるベテランには正当な舞台を用意する。
これぞ適材適所の真髄さ」
僕は満足して万年筆のキャップをパチンと閉じ、手帳をポケットに収めて、不敵に笑ってみせた。
ザガンたちの背後にいた闇の既得権益(相談役)は、これにて完全に消滅した。
社内のガバナンスも、物流も、そして最高顧問の知恵も、すべてが僕たちの手の中に完璧に集約されたのだ。
「さあ、社内の膿は全て、綺麗に削り落とした。バルトロ大将軍、カイム先生」
僕は窓の外、大街道のその先にある、人間界の次なる巨大な経済圏を静かに見据えた。
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