第32話 現場を止める幹部はもういらない
会議ルールを導入した翌朝。
本来なら、魔王軍の現場は少しずつ動き出すはずだった。
無駄な会議は減った。
決裁者も期限も明確になった。
第一軍から再配置された兵士たちも、それぞれの部署で新しい仕事を始めている。
――はずだった。
「ダイスケ!」
執務室の扉を蹴破る勢いで飛び込んできたのは、物流部隊長のゴルグだった。
その巨体には珍しく、焦りと怒りが浮かんでいる。
「俺の部隊はサボってねえ! 荷物も時間通りに運んだ!
なのに、現場じゃ全部こっちのミスにされてやがる!」
「何が起きた?」
「黒曜工房に送るはずの魔力ポーションが門前で止められた。
農地に送る肥料も倉庫から出せねえ。元第一軍の連中の配属書類も差し戻しだ」
バルトロが顔をしかめる。
「会議で止められなくなった途端、今度は現場か」
僕は手帳を閉じ、立ち上がった。
「見に行こう。現場は嘘をつかないからね」
◇
まず向かったのは、黒曜工房へ続く補給門だった。
そこでは、荷車を引いたオークたちが、魔力ポーションの木箱を積んだまま立ち往生していた。
門の前には、黒い外套を着た痩せた魔族の役人が数人。
彼らは無表情で羊皮紙をめくっている。
僕は、荷車の横で肩を落としているオークに《鑑定》を向けた。
【種族】オーク
【所属】物流部隊
【不満度】86%
【疲労度】74%
【適性】重量物搬送・短距離高速輸送
【本音】荷物は時間通り運んだ。だが「中央統制局の承認印がない」と言われて止められた。自分たちのミスにされるのが悔しい。
「なるほど」
次に、門の内側で青ざめているインプの倉庫番を見る。
【種族】インプ
【所属】補給倉庫
【恐怖度】92%
【不満度】88%
【本音】工房には早く渡したい。でも中央統制局の役人に「勝手に出したら処罰する」と言われた。どうすればいいか分からない。
現場の魔物たちは、止まっているのではない。
止められている。
「中央統制局か」
僕が呟くと、黒外套の役人がこちらを見た。
「総合参謀ダイスケ殿ですね。こちらの物資移動は、中央統制局の規定により保留となっています」
「理由は?」
「申請書式が旧式です」
「旧式?」
「はい。三年前に改定された倉庫外搬出用第七様式ではなく、五年前の第四様式が使用されています」
ゴルグのこめかみに血管が浮いた。
「中身は同じだろうが!」
役人は眉一つ動かさない。
「規則です」
その一言で、僕はだいたい理解した。
◇
次に向かった農地でも、同じことが起きていた。
ゴードン先生の前には、肥料袋が届かないまま、畑を見つめるゴブリンたちが並んでいる。
一匹のゴブリンを《鑑定》する。
【種族】ゴブリン
【所属】農業部門
【不満度】79%
【焦燥感】91%
【本音】肥料は倉庫にあるのに、使用許可が下りない。先生に申し訳ない。収穫が遅れたら、自分たちが役立たずだと思われる。
ゴードン先生は震える声で言った。
「ダイスケ殿……この時期に肥料を入れられんと、収穫量が落ちます。
せっかく皆が覚えた作業が、無駄になってしまう」
「無駄にはしませんよ」
僕はゴブリンたちへ向き直った。
「君たちのせいじゃない。仕事はできている。止めている奴が別にいるだけだ」
ゴブリンたちの目が、少しだけ潤んだ。
その後、黒曜工房、物流倉庫、再配置受付所を回った。
どこも同じだった。
現場の魔物たちは働いている。
だが、中央統制局の承認印、書式、前例、管轄という言葉で止められていた。
「規則です」
「前例がありません」
「管轄外です」
「担当者が不在です」
「上位承認が必要です」
前の世界でも、何度も聞いた言葉だ。
現場を知らない本社部門が、責任を取らないために使う呪文。
僕は手帳を開き、最後に中央統制局の役人を《鑑定》した。
【所属】魔王軍中央統制局
【忠誠心】42%
【不満度】23%
【適性】書類管理・規則運用
【本音】現場が止まっても自分たちの責任ではない。規則通りに差し戻せば処罰されない。
「一番厄介なタイプだな」
バルトロが眉を寄せる。
「敵意があるわけではないのか?」
「敵意がない分、厄介なんです。悪いことをしている自覚がない」
◇
魔王城、中央統制局。
そこは戦場から最も遠い場所にあった。
壁一面に古い台帳が並び、机の上には承認待ちの羊皮紙が山のように積まれている。
その奥で、痩せた老魔族が静かに茶を飲んでいた。
中央統制局局長、グレモル。
彼は僕たちを見るなり、ゆっくりと頭を下げた。
「これは総合参謀殿。何かご用件でしょうか」
「現場の物資移動と人員再配置が止まっています。理由を聞きに来ました」
「規則です」
グレモルは即答した。
「魔王軍は巨大な組織。規則なくして秩序は保てません。
現場がどれほど急ごうとも、定められた書式、承認印、確認手順を経る必要があります」
「そのせいで工房が止まり、農地が遅れ、物流が詰まっている」
「それは現場側の申請不備です」
「本当に?」
僕はグレモルに《鑑定》を向けた。
【名前】グレモル
【役職】魔王軍中央統制局局長
【不満度】18%
【忠誠心】51%
【適性】記録保管・台帳管理
【不適性】現場判断・緊急対応・改善業務
【本音】現場が混乱しても、規則を守っていれば自分の責任ではない。新体制で権限を奪われるのは避けたい。
僕は小さく息を吐いた。
「グレモル局長。あなたは悪人ではない」
「は?」
「ただ、現場を知らないまま現場を止めている。だから悪人より厄介だ」
グレモルの目が細くなる。
「失礼ですな。中央統制局は、長年魔王軍の秩序を守ってきました」
「秩序と停滞は違います」
僕は机の上に、現場で確認した魔物たちの記録を並べた。
「物流部隊のオークは時間通りに荷物を運んだ。倉庫番のインプは物資を出そうとしていた。
農業部門のゴブリンは肥料を待っていた。黒曜工房は材料さえ届けば生産できた」
僕はグレモルを見据える。
「働いていないのは現場じゃない。ここです」
部屋の空気が凍った。
グレモルの部下たちが、ざわりと動揺する。
「規則は現場を守るためにある。現場を止めるための規則なら、そんなものはただの鎖だ」
「しかし、承認なしで物資を動かせば混乱が――」
「混乱しているのは、あなたたちが承認を止めているからです」
僕はバルトロへ向き直った。
「バルトロさん、提案があるんだ」
「何かな?」
「現場稼働に関わる物資移動、人員再配置、緊急補給の承認権限を、中央統制局から総合参謀部へ一時移管します。
中央統制局には記録保管と事後監査に専念してもらう」
グレモルが立ち上がった。
「それは、我々から権限を奪うということですぞ!」
「違います。適材適所です」
僕は静かに言った。
「あなたたちは記録を守るのは得意だ。でも、現場を動かす判断には向いていない。だから権限を分ける」
バルトロが重々しく頷いた。
「承認するぞ、ダイスケ殿。
魔王軍大将軍として、現場稼働に関わる即時決裁権を総合参謀部へ移す」
グレモルの顔から血の気が引いた。
◇
その日の夕方。
止まっていた荷車が一斉に動き出した。
魔力ポーションは黒曜工房へ届き、クロムが狂ったように笑いながら作業を再開した。
肥料は農地へ運ばれ、ゴブリンたちがゴードン先生の指示で畑へ走った。
元第一軍兵士たちの再配置も進み、ゴルグの物流部隊は再び地響きを立てて動き始めた。
「ダイスケ!」
ゴルグが照れくさそうに鼻を鳴らす。
「俺の部下たち、また働けるって喜んでるぞ」
「それでいい。現場の管理は止めるためにあるんじゃない。動かすためにある」
僕は手帳を開く。
中央統制局の役人たちの数値は、大きく揺れていた。
【中央統制局職員】
【不満度】61%
【本音】自分たちの仕事は何だったのか。だが、記録保管ならまだ役に立てるかもしれない。
悪くない。
権限を奪うだけでは組織は良くならない。
役割を変え、使える場所に置き直す。
それが本当の改革だ。
僕は魔王城の廊下から、動き始めた現場を見下ろした。
「現場を知らない幹部はまだいい。学べばいいからね」
そして、止まっていた荷車が次々と門を抜けていくのを見て、手帳を閉じた。
「でも、現場を止める幹部はもういらない」
その時、遠くの塔で、グレモル局長が誰かと密談している姿が見えた。
相手は、ザガンではない。
もっと古い、魔王城の奥に根を張る別の組織の者たちだった。
僕は新しいページを開く。
――中央統制局の背後関係。
「さて。次は、この鎖を誰が作らせていたのかを調べようか」
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