第28話 最終決済の調印式
静まり返ったアルテニア王国の王宮。
かつて栄華を誇った玉座の間は、今や冷徹なまでの静寂に支配されていた。
「おい、誰かいないのか……!
財務大臣! 誰でもいい、私の前に来い!」
玉座の上で、国王が狂ったように叫び続けていた。
だが、その声に応える者は一人もいない。
宮廷の事務職も、税を計算する上級文官も。
そして、昨日まで王宮を守っていた近衛騎士団までもが、すべて『黒鉄のギルド』に引き抜かれて夜逃げしたのだ。
今の国王は、ただの「空っぽの箱」に座る、孤独なおっさんでしかなかった。
重厚な黒鉄の扉が、コツ、コツ、と硬い靴音を響かせて開いた。
「な……誰だ! 騎士か!? 戻ってきたのか!」
国王が、縋るような目を扉へと向けた。
だが、現れたのは聖剣を持った英雄ではなかった。
上質なコートを羽織り、使い慣れた手帳を片手にした僕。
そして、その背後から地響きのような威圧感を放ちながら続く、漆黒の鎧のバルトロだった。
「お困りのようだね、国王陛下」
「き、貴様は……!
確か、少し前に冒険者ギルドから無能だと追放された、ただの転移者……ダイスケ!?」
「おや、名前を覚えていてくれたのか。光栄だよ」
僕は穏やかに微笑みながら、玉座の階段の手前で足を止めた。
「なぜ、そんな不遜な態度でいられる!
不敬だぞ! 門番! こいつらを今すぐつまみ出せ!」
「無駄だよ。この城にはもう、君の命令を聞く人間は一人も残っていない」
「な、何だと……っ!」
「君が昨日、裏付けなしに刷らせたあの新紙幣。
あれが駐屯地に配られた瞬間、騎士たちは全員、うちの黒鉄のギルドへ転職届を出して出て行ったよ。
市場の物価が何十倍にもなっているのに、国から支給されるのは、さらに価値が落ちる予定の紙切れだからね。
彼らは今頃、大街道の温泉で旅の疲れを癒やしているはずさ」
国王は顔を真っ青に染め、ガタガタと玉座で震え出した。
「き、貴様が……我が国の兵を、すべてたぶらかしたのか……!」
「人聞きが悪いな。
僕は正当な労働市場の競争に基づいて、優秀な人材を中途採用しただけだよ。
残業代も出ない、紙屑しか払えないブラック国家に、これ以上付き合う人がいない。
経営として当たり前の結果さ」
僕は一通の分厚い契約書を国王の前の床へと滑らせた。
「それより、陛下。本日は『最終決済』の確認に参りました」
「けっ、さい……? 何の話だ!」
「これを見てごらん。
君たちの国が、これまでに垂れ流した膨大な借金──『アルテニア王国債』の山だよ」
僕が手帳の数字を指さすと、バルトロが後ろから、書類の詰まった大きな革袋をドンと床に置いた。
中から溢れ出たのは、王国の公式な刻印が押された、大量の国債の束だった。
「ば、馬鹿な……!
なぜ我が国の国債が、そんなに大量に魔族の元にあるのだ!」
「市場にバラ撒かれた君たちの国債は、ハイパーインフレのせいで、今や誰も見向きもしないゴミクズと化していたからね。
それを我が社が、人間界の代理人を使って、底値の数十分の一の価格で一斉に買い叩いたんだ。
結果として、現在、アルテニア王国が抱える全債務の過半数を、我が社が完全に掌握した」
僕は万年筆の先で、その国債をトントンと叩いた。
「つまり、僕は今、君たちの『筆頭債権者』なんだよ」
「な、なん……だと……!?
この私が治める大国が、魔王軍に支配されているというのか!?」
「そう。会社で言えば、君は明日にも不渡りを出して倒産する寸前の、ボロボロの民事再生企業。
価値が底値まで大暴落している会社の権利を買うのに、そんな大金はいらない。
これが僕の得意な再生案件の買収さ」
国王は、椅子から転げ落ちるようにして床へ這いつくばった。
「ま、待て! 私は国王だ!
こんな不当な乗っ取りが、法律で認められるはずが──」
「法律に則っているから、公式な債権回収なんです」
僕は冷徹に言い放ち、手帳からもう一枚の『経営統合契約書』を取り出した。
「選択肢をあげよう、陛下。
このまま債務不履行のペナルティとして、この美しい王宮も、君の持つすべての個人資産も、合法的にすべて差し押さえさせてもらう。
嫌なら、この契約書にサインをして、我が『黒鉄グループ』の傘下に入ることだ」
「さんか……? このアルテニア王国が魔王軍の下になれと言うのか!」
「形式上は、王国の看板も名前も残していい。
君も『名誉雇われ国王』の座に留まれる。
ただし、実務の権限──『王国の徴税権』、および『司法・行政の意思決定権』は、すべて我が黒鉄グループへ譲渡してもらう」
国王は、怒りと屈辱で唇を血が出るほど噛み締めた。
だが、拒否すれば待っているのは、確実な破産と、怒り狂った平民たちによる暴動での死だ。
「……くそ、くそおおお!」
国王は涙を流しながら、国家を丸ごと明け渡す下請け契約書に、震える手でサインを書き込んだ。
「毎度あり。迅速に業務を遂行させていただきます」
僕は契約書を回収し、パチンと手帳を閉じた。
◇
国王が魂の抜けたような顔で玉座へ崩れ落ちた後。
王宮を辞した馬車の中で、バルトロが大きなため息をついた。
「ダイスケ殿……またしても俺は震撼しているぞ」
「おや、どうしてだい、バルトロさん」
「看板も、建物の名前も、国王の顔ぶれも人間のままだ。
人間界の誰も、この国が完全に魔王軍の支配下に入ったとは夢にも思うまいて」
バルトロは、僕が持っている調印済みの書類を見つめた。
「形式上の独立性を保たせておいているからこそ、近隣の国々からも何の不審も抱かれん。
中身は完全に我が軍の組織だというのにな」
「そう。これがステルス国家買収さ。
看板をわざわざ魔王軍に掛け替えるのは、リスク管理のできない三流のやることだよ。
形さえ残しておけば、人間界のインフラも、資金も、公式な税収も、僕たちはここで汗水垂らさずに永久に吸い上げ続けることができる。
これ以上の優良資産はないよ」
戦闘力ゼロのおっさんが、組織の働き方を変え、労働市場を支配し、ついには人間界の象徴であった大国を完全に『子会社化』して見せたのだ。
「さあ、アルテニア王国の買収はこれで完了だ。バルトロさん」
僕は馬車の窓を開け、夕日に染まる広大な魔界の方角を見据えた。
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