第22話 見えない経済封鎖
新しく導入した人事評価制度は完全に定着した。
第一執務室では、魔族の戦士と人間の文官が笑顔で書類を回している。
社内のガバナンスは完璧に整った。
そんな平和なオフィスの片隅で、副長のバルトロがふと首を傾げた。
彼は前線である「黒鉄の砦」の防衛マップを見つめている。
その厳つい顔には、純粋な疑問が浮かんでいた。
「ダイスケ殿……いまさらなのだが、不思議でならんのだ」
「おや、バルトロさん。どうしたんだい?」
「お前が我が軍に来てから数ヶ月。アルテニア王国からの侵攻がピタリと収まった。
ここ最近に至っては、小規模な国境紛争すら一度もないのだ。
人間どもめ、急に戦意を失ったのだろうか?」
バルトロにとっては、最大の謎だったらしい。
魔王軍の側から攻め込んでいないのに、敵が勝手に静かになったのだ。
僕は手帳を開いたまま、フッと冷徹に笑った。
「戦意を失ったんじゃないよ、バルトロさん。
アルテニア王国の内部は今、僕たちと戦うどころじゃないはずだよ」
「な、何だと……? それはどういう意味だ?」
「バルトロさん、僕がこれまで何をしてきたか思い出してごらん。
王都のギルドを完全子会社化し、商業都市の悪徳大商会をハッキングして破産させた。
彼らはただの商人じゃない。
王国の軍隊に『軍資金』と『物資』を供給していた、国家の心臓だったんだよ」
僕は手帳をパチンと閉じた。
「財布の底が抜けて、行政の機能が止まった国だ。
どうやって遠征軍という名の巨大な組織を動かすんだい?」
◇
場面は変わり、アルテニア王国の王宮。
重々しい御前会議室には、怒号と悲鳴が飛び交っていた。
血の気の引いた財務大臣が、国王の前で激しく書類を叩きつけている。
「国王陛下! もはや一刻の猶予もございません! 国庫の底が見えております!
今期の商業税の収入が、ほぼ『ゼロ』に等しい状態なのです!」
「馬鹿な……!? 我が国にはあの巨大大商会があるではないか!」
「その大商会が数週間前に完全に破産したのです!
彼らの連鎖倒産により、王都の貴族たちも次々と債務不履行に陥っております!」
財務大臣の報告に、国王は玉座で頭を抱えた。
そこへ、筋肉質の鎧をまとった騎士団長が、大声を上げて立ち上がる。
「何を弱気なことを! 税が出ぬなら、魔王軍を討伐してその富を奪えば済む話!
すぐに国境の黒鉄の砦へ遠征軍を出すべし!」
「黙れ、この脳筋め!!」
財務大臣が般若のような顔で怒鳴り返した。
「遠征軍を動かすのに、どれだけの金がかかると思っている!
兵士に払う給与も、遠征用の兵糧を買う金も、我が国には全く残っていないと言っているのだ!
武器を買う鉄すらないのだぞ!」
「な、何だと……!? 鉄なら、職人街から徴発すれば――」
「その職人街の職人どもは、大街道から流れてくる魔王軍の格安材料に胃袋を掴まれ、我が国の命令などまともに聞きはせん!
下手に動けば職人たちが暴動を起こすわ!」
さらに、財務大臣は別の、より深刻な書類を突きつけた。
「それだけではございません!
王宮の裏方、実務を担う若手や中堅の文官たちが、夜な夜な大量に夜逃げをしております!」
「夜逃げだと!? なぜ我が国のエリート役人が逃げるのだ!」
「激務に対して残業代も出ぬブラックな我が国に絶望したのです!
彼らは『魔王軍のほうが待遇が良い、あちらは完全週休二日だ』と噂し、大街道を通って魔王軍へ転職しているのです!
書類仕事ができる人間が消え、王宮の行政機能は完全に麻痺しております!」
「ま、魔王軍へ……転職……!?」
会議室が、凍りついたような静寂に包まれた。
王宮の無能な上層部たちは、不眠不休で膨大な赤字の処理に追われている。
彼らの精神は、すでに限界まで磨り減っていた。
彼らが必死に処理している、その「大赤字の帳簿」の裏。
そこにはすべて、僕の手帳の数字が繋がっている。
武力で血を流す必要など、最初からなかった。
人間界の「国家システム」そのものを、内側からハッキングする。
おっさん経営者が仕掛けた、見えない経済封鎖の罠。
アルテニア王国は、戦う前に、すでに内側から完全に壊死していた。
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