第18話 生活インフラのハッキング
新しく開通した魔界大街道の中間地点。
人間と魔族が共生する宿場町の一角に建つ、物流倉庫のオフィスで、僕はバルトロと共に人間界から届いた最新の受注帳簿をチェックしていた。
窓の外を見下ろせば、サイクロプスたちが鉱山で掘り起こし、クロムの工房で一次加工された最高品質の魔鉱石が、オークたちの大型馬車に満載されていく。
大街道の平坦な路面を使い、寸分の狂いもない定期配送で、毎日必要な時に必要な分だけ人間界の職人街へとピストン輸送されていく。
その様子は、まさに完璧に構築された供給網そのものだった。
だが、書類をめくるバルトロの厳つい顔は、なぜかいつになく険しかった。
彼は大きな指で帳簿を叩き、不安を隠せない様子で僕を振り返った。
「ダイスケ殿……職人街が息を吹き返し、悪徳大商会が干上がっていく様は実に見事だ。
我が軍の物流の勝利と言っていい。
だが、一つだけ、どうしても夜も眠れぬほど恐ろしい懸念があるのだ」
「おや、バルトロさん。あんなに現場がうまく回っているのに、一体何が不満だい?」
「不満ではない、恐怖なのだ! よく考えてみてくれ。
我が軍の最高品質の魔鉱石を、人間界でも指折りの腕を持つあの職人たちに大量に渡しているのだぞ?
もし彼らが、我が軍の材料を使って『王国最強の魔剣』や『一騎当千の鎧』を量産し始めたらどうする!?」
バルトロはガタガタと巨体を震わせ、僕の肩を掴まんばかりの勢いで身を乗り出した。
「その最強兵器で武装した王国の騎士団が、この大街道を逆流して魔王城へ攻めてきたら、我が軍は自らの配給した材料によって全滅させられることになる!
ダイスケ殿、これはあまりにもリスクが大きすぎるのではないか!?」
たたき上げの武人であるバルトロらしい、真っ当な戦術的視点だ。
僕は手帳をパチンと閉じ、コートのポケットに手を突っ込んでフッと笑った。
「バルトロさん。僕がそんな爪の甘いリスク管理で、全軍の財布を任されていると思ったかい?
──いいですか、誰が彼らに『武器』を作らせると言いました?」
「え……? ぶ、武器ではない?
だが、あそこは鍛冶屋や魔導具の職人街だろう?
鉄を叩いて作るものと言えば、剣や槍、盾に決まっているではないか」
「バルトロさん、それだから人間界の古い大商会と同じ轍を踏むんだ。
この数字を見てごらん」
僕は手帳を開き、人間界の市場から割り出した、生々しい「需要の統計データ」をバルトロの目の前に突きつけた。
「王国の騎士団が使う剣や鎧、つまり『軍需品』の市場なんてね、人間界全体で見ればほんの一握りだ。
全体の数パーセントにも満たないごく小さな市場なんだよ。
そんな狭い市場で強い武器を作らせたところで、大した儲けにはならないし、何より危ない。
だから、僕が職人たちに作らせているのは、全く別のものさ」
「別のものであると……? 一体、何を作らせているのだ?」
「全人類が、生まれてから死ぬまで毎日使い続け、消費し続けるもの。
『生活必需品』だよ」
バルトロはぽかんと大きな口を開けた。
「生活、必需品……?」
「そう。大商会が流通を独占して暴利を貪っていたのはね、騎士団の剣だけじゃない。
人間界の何百万人という一般市民が毎日台所で使う『包丁』、農民たちが畑を耕すための『鍬』や『鎌』、大工たちが使う『ノコギリ』や『ノミ』、家庭用の『鍋』、そして物流を支える『馬車の車軸』だ」
僕は窓の外で、魔鉱石を積んで人間界へ向かう馬車を指さした。
「軍隊の人間よりも、一般市民の数の方が圧倒的に多い。
市場規模の桁が最初から違うんだよ。
僕は職人街を分業化させた際、彼らの工房に包丁専門ラインや農具専門ラインをアサインした。
サイクロプスが掘った、絶対に刃こぼれしない、一生錆びない頑丈な魔鉱石を使って、職人たちに『最高の包丁』と『極上の鍬』を爆速で量産させているんだ」
バルトロは帳簿と窓の外を交互に見つめ、ようやく僕の意図を理解し始めたのか、その目が驚愕で見開かれていった。
「な、なるほど……! 刃こぼれしない包丁に、一生錆びない鍬……!
そんなものが市場に出回ったら、人間界の主婦や農民たちは飛びつくに決まっている!」
「その通り。しかも、僕たちは原材料費が実質ほぼゼロだ。
大街道による直通の配送ルートを持っている。
大商会が売っていた粗悪な生活道具の『半額』で、人間界の市場へ大量にバラ撒くことができるんだ。──結果として、何が起こると思う?」
僕は冷徹に、ビジネスにおける「死因」を口にした。
「大商会という巨大な組織はね、騎士団用の高級な剣の利権だけで食っていけるほど甘くないんだよ。
彼らの組織の土台を支えていたのは、一般市民から毎日確実に上がってくる、生活道具の莫大な販売利益だったんだ。
その日々の現金収入が、我が魔王軍の流通ルートによって完全に奪われ、一瞬で途絶えることになる」
どれだけ大きな大商会であっても、毎日の日銭が入ってこなくなれば、従業員への給与も、店舗の維持費も払えなくなる。
王都のギルドと同じ話だ。
「仕入れ先の職人にそっぽを向かれ、売るための生活物資も手に入らず、毎日の現金収入もゼロになる。
大商会は、人間界の法律や騎士団に守られたまま、ただ『金庫の中身が空っぽになる』という理由だけで、来月には確実に破産するよ」
「……し、しかし、人間界の一般市民たちの手元には、我が軍の高品質な鉄で作られた道具が溢れかえるのだろう?
それは本当に安全なのか?」
「バルトロさん、まだ分からないかい?」
僕はバルトロの肩をぽんと叩き、呆れたように笑ってみせた。
「人間界の主婦が、どれだけ切れ味の鋭い最高の包丁を手に入れたところで。
農民たちが、どれだけ頑丈で使いやすい鍬を手に入れたところで。
彼らがその道具を持って、我が魔王軍に戦争を仕掛けてくると思うかい?」
「あ……」
バルトロはハッとして、自分の頭を叩いた。
「そ、そうか……! 包丁や鍬をどれだけ強化したところで、我が軍の驚異には一ミリもならん!
むしろ、人間界の何百万人という一般市民は、毎日料理をするたび、毎日畑を耕すたびに、
『この使いやすい道具は、大街道から来る格安の黒鉄ブランドのおかげだ』と、
我が軍の物流に心から感謝し、依存し始めるということか……!」
「その通り。この世界においては軍事で儲けるのは二流の武器商人さ。
一流の経営者はね、人々の『日常』を支配して、生殺与奪の権を握りながら永続的な利益を上げるんだよ」
人間界の軍事力を一ミリも上げることなく、むしろ人間界の生活インフラの根底を魔王軍が100%掌握する。
大商会を合法的に圧殺し、商業都市の経済の心臓部を乗っ取るためのリスク管理は、これで完全に完了した。
「さあ、バルトロさん。大商会の破産カウントダウンは始まった。
足元が完全に固まったところで、次なる経営戦略のステージへと歩みを進めようか」
僕は満足して手帳をポケットに収め、新しく開通した大街道のその先を見据えた。
既存の権益が崩壊した商業都市に、僕たちの『黒鉄ブランド』の旗を完全に打ち立てる時は、すぐそこまで迫っていた。
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