第15話 最高経営責任者の着ぐるみ
黒鉄の砦から馬車に揺られること数日。
僕とバルトロは、魔界の中心にそびえ立つ魔王城の最深部――『玉座の間』の前に立っていた。
前世でいうところの、文字通り「ブラック企業の本社」への呼び出しだ。
高さ十メートルはあろうかという重厚な黒鉄の扉が、地響きを立ててゆっくりと左右に開く。
一歩足を踏み入れた瞬間、肌を刺すような冷たい瘴気と、圧倒的な質量を持った魔力が部屋を満たしていた。
人間界の王都ギルドが可愛く思えるほどの、異次元の重圧。
背筋に冷たい刃を突きつけられているかのような緊張感が、空間全体に張り詰めている。
「うっ……お、おお……。これぞ、魔王様のご威光……」
隣を歩くバルトロが、そのあまりの威圧感だけで歯をガタガタと鳴らし、まともに直立することすらできずにその場に両膝をついて平伏した。
彼は魔王軍の第三軍副長という、現場のたたき上げの猛者だ。
その武人が、戦う前に入口で完全に折られている。
組織のトップが放つ「恐怖による統治」が、どれほど末端にまで根深く浸透しているかが一目で分かった。
◇
広大な部屋の奥。
何段もの石段の上に設置された、禍々しい骨で装飾された巨大な玉座には、山のように巨大で、漆黒の炎を全身から揺らめかせた恐るべき異形の影が君臨していた。
その顔があるべき場所には、肉体はなく、怪しく光る二つの赤色灯のような眼光だけが不気味に輝いている。
『……お前が、王都のギルドを戦わずして制したという人間か』
ゴゴゴゴ、と部屋全体を震わせるような、地鳴りに似た重低音が響く。
声を聞くだけで、普通の人間なら精神が崩壊してその場に発狂して野垂れ死ぬレベルの「恐怖」の波動。
『我が前に立ちながら、一歩も引かぬとはな。
人間の分際で、命が惜しくないと見える……!』
赤き眼光が僕を値踏みするように睨みつける。
しかし、僕はコートのポケットに手を突っ込んだまま、ただ静かにその巨体を見つめていた。
おかしい。
僕は前世の経営者時代、中身がスカスカで実務能力がないのを隠すために色々とやっているのを見てきた。
過剰な高級外車に乗ったり、
これ見よがしに大柄な態度を取ったり、
高級時計を見せびらかして部下を威圧する「ハッタリだけの二代目社長」を五万と見てきた。
この魔王の醸し出す空気は、それらと全く同じ既視感があるのだ。
あまりにも演出が派手すぎる。威圧の仕方がテンプレ通りで、どこか必死さが伝わってくる。
僕はそっと、固有スキル《鑑定》の視線を、玉座の巨体へと向けた。
僕の鑑定は、この世界の人間のような単純な攻撃力や防御力の数値ではなく、組織におけるリアルなステータスを暴き出す。
【名前】マオ(魔王軍・最高経営責任者/魔王2世)
【実年齢】(魔族としては)人間の新卒・若手社員クラス
【状態】古代魔導具『幻影の王衣』による立体映像(着ぐるみ)を使用中
【適性】地政学、内政、じつは細かい帳簿付けが好き(適性:S)
【胃痛度】98%(偉大すぎる先代と比較され、毎夜プレッシャーで胃が痛い)
【本音】「な、何でこの人間のおっさん、私の威圧感(最大出力)に一ミリもビビってないの!? 怖い! 視線がエグい! 早く書類だけ置いて帰ってほしい!」
(……なんだ。ただの新卒世襲社長じゃないか)
僕は心の中で小さく息を吐いた。
不満度や適性を見る僕の《鑑定》は、古代魔導具のホログラムごときでは騙せない。
放たれている強大な魔力の波動そのものは本物だが、中身はプレッシャーで今にも泣き出しそうな、新入りの若い女の子だ。
「バルトロさん、ちょっと耳を貸して」
「ひっ、は、はい……! ダイスケ殿、不敬だぞ!
早く平伏すのだ、首を刎ねられるぞ……!」
「大丈夫。ちょっとここで寝ててね」
「え? ──あ」
バルトロの首筋に、あらかじめクロムに作らせておいた「一瞬で意識を失わせる魔力麻痺パッチ」を素早く貼り付ける。
バルトロは白目を剥いて、そのまま床へ静かに崩れ落ち、健やかな寝息を立て始めた。
『き、貴様ッ!? 側近のバルトロを気絶させて何をする気だ!
我が武力が、魔王の恐怖が恐ろしくないのか!』
漆黒の炎が倍以上の大きさに燃え上がり、玉座の巨体が立ち上がる。
地響きが部屋を揺らす。
僕はそんなハッタリを完全に無視し、コツ、コツ、と靴音を響かせながら石段を数段登って、魔王のすぐ近くまで歩み寄った。
そして、バルトロにも他の警備兵にも聞こえない、静かで通る声で語りかけた。
「過剰なブランディングはね、現場を萎縮させ、社内の風通しを悪くするだけですよ、マオさん」
『なっ……!?』
「先代のカリスマ性を無理に真似しようとして、強権的なトップを演じても、現場の疲弊には気づけない。
現に、バルトロさんたちはあなたのハッタリに怯えて、兵站の崩壊を直訴することすらできなかった。
結果として、魔王軍は崩壊寸前になっていた。違いますか?」
『貴様……なぜ、その名前を……! なぜバレて――』
「その古代魔導具のスイッチ、切ったらどうですか?
大丈夫、僕はあなたの『外部顧問』です。
クライアントの守秘義務は厳守しますよ。二人だけで話しましょう」
静まり返る玉座の間。
やがて、フッ……と、部屋を満たしていた恐ろしい瘴気と魔力が、嘘のように霧散していった。
巨大な漆黒の炎と異形の影が、煙のように消え去る。
そこに残されていたのは、身の丈に合わない豪華すぎる大きな王冠を頭に乗せ、ぶかぶかのローブに溺れそうになっている、可憐な若い少女の魔族だった。
ツノは小さく、夜空のような深い紺色の髪。
彼女は涙目で、しかしプライドを捨てきれない様子で、僕をキッと睨みつけていた。
「だ、誰にも言うなよ……!」
マオ社長は玉座の肘掛けにしがみつき、声を震わせた。
「バルトロや、他の脳筋な軍長たちに知られたら……『先代の血を引く無敵の絶対魔王』じゃないってバレたら、あいつらすのこのこ謀反を起こすに決まってるんだ!
私は、私はただ、先代が急に戦死しちゃったから、仕方なくこの席に座ってるだけで……っ!
毎日毎日、あいつらが持ってくる『人間をあと何万人殺しました』とかいう脳筋な報告書に判子を押すのが、本当に怖くて嫌で……!」
「言いませんよ。僕はそんな生産性のない組織内の政治に興味はありません。
トップの器なんて、後からついてくるものです」
僕は石段を降り、いつものように懐から、綺麗に製本された一冊の『決算報告書』を取り出した。
「それより、社長。
こちらが今回の『王都冒険者ギルド完全子会社化』に伴う、財務実績および、人間界からの永続的な資金・物資補給ライン構築に関する報告書です。
ご査収ください」
「……え? ほうこく、しょ?」
マオは袖で涙を拭い、恐る恐る僕が差し出した書類を受け取った。
彼女がページをめくるたび、その大きな夜空色の瞳が、驚愕で丸くなっていく。
そこには、ただの人間界への嫌がらせや武力制圧ではなく、
『王都のギルドを隠れみのにすることで、王国の公式な国家予算を、下請けの業務委託費用として、合法的に魔王軍の金庫へ還流させるスキーム』
が、完璧なグラフと数字でシミュレーションされていた。
「な、何だこれは……。血を一滴も流さずに王国の最重要拠点を奪っただけでなく、人間たちの税金が、毎月自動的に我が軍の食料調達費や武器開発費に変わる仕組みになっている……!?
これなら、私が無理に進軍の命令を出さなくても、人間界の富が勝手に吸い上がってくるじゃないか……!」
「その通りです。
これでもう、前線の砦の予算不足に頭を悩ませる必要はありません。
前線には僕が作った物流とシフト制、そして格安の自給農場があります。
本社はただ、この子会社からの利益を適切に配分するだけでいい」
マオはガタガタと書類を持つ手を震わせ、僕を見つめた。
《鑑定》で見た通り、彼女の内政適性は『Sランク』。
若いながらも、数字の本質とロジックを理解する天才的な経営の才を持っていた。
だからこそ、この報告書が持つ「戦わずして勝つ」という圧倒的な経営戦略の恐ろしさが理解できたのだ。
「お前……本当にただの人間か? 悪魔の聞き間違いじゃないのか?」
「ただの元経営者ですよ」
僕は満足して手帳をパチンとポケットに収め、フッと不敵に笑ってみせた。
「さて、魔王さん。足元のインフラと、人間界のフロント企業は確保しました。
これまでの不採算組織だった魔王軍はこれにて黒字決済です」
僕は床で「はっ!? 私は一体何を……!」と、ちょうど目を覚ましかけているバルトロを振り返り、麻痺パッチをポケットに隠しながら、若い女性トップへ向けて小さくウインクした。
「さあ、魔王さん。
これからの魔王軍全体の『第二創業期』、さらなる事業拡大の経営戦略、じっくり僕と練り直しましょうか」
「……う、うむ! 良くやったダイスケ殿! 今後の全軍の組織運営、お前に一任する!」
マオは慌てて古代魔導具のスイッチを入れ、再び巨大な漆黒の炎の着ぐるみを纏う。
床で飛び起きたバルトロの目の前には、いつも通り冷酷に君臨する『最強の魔王』と、その横で不敵に微笑む、戦闘力ゼロのおっさんの姿があるだけだった。
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