表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

第03話 勢は理に因りて権を制す

「もう、まったく、亜子さんは毎度毎度困りものですね~」

彼はため息をつきつつも、どこか楽しげに言った。まわりで悲鳴を上げていたものも、彼の言葉を裏付けるように、ちょっと眉をひそめる位で、叱責をする者はいなかった。


「まったく、まあ、亜子さんだし」

「そうですね、亜子さんですからね」

「でも、大事がなくよかったですね」

「サーバーが立ち上がるまでちょっと休憩しましょうか」

「そうですね、早いけどお昼にしてしまいますか」

「そうしましょう」


このトラブルをもとに、休憩を所望している者が連れ立って外に行った。昼餉にはまだ時間があるような刻ではあるだろうが、この部屋には窓がないらしく、孫臏は陽光から時間を割り出すことはできなかった。


「いま、午前11時頃ですから、昼過ぎまでには復旧しますよ」

「そうですか、よかった」

「じゃあ、私もちょっと行ってきますので、亜子さん、監視をお願いしますね」

「あ、はい、わかりました」


彼は部屋を出て行った。亜子は(孫臏も一緒なのだが)一人部屋に残された。

いわゆる、歩哨という立場であろう。すべてのものが監視役になる必要はない。このモニタで敵の状況をうかがい、異変があれば部長とやらに報告すればよい。これもマネージャの仕事なのかもしれない。孫臏は思った。


勢いは理に因りて権を制す。勢いとは、物事の流れである。理とは、物事の道理である。権とは、物事の変化である。勢いが理に基づいていれば、権を制することができる。つまり、物事の流れが道理にかなっていれば、変化をコントロールできるということである。亜子をひとりぼっちにして出て行った者たちは、いまは「勢い」にしたがっているといえる。亜子自身はマネージャであり、部下を従えると同時に、物事の流れをコントロールする立場にある。しかし、さきの彼の言動を見れば、


「私、なめられているのかしら」


と思わなくもないが、亜子は自分の立場をわきまえている。彼らは、いまは「勢い」にしたがっているが、亜子が「理」を示せば、彼らは「権」を制することができる。つまり、亜子が道理を示せば、彼らは変化をコントロールできるということであろう。

しかし、この場で開発サーバーを止めてしまったのは、亜子のミスである。亜子は自分のミスを認めて、暫く歩哨役を買って出ないといけないだろう。マネージャーの辛いところでもあり、責任を負う立場でもある。


マネージャーという立場は、組織の中で上司と部下という関係とは異なる。戦場に於いて、将と兵との関係とも異なる。上司と部下であるならば、組織の将として振る舞い、強く出ることができる。兵に対して生死を問うこともできるが、報奨金につられて兵も動く。そのような利害関係があり、その組織をトップダウンで支えられるところに軍隊がある。

しかし、それは孫武の頃の話だ。

奴隷のように農民をまとめあげて兵として使える時代は過ぎ去ってしまった。軍勢は、軍という職業となり、軍人という職業を生んだ。商人が物品を売り買いして自分の利益を追求するように組織を動かすのと同じく、軍人という立場は、兵を「生死」というだけで追い詰めて、駆り立てることは難しくなった。後世ではあるが、ロシア軍がウクライナの兵を後ろから追い立てて、ドイツ軍への盾にする時代ではない。兵は自らの命を大切にする。だから、将も兵の命を大切にするほうが、兵は将に従い組織を強固なものにする。


目の前の IT プロジェクトの場合の「理」とは何だろうか。ことわりに従って人は動く。理にかなった行動というのは、人の摂理であったり、欲望であったり、行動経済学であったり、他人を出し抜く気持ちであったり、善であったり、裏切りであったりする。それは一様な経済学のエコノミストとは異なる。人が集団で活動するときに、客観的に群衆心理をおもってしまうが、実際には人はバラバラに動いている。相互関係もあるので、一様に動くというわけでもない。しかし、マクロ視点でみれば、全体としてある程度の秩序なりルールなりがその集団に存在している。特に、IT プロジェクトのような会社の一部として動くもの、あるいは派遣社員や外注先の人たちが集まってきて、ひとつのモノづくりをするための目標に集ったもの(いや、それは、集ってない場合もあるけど、ええと、派遣には辛くあたったりするから、正社員と派遣とは同じじゃなくて・・・と亜子は思ったのだが、孫臏の思考に打ち消されてしまった)を培う。つまりは、理にかなった勝利を目指すのだ。そこを外してはいけない、それこそが「理」と言えるだろう。


亜子がぼんやりと、モニタを眺めつつ、監視をしている振りをしているところに、彼が返ってきた。


「ああ、よかった、復旧しましたよ」

「ほんとうですか、よかった」

「いやあ、ちょっと冷や汗ものでしたよ」

「じゃあ、お昼を買ってきたから、皆で食べましょうよ」

「そうだね、どれにする」


よかった、ハブられているわけではなかった、と亜子は思った。ほっとした。


「ええと、私はこの焼肉弁当で」

「私は、このとんかつ弁当で」

「私は、カレーライスで」

「私は、天丼で」

「私は、ハムサンドで」

「私は、うな重で」

「私は、寿司で」

「私は、チャーシューのラーメンで」


次々と自分の取りたいものを持っている社員がいる。いや派遣っぽい制服を着たひともいる。外注先の人もいる。みんな、好きなものを買ってきたようだ。みなの仲はよさそうだ。結束が高い組織でよかった。


「ありがとう、じゃあ、いただきます」


亜子は、ひとつだけ残ったおにぎりを手に取った。

心の中で孫臏が何か言おうとしたが、亜子はそれを押しとどめた。

亜子はベジタリアンなのである。


【つづく】



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ