第02話 兵とは国の大事なり
そもそもプロジェクトとは何だ?
プロジェクトマネジメントを定義したのは後世のドラッカーであるが、孫臏であるわたしが何故知っているかはさておき、スタートとゴールがあるのがプロジェクトである。予算とスケジュールを組み、プロジェクトを開始する。何らかのソフトウェア開発(ソフトウェア開発でなくてもよいのだが)を行い、納品をしてプロジェクトが完了する。プロジェクトの説明をするのに「プロジェクト」という言葉を使ってしまうのは乱暴ではあるが仕方がない。ざっと解説すれば、プロダクトではなくてプロジェクトということになるし、プロジェクトではないものがプロダクトということになる。辞書的に言えば「研究や事業などの計画」のことを示すので、時間的な経過を含んでいないと思われるが、ソフトウェア業界で言えば「プロジェクト」と言えば、さきに説明したプロジェクトのことを示す。が、それはさておき、昔で言えば、というか私の生きていた時代で言えば、戦場を切り開き、勝利するまでがプロジェクトだ。負けるのもプロジェクトと言えるが、負けたらお終いなのだから、勝つまでがプロジェクトと言える。負けません勝つまでは。どこかの国の標語のようだ。
孫子の兵法を紐解いてみよう。孫子の兵法の木簡は私の頭のなかに全て入っている。当然、漢語表現のまま入っているのだが、ここは読者、というか、孫亜子という私の分身がわかりやすいように日本語訳を使っておこう。日本語にしても古語というともあるが、現代語訳のほうがよかろう。
まずは、5つの基本事項をおさらいしておこう。
道、天、地、将、法は兵法の基本として外せない事項である。
戦場に於いての「道」は道教とも言える。つじつまが合っていない道を作っても、人はついてこない。先祖の孫武の時代には強大な力をもってして人を動かすこともできただろうが、私の時代は既に違った。人の道を外してはいけない。
もちろん、人の道も大切だが、天命に従うのも重要だ。多数決がすべてではなく、人の意見が必ずしもよいというわけではない。天の声を聴く。人は天に従う者も多い。よって、天に背くと、そのまま人の心が離れてしまう。それは人を動かす側として不利であり、愚策であろう。天の声も「策」のひとつとして利用するのである。
地の利は、いうまでもなく、その場の活用が重要である。地の利に背く二百三高地のことをやってはいけない。当然ながら地の利をいかすためには、地を知らねばならぬ。地形の調査は重要である。
将はリーダーシップである。と同時に、天ではなく、人の上に居る、将という立場がある。将はときに時代により左右されるがゆえに、すげ替えが可能である。天帝は変わらぬが、将を変えることができる。これを知ることは寛容である。
最後に、法を知る。法と兵法のような自然摂理のことを示す。人が作った法は移ろいやすいものではあるが、自然摂理の法は変えることができない。いわば、自然科学の法なのだが、それは私の時代にはまだ出来ていなかったものであるものの、物が落ちる、河が流れる、火が燃え広がる、と同じく法もまた人知を超えたものがある。もちろん、越えてはいるものの知を尽くせば原理を理解することは可能だ。法を知ることは重要である。
これを目の前のプロジェクトとやらに当てはめてみよう。
亜子は自分のまわりを改めて見まわした。内部の孫臏の語り掛けるようにゆっくりと部屋を見回す。ひとつのパソコンの前に座り、モニタのスイッチを入れる。スリープ状態になっていたパソコンが小さな音を立てながら復帰する。
亜子はパスワードを打って、ログインした。
さまざまなウィンドウが開いている。メールソフト、ブラウザ、チャットツール、タスク管理ツール、ドキュメント作成ツールなど、仕事に必要なアプリケーションが立ち上がっているようにみえる。ブラウザにはいろいろなページがひしめき合っている。どれがどれなのかわからないが、それは孫臏に不明であり、亜子にもすぐにはわからない。
亜子は、不要そうなウィンドウを一つずつ閉じた。十数個のウィンドウを閉じると、ようやくデスクトップが見えてきた。紙に散らかった床から、床自体を掘り起こすように、紙を捨てていくのだ。紙がなくなれば床がみえてくる。ゴミ屋敷のような部屋も、片付ければすっきりするのだ。なんて素晴らしいだろう。
しかし、パソコンのモニタのウィンドウを消し去った後に出てきたものは、更に散らかったアイコンの山であった。あらゆる、ファイルがデスクトップに散らばっている。亜子はため息をついた。ゴミ屋敷のほうが随分マシだ、これでは概要すらつかめない。
整理のために「5つの基本事項」を、IT プロジェクトに置き直してみよう。
- プロジェクトの道を押さえなければならない。プロジェクトの目的や目標を明確にし、それに向かって進むための道筋を示すことが重要である。
- プロジェクトの天は、プロジェクトにおける環境や状況を指す。市場の動向や競合の状況、顧客のニーズなど、外部環境を把握し、それに応じた戦略を立てる必要がある。利害関係者を理解しよう。
- プロジェクトの地は、プロジェクトのリソースや制約を指す。予算や人員、時間など、限られたリソースの中で最大の成果を上げるための計画を立てることが求められる。
- プロジェクトの将は、プロジェクトのリーダーシップを指す。チームをまとめ、目標に向かって進むための指導力が必要である。
- プロジェクトの法は、プロジェクトのルールやプロセスを指す。適切な手順やルールを定め、それに従ってプロジェクトを進めることが重要である。法順守や品質管理も含まれる。
亜子は、頭の中を整理して孫臏に語り掛けるのを思い浮かべた。IT プロジェクトの専門用語は果たして孫臏に分かるだろうか。亜子の心理は、既に孫臏に侵食されている。いや、孫臏が亜子を侵食しているとも言える。それはどちらがどうというわけでもない。少なくとも、部長が言ったように、私はここのプロジェクトマネージャーを任されている。マネージャーは野球部のマネージャーでも、芸能事務所のマネージャーでもない、IT プロジェクトのマネージャーだ。
しかも、混乱しているという。どれくらい混乱しているかというと。
「ああ、マネージャ、それ、私のパソコンなんですけど」
「あ、そうなんですか。すみません、ちょっと見せてもらっていて・・・」
「えええええええ! ウィンドウを閉じちゃったんですか。それ、開発用のサーバー機で使っているものなので、そのウィンドウを閉じちゃうと、開発が止まっちゃうんですよ!」
部屋のあちこちから、悲鳴が聞こえる。
ああ、どうやらそれくらい混乱していることを亜子は思い出した。
【つづく】




