宝物
謎の地下室。そこには、謎の記録帳が大量に残されていた。俺の好奇心は、もう抑えきれないところまで膨れ上がっていた。今すぐにでも、この記録を読みたい。そう思っていた。だが……。
「……もう帰らないとな」
日が暮れる前に孤児院へ返らなければいけない。名残惜しい。本当に名残惜しいが、今日は帰ることにした。俺は地下室を後にし、工房を出た。そして、孤児院へと戻った。その夜。俺はなかなか眠ることができなかった。地下室にあった大量の記録帳。あれはいったい何なのか。何が書かれているのか。考えれば考えるほど、気になって仕方がない。
そして翌日。
幸いにも学校は休みだった。俺は朝食を終えると、すぐに工房へ向かった。いつもなら走ることに集中しているはずなのに、この日は違った。気持ちが逸って仕方がない。工房に着くと真っ先に地下室へ向かった。階段を下り、油ランプに火を灯す。そして、昨日見つけた机の前に立った。
「……ある」
机の上には、昨日と変わらず記録帳が並んでいる。謎の工房。そして、謎の地下室。そこに残された大量の謎の記録帳。期待しかなかった。ここには、きっと俺が必要としている何かがある。そう思えてならなかった。そもそも、俺がこの工房を見つけたこと自体が偶然なのだ。そして、その工房の敷地内で地下室を見つけた。さらに、その地下室には大量の記録帳が残されていた。こんなことが、ただの偶然で起こるだろうか。
「……きっと、運命だ」
俺はそう確信していた。胸の奥から、抑えきれない感情が込み上げてくる。体まで震えてきた。
「……やばい。手が震える」
机の上にある記録帳を持とうとする。だが、指先が震えて、なかなかうまく掴めない。それほどまでに、俺は興奮していた。ようやく一冊を手に取る。そこで気づいた。
「……題名が書いてある」
記録帳には、一冊一冊、きちんと題名が付けられていた。俺は一番上に置かれていた記録帳を見る。そこに書かれていた文字を読んだ。
「……ミスリル」
その瞬間、心臓が大きく跳ねた。
「ミスリル……?」
俺はその言葉を何度も頭の中で繰り返した。俺はミスリルついて調べたことがある。前世の知識にある有名な素材。ファンタジー作品では当たり前のように登場する金属。だが……この世界には存在しなかった。少なくとも、俺が調べられる範囲では。ドワーフが作る武具にも、ミスリルという素材は存在しない。もちろん、七歳の俺が調べられる範囲など限られている。世界中の素材を調べたわけでもない。だから完全に諦めてはいなかった。
「……読みたい」
今すぐにでも開きたい。だが……。
「……他には、何があるんだ?」
ミスリルの記録帳を持ったまま、俺は周囲を見回した。机の上だけではない。机の横にある棚にも、たくさんの記録帳が並んでいる。俺は記録帳の中身ではなく、まず題名だけを確認することにした。棚の端から順番に見ていく。
「これは……鉄、これは……鋼?」
見れば見るほど、気になる題名が出てくる。
だが、その中で俺の目が、一つの記録帳で止まった。
「……これだ」
そこに書かれていた題名は……。
『鍛冶道具の基礎』
「……!」
俺が今、一番欲しかった知識だった。俺は鍛冶眼を使うことで、素材については詳しく知ることができる。鉄の硬さも。粘りも。不純物も。どんな用途に向いているのかも。けれど、それだけでは鍛冶はできない。俺は昨日、それを嫌というほど思い知らされた。鉄鎚をどう振ればいいのか。鉄をどのタイミングで叩くのか。熱した鉄を掴む道具をどう使うのか。表面を削る道具は何という名前なのか。何も知らなかった。俺に足りないのは、素材の知識ではない。鍛冶そのものの基礎知識だった。その答えが目の前にある。
俺は記録帳を手に取った。
だが、その瞬間、ふと思う。これは、とんでもない資料なのではないか。ドワーフの鍛冶師は、鍛冶の技術を文字として残さない。それは単純に文字が嫌いだからではない。一つは、鍛冶の技術が外へ流出するのを防ぐため。そして、もう一つは、ドワーフには、鍛冶を教わるのではなく、見て覚えるという文化があるからだ。師の動きを見る。音を聞く。鉄の色を見る。何度も自分で打つ。失敗する。また打つ。そうやって、技術を身体に刻み込んでいく。昔のドワーフは、その文化を何よりも大切にしていた。そもそも、かつてのドワーフには文字そのものが存在しなかった。だが、時代が変わった。ドヴァルディア王国には、多くの他種族が出稼ぎにやってくるようになった。人間を中心とした他種族が農業、畜産、飲食、土木、運送などを担うようになり、ドワーフは以前よりも鍛冶に集中できる環境を手に入れた。その一方で、国を運営するためには文字が必要になった。そこで長老会は、文字を正式に採用することを決定した。文字の普及によって、国の仕組みは大きく変わった。記録が残り、知識が共有され、さまざまな分野が発展していった。
それでも鍛冶だけは違った。鍛冶の技術を文字として残すこと。それだけは、今でもドワーフの掟によって禁じられている。鍛冶はドワーフにとって、特別なものだからだ。つまり、この地下室はドワーフの掟を破って作られた、違法な場所。禁じられた記録が保管された場所なのだ。
「……」
俺は目の前に並ぶ記録帳を見つめた。普通のドワーフなら、ここにあるものを見つけたら恐れるのかもしれない。だが俺にとっては違った。
「……宝の山だ」
思わず笑みがこぼれる。これまで何も知らなかった俺にとって、ここにある記録の一つ一つが、何よりも欲しかった知識だった。俺は『鍛冶道具の基礎』と書かれた記録帳を開いた。最初のページには、道具の絵が描かれていた。その横には、名前が書かれている。
『金床』
「これが……金床」
昨日、俺が鉄を置いていた台。初めて正式な名前を知った。次のページ。
『火箸』
「これが、熱した鉄を掴む道具……」
昨日、俺が何となく使っていた道具。それにも、ちゃんとした名前があった。その次には……。
『鑢』
「……鑢?」
説明を読む。金属の表面を削り、形を整えるための道具。
「これが、削る道具……」
また一つ。知らなかったものが、知識になっていく。
さらに読み進める。道具の名前。使う目的。持ち方。力の入れ方。使う順番。注意すること。ページをめくるたびに、知らなかったことが次々と出てくる。
「なるほど……そういうことだったのか。これ、こうやって使うのか……!」
俺は夢中になった。一つの道具を理解すると、昨日の自分の失敗が一つずつ繋がっていく。なぜうまく鉄を掴めなかったのか。なぜ叩いても思ったような形にならなかったのか。昨日の俺には分からなかった。でも、今なら分かる。俺は何も知らなかった。そして、その何も知らないを埋めてくれるものが、ここにはある。記録帳をめくる手が止まらない。俺は時間が経つのも忘れて、俺はひたすら鍛冶の知識を読み続けた。




