鍛冶眼
もう何年も使われていない古い工房。俺は、その中に立っていた。
「……よし」
すぐにでも鍛冶を始めたい。そう思った。だが、その前にやることがある。この工房を掃除しなければならない。ただし、綺麗にするのは工房の内側だけだ。外観は変えてはいけない。ここは、森の奥にひっそりと残された、誰も近づかない古びた建物だ。その印象を消してはいけない。もし、俺がここで鍛冶をしていることを誰かに知られれば、俺の未来は消滅する。ドヴァルディア王国では、鍛冶師ギルドに登録された人物だけが鍛冶をすることを許される。それに、正式に認められている大工房以外で鍛冶をすることは禁止されている。そんな場所で鍛冶をしていることが知られれば、鍛冶ギルドの規則を破ったことになる。そうなれば、十五歳で受ける選定試験を受けることすらできなくなるかもしれない。それだけは絶対に避けなければならない。
だから、外から見た姿は変えない。ここが誰にも見つからない場所であることを利用する。朝は学校へ行く。学校が終われば、走り込みをかねて森へ向かう。町から離れたこの場所まで来るだけで、それなりに時間がかかる。工房に滞在できる時間は長くても3時間。すぐに鍛冶をしたい気持ちを抑えて掃除から始めた。
最初に取りかかったのは床だった。床には長い間積もった埃が厚く残っていた。箒を動かすたびに、埃が舞い上がる。
「げほっ……!」
思わず咳き込んだ。窓を開けようとして、途中で手を止める。外から中が見えるかもしれない。俺は少し考えてから、建物の奥にある別の窓をほんの少しだけ開けた。空気が流れ、舞い上がった埃がゆっくり外へ出ていく。それから、床を何度も掃いた。
次は壁だ。蜘蛛の巣を取り除く。棚に積もった埃を拭く。使われていない道具を一つずつ持ち上げ、表面についた汚れを落としていく。そこで、俺は初めて気づいた。ここには、鍛冶に使うらしい道具がかなり揃っている。前世のアニメやゲームで見たことのある形もあれば、見たことのないものもある。熱した鉄を置くためのものだと思われる大きな台。その近くに置かれた、鉄を叩くための道具。熱い鉄を掴むためのものだろうと思われる細長い道具。他にも、刃物のようなものや、鉄の表面を削るために使うらしい道具があった。名前は分からない。使い方も分からない。それでも、これらが鍛冶に必要な道具なのだということだけは何となく分かった。
「……これも使うんだろうな」
俺は一つずつ手に取って確認していった。錆が浮いているものもある。汚れがこびりついているものもある。けれど、壊れているものは思っていたより少なかった。長い間使われていなかっただけで、道具そのものはまだ生きている。そう思えた。俺は、それらを乱雑に扱わないようにした。どういう道具なのかは分からない。だからこそ、壊さないように慎重に扱った。
そして、一番時間がかかったのが炉だった。炉の中には古い灰が残っていた。周囲にも灰や煤が積もっている。俺はそれを少しずつ取り除いた。壁や床にこびりついた汚れも落としていく。何日もかけて掃除を続けた。
学校がある日は三時間程度。学校が休みの日は、朝からここへ来て掃除をする。昼食を食べるために一度戻り、また森へ向かうこともあった。それでも、外観には一切手をつけなかった。壊れた屋根はそのまま。傷んだ外壁もそのまま。割れた窓もそのまま。建物の周囲に生えている雑草も、必要以上には刈らなかった。遠くから見れば、今までと何も変わらない。森の中にひっそりと建っている、誰にも使われていない古い小屋。
それでいい。むしろ、それがいい。
そうして掃除を始めてから、二週間ほどが過ぎた。俺は、工房の中を見回した。
「……こんなに変わるんだな」
以前は床も壁も埃だらけだった。蜘蛛の巣があちこちに張り、何が置かれているのかさえ分からなかった。今は違う。床には埃がほとんど残っていない。壁や棚も拭き上げられ、道具が何なのかを確認できるようになった。 炉の周囲も綺麗になっている。内部に溜まっていた古い灰も取り除いた。鉄を置くための大きな台も、表面の汚れを落とした。叩くための道具も、持ち手についた埃を拭き取った。鉄を掴むためらしい道具も、一つずつ並べてある。削るための道具や、刃物のような形をした道具も、使えそうなものは綺麗にしておいた。もちろん、俺にはまだ、それぞれの正確な名前も使い方も分からない。でも、少なくとも……ここはもう、ただの廃墟ではない。鍛冶をするための場所だ。
掃除は終わった。工房の中には鍛冶に使えそうな道具が……たぶん……おそらく揃っているはずだ。そして……幸いにも材料もあった。俺は、工房の隅に置かれていた金属の塊に目を向ける。やっと鍛冶を始めることができる。鍛冶をするには、まずは素材を確かめなければならない。
「これなら……」
俺は、その中から一つを持ち上げた。それほど大きくはない。七歳の俺でも、両手を使えば持ち上げられる程度の大きさだった。これなら、何かを作る練習くらいはできるかもしれない。
そう考えながら、俺は金属の塊をじっと見つめた。そして、鍛冶眼を使う。
ドワーフなら誰もが生まれ持つ、素材を見極めるための能力。ただし、その能力には個人差がある。しかも、鍛錬によって強くなるものではない。生まれ持った素質。それが、鍛冶眼だ。だからこそ、俺はずっと不安だった。俺の瞳は、ドワーフとしては珍しい銀色。鮮明な赤い瞳を持つドワーフほど、優れた鍛冶眼を持つ。そんな話を、俺は何度も聞いてきた。もしかすると俺の鍛冶眼は弱いのかもしれない。
そう思っていた。
けれど、今なら確かめられる。ここには材料がある。誰もいない。もし何も見えなくても、誰にも知られることはない。
「……やってみるか」
俺は金属を両手で持ったまま、意識を集中させた。その瞬間だった。
「……え?」
視界が変わった。目の前にあった金属の塊。その表面に、突然いくつもの文字が浮かび上がった。まるで、ゲームの画面のように透明な情報画面が視界の中に展開されている。
「な、なんだこれ……?」
思わず目をこする。だが、消えない。もう一度見ても、そこには確かに表示されていた。素材名、成分、硬度、粘り、不純物。内部の状態。 そして、その素材をどのように鍛えれば、どんな武具に向いているのか。まるで鑑定結果を表示するように、次々と情報が浮かび上がってくる。
「……すごい」
俺は呆然と画面を見つめた。もっと簡単なものだと思っていた。良い鉄なのか、悪い鉄なのか。硬いのか、柔らかいのか。せいぜい、その程度しか分からないと思っていた。
ところが違った。
俺の視界に表示されている情報は、そんな単純なものではなかった。炭素の量、硫黄などの不純物、結晶の状態、硬さ、粘り、脆さ、熱を加えたときに起こる変化。それだけではない。この素材を使うなら、どんな武具に向いているのか。どの部分を使えばいいのか。どう鍛えれば、より良い武具になるのか。まるで、その金属について書かれた説明書を、目の前に表示されているようだった。
「……こんなことまで分かるのか?」
俺は思わず呟いた。画面に表示されている情報を、一つずつ確認していく。見れば見るほど分かる。しかも、情報は俺の視線に合わせるように変化する。金属の表面を見る。内部の状態が表示される。別の場所を見る。そこに含まれる成分や状態が表示される。
「すごい……」
俺は思わず笑った。ずっと不安だった。銀色の瞳だから、鍛冶眼が弱いかもしれない。そう思っていた。けれど、実際に使ってみればどうだ。素材について、ここまで細かく分かる。これが普通なのか?それとも……。
「俺の鍛冶眼って、かなり凄いんじゃないか?」
胸が高鳴った。自分には才能がないかもしれない。そんな不安を、ずっと抱えていた。けれど、そんな心配は必要なかったのだ。




