長い1日の終わり
俺は、黙々と掃除を続けた。床に積もった埃を掃き、壁際に溜まっていたゴミを集める。窓も拭いた。長い間、ほとんど掃除されていなかったのだろう。窓を拭くと、外の景色が少しずつはっきり見えるようになった。工房の中に差し込む夕日の光が、先ほどまでとは違って見える。まだ綺麗になったとは言えない。炉も、金床も、鉄鎚 も、その他の鍛冶道具も、まだそのままだ。
「おい、シオン」
中央のテーブルから声がする。振り返ると、バルガスがこちらを見ていた。
「今日はそのへんにしとけ」
「はい」
俺は頷いた。気づけば、外はもう夕暮れになっている。ずっと掃除をしていたせいか、腕や背中に疲れが溜まっていた。それでも、不思議と気分は悪くない。むしろ、清々しかった。久しぶりに、鍛冶道具を目にして心が躍っていたのだ。
「宿舎に戻るぞ」
バルガスが立ち上がる。それにつられるように、テーブルの向かいに座っていた二人も腰を上げた。一人は、短く刈り込んだ茶髪で、鋭い目つきをした男。バルガスと同じくらい大柄だが、三人の中では少しだけ身体が細い。もう一人は、傷んだ黒髪を長く伸ばした男。髪は手入れされておらず、ところどころ乱れている。こちらは三人の中でも特に横幅が大きかった。
「ガルド、瓶は置いていけ」
バルガスが茶髪の男に声をかける。
「分かってる」
ガルドは短く答え、酒瓶をテーブルに置いた。
「ホルン、お前もだ」
「はいはい」
黒髪の長髪のホルンが、薄く笑いながら立ち上がった。茶髪の男がガルド。黒髪の長髪がホルン。そして中央にいるのがバルガス。だが三人とも、鍛冶師とは思えないほど腹が出ている。太い腕。太い脚。分厚い首。かつては鍛冶師として鍛えられていたのだろう。けれど、長年まともに鍛冶をせず、酒を飲んで過ごしてきたせいか、筋肉よりも贅肉のほうが目立っている。三人が並んで立つと、その姿はまるで……プニプニ三銃士。
俺はプニプニ三銃士の後を追って工房を出た。工房の隣には、二階建ての建物がある。それが鍛冶師たちの共同宿舎だった。建物には年季が入っている。 壁にはところどころ汚れがあり、屋根も新しいとは言えない。それでも、工房と違って、ここには人が暮らしている気配があった。俺たちは中へ入った。
「ここが宿舎だ」
バルガスが説明する。
「一階は共同で使う場所になってる。食堂、台所、それから風呂と広間だ」
俺は周囲を見回した。食堂には大きなテーブルがあり、複数人で食事ができるようになっている。その奥には台所。さらに別の場所には風呂もあるらしい。
「二階が、それぞれの部屋だ」
「分かりました」
「お前の部屋も二階だ。ついてこい」
バルガスさんに続いて、階段を上る。二階にはいくつもの扉が並んでいた。今は三人しか住んでいないという話だから、使われていない部屋も多いのだろう。バルガスさんは廊下の奥で足を止めた。
「ここだ」
扉を開ける。
「……」
俺は中を覗いた。六畳ほどの部屋だった。窓が一つ。壁際には押し入れがある。それほど広くはない。でも、一人で暮らすなら十分だ。
「布団は押し入れに入ってる」
バルガスが言った。
「ありがとうございます」
俺は押し入れを開けた。中には布団が一組、きちんと畳まれて置かれている。 寝る場所まで用意されている。それだけでありがたかった。ただ……。
「……埃がすごいですね」
部屋の床には埃が積もっていた。窓枠にも埃。部屋の隅にも埃。長い間使われていなかったことが一目で分かる。バルガスは苦笑した。
「まあ、ずっと使ってなかった部屋だからな」
そして俺を見る。
「掃除でもしておけ、その間に晩飯の用意をしてやる」
「ありがとうございます」
バルガスはそれだけ言うと、階段へ向かった。
「終わったら一階に来い」
「分かりました」
バルガスの足音が遠ざかっていく。 俺は一人、部屋に残った。
「……また掃除か」
思わず苦笑する。工房を掃除したと思ったら、今度は自分の部屋だ。でも、嫌ではなかった。むしろ、自分の部屋ができたことが嬉しかった。俺は箒を手に取った。
「さて……やるか」
まずは床。 隅から隅まで丁寧に掃いていく。埃を集め、部屋の外へ運ぶ。 次に窓を拭いた。 窓枠に溜まった埃も取り除く。部屋の隅まで掃除する。押し入れから布団を取り出し、軽く埃を払った。何度も布団を叩いていると、細かな埃が舞い上がる。
「うわ……」
俺は思わず顔をしかめた。それでも掃除を続けた。しばらくして、ようやく部屋全体が綺麗になった。床には埃がなくなり、窓から外の景色も見える。布団も綺麗に敷いた。
「これなら十分だ」
俺は部屋を見回した。何もない。家具も少ない。豪華でもない。でも、ここは、俺の部屋だ。そう思うと、不思議と嬉しくなった。俺は一階へ下りて食堂へ入る。すると、テーブルの上に料理が並べられていた。
「……」
温かい料理だった。長い追放の旅では、暖かい料理を食べることなどなかった。罪人だから当然なのだ。だからこそ、目の前に用意された食事がありがたかった。
「おう、来たか」
バルガスが言った。
「座れ。食え」
「ありがとうございます」
俺は席に座った。料理を一口食べる。
「……うまい」
思わず声が漏れた。決して豪華な料理ではない。けれど、今の俺には十分だった。温かい食事を、ゆっくりと食べる。その向かいでは……。
「ガハハハハハ!」
バルガスが大声で笑っている。
「だから、あれは俺のせいじゃねえって!」
「いや、どう考えてもバルガスのせいだろ」
ガルドが笑う。
「違いねえ」
ホルンも酒を飲みながら笑った。三人はまた酒を飲んでいる。工房にいた時と変わらない。俺は三人を見た。けれど、何も言わなかった。俺は俺で、食事を続ける。掃除を頑張ってお腹はペコペコだ。俺は黙々と食事を食べた。やがて、料理をすべて食べ終える。
「ごちそうさまでした」
俺は立ち上がり、三人に頭を下げた。
「おう」
バルガスが手を上げる。俺はそのまま二階へ戻った。部屋に戻る。静かだった。さっきまで食堂で聞こえていた三人の笑い声も、ここまで来ればほとんど聞こえない。俺は布団を見る。今日から、ここで寝る。そう思うと、改めて不思議な気持ちになった。ドヴァルディア王国を追放された。母さんを死刑にした国を離れた。長い旅をして、知らない国の知らない町へ来た。今、俺には新しい部屋がある。念願の工房がある。そして鍛冶ができる。
「……明日のがんばるぞ」
俺は呟いた。今日はもう、限界だった。長い旅。町役場での手続き。工房の掃除。部屋の掃除。思っていた以上に身体は疲れていた。俺は布団に入った瞬間、全身から力が抜ける。
「……疲れた」
目を閉じる。最後に頭に浮かんだのは、工房に並んでいた鍛冶道具だった。明日は、あれをきちんと掃除して状態を確認しよう。そう考えていると。俺の意識は、ゆっくりと沈んでいった。




