鍛冶工房
グレゴールは、移住担当者でもあるギルバートへ視線を向けた。
「ギルバート。彼を鍛冶工房へ案内してやってくれ」
「分かりました」
ギルバートは俺を見る。
「シオン君、馬車を用意するので少し待ってくれ」
「はい。ありがとうございます」
ギルバートはそう言うと、役場の外へ出て馬車の手配を始めた。それから十分ほどして、俺はギルバートと共に馬車へ乗り込んだ。
「それじゃあ、行こうか」
御者台に座ったギルバートが手綱を握る。馬車は、ゆっくりとエメルアの町を進み始めた。俺が町へ入ってきた道とは、反対方向へ進んでいく。しばらくすると、先ほどまであった町の活気が少しずつ消えていった。人の姿が減り、露店もなくなっていく。やがて、ポツン、ポツンと家が建っているだけの、のどかな田園風景へと変わった。道も中心部よりさらに荒れている。馬車が進むたびに車輪が小さく跳ね、車体が揺れた。
「鍛冶工房は町の端にあるんですか?」
「ああ。昔はもう少し人がいたんだがな」
ギルバートは前を向いたまま答える。
「今じゃ、この辺りまで来る人間も少ない」
それからしばらく馬車を走らせていると――。
「……あれだ」
ギルバートが前方を指差した。そこには、大きな建物が見えていた。
「……あれが?」
「ああ。エメルアの鍛冶工房だ」
俺は身を乗り出して、建物を見つめた。もっと大きく、立派な建物を想像していた。だが、近づくにつれて、その建物の古びた姿がはっきりと見えてきた。一階建ての大きな木造建築。外壁には年月を感じさせる黒ずみが広がり、ところどころ木材が色あせている。屋根には苔が生え、煙突も黒く煤けていた。壁際には雑草が伸び放題になっている。正面に掲げられている看板も、長い年月の風雨にさらされたせいか、文字が薄くなっていた。かつては立派な鍛冶工房だったのだろう。しかし、手入れされていないことが一目で分かった。窓ガラスも汚れている。建物の周囲には、使われなくなった木箱や壊れた道具が無造作に置かれていた。その隣には、二階建ての木造住宅が建っている。
「隣は?」
「ああ。あそこは鍛冶師たちが共同で暮らすための宿舎だ」
宿舎も工房と同じだった。壁は色あせ、屋根には苔が生えている。窓の数は多く、十五人ほどが暮らせそうな大きさだ。だが、今そこに住んでいるのは三人だけ。残りの部屋は使われていないのだろう。窓のいくつかは板で塞がれ、庭も雑草が伸び放題だった。馬車が工房の前で止まる。俺たちは馬車から降りた。ギルバートは目の前の建物を見上げ、少し寂しそうに口を開いた。
「三十年前、この工房が建てられた頃は、それはもう活気があった」
「そうなんですか?」
「ああ。宿舎へ入れずに自宅から通う者もいた。国の支援もあったし、みんな人間の手でドワーフに負けない武具を作ろうと、希望を持っていた」
俺は工房を見る。今の姿からは、とても想像できない。
「だが……今は見ての通りだ」
ギルバートがため息を吐いた。
「活気も、希望もない」
その言葉を聞きながら、俺は工房の入口を見つめた。古びている。手入れもされていない。それでも、俺の胸は高鳴っていた。ここで鍛冶ができる。それだけで十分だった。ギルバートが扉を開ける。
「失礼するぞ!」
大きな声が工房内に響いた。中は薄暗かった。鍛冶工房なのだから、当然、炉がある。大きな炉、送風装、金床、鉄鎚、金属を切断するための道具。国から税金を投入して作られた工房だけあって、設備は整っている。ただし……どれも手入れされていなかった。金床には薄く錆が浮いている。鉄鎚にも埃が積もっている。工具は壁に掛けられたままだが、長い間使われていないのか、表面がくすんでいた。炉にも火は入っていない。そして何よりも鍛冶をしている人間が、一人もいなかった。
「……」
俺は思わず目を瞬かせた。工房の奥に、三人の男がいる。 全員が鍛冶師とは思えない、だらしなく太った体をしていた。五十代半ばほどに見える男は、大きく突き出した腹を抱えるようにして椅子に座っている。かつて鍛冶師として働いていたのかもしれない。だが、今の体には鍛冶師らしい筋肉など微塵も残っていない。太い腕に見えるものも、筋肉ではなくほとんどが贅肉だ。首回りにも肉が付き、頬も丸く膨らんでいる。他の二人も似たような体型だった。三人とも腹は大きく膨らみ、腕も脚も贅肉で太っている。鍛冶師なら当然ついているはずの筋肉はほとんどなく、長年の酒の飲み過ぎと怠惰な生活が、そのまま体に表れていた。そして、三人とも作業台の前にはいない。木製のテーブルを囲み、酒を飲んでいた。
「おい、バルガス!」
ギルバートが声を張り上げる。
「ん……?」
一番年上に見える男が、ゆっくりと顔を上げた。五十代半ばほど。頭は丸坊主で、日に焼けた頭皮がむき出しになっている。だらしなく丸々と膨らんだ腹。贅肉のついた顔。そして、その目には仕事に対する熱意などまるで感じられなかった。手には酒の入った木製のジョッキ。男は面倒そうにギルバートを見る。
「なんだ、ギルバートか」
「なんだじゃない! 仕事をしろ!」
ギルバートが怒鳴った。
「今は休憩中だ」
「休憩中って……お前たちは朝からずっと酒を飲んでいるだろう!」
「そうだったか?」
バルガスは隣の男を見る。
「そうだったっけ?」
「さあな」
「俺は覚えてない」
三人は顔を見合わせる。
そして――。
ゲラゲラと笑い出した。
「お前たちな……!」
ギルバートは頭を抱えた。
「町の税金で、この工房を維持しているんだぞ!」
「分かってるよ」
バルガスは酒を一口飲む。
「国王様の命令で始まった事業なんだろ?」
「だったら、ちゃんと鍛冶をしろ!」
「してるさ」
「どこがだ!」
「そのうちやる」
「そのうちっていつだ!」
バルガスは面倒そうに頭を掻いた。
「まあ……今日は休憩中だからな」
「またそれか!」
ギルバートの怒鳴り声が工房に響く。
「いいか、バルガス。もう町も余裕がないんだ。税収も落ちている。いつまでも成果の出ない工房に援助を続けるわけにはいかない」
「……」
「国が推し進めている産業だから、今までは何とか続けてきた。だが、このままでは本当に援助を打ち切ることになるぞ」
バルガスの表情が少しだけ変わった。
「待て待て。それは困る」
「だったら仕事をしろ!」
「分かった、分かった」
バルガスはジョッキを置いた。
「そのうちレベル二の剣を作るから」
「そのうちじゃない!」
「ちゃんと作るって」
「本当だな?」
「ああ」
バルガスは面倒そうに答える。
「だから工房を取り潰すのだけは勘弁してくれ」
ギルバートは深いため息を吐いた。
「……まったく」
そんな二人のやり取りを、俺は黙って見ていた。鍛冶工房。古びた建物。手入れされていない道具。三人の鍛冶師は酒を飲みながら、仕事をする気配すらない。 町長が言っていた意味が、ようやく分かった。この工房は、もう死にかけている。普通なら、そう思うのだろう。でも……。
「……」
俺は、笑っていた。口元が自然と緩んでしまう。だって、ここには炉がある。金床がある。鉄鎚がある。鍛冶をするための道具がある。何より。俺は、ここで鍛冶ができる。それ以外どうでもよい。
「……」
俺は工房を見つめながら、さらに笑みを深くした。ようやく。ようやく、また鍛冶ができる。俺にとっては、それだけで十分だった。




