夢
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「……」
俺は、薄暗い独房の中で膝を抱えていた。何も考えたくなかった。いや、考えること自体が、もう面倒だった。死刑を宣告された。それだけだ。もうすぐ俺は死ぬ。そう思うと、不思議なくらい心が静かだった。怖くないわけじゃない。ただ、怖がる気力すら残っていなかった。鍛冶師になる。いつか王級鍛冶師になる。前世の記憶にある武具を作る。そんな夢を抱いて、七歳から身体を鍛え続けてきた。鍛冶について学び続けてきた。八年間、いつか鍛冶師になる日を夢見て、努力を重ねてきた。やっと、その夢に手が届くと思っていた。それなのに……。
「……もう、どうでもいい」
俺は顔を膝に埋めた。どうせ、俺もすぐに死ぬのだから。独房へ入れられてどれくらい時間が経ったのだろう。やがて……。
ガチャリ。
独房の扉の鍵が開いた。
「出ろ」
扉の外に立っていたのは、グランヴェル治安局の留置管理官だった。その手には手錠がある。
「……」
俺は何も言わなかった。ゆっくりと立ち上がる。留置管理官が俺の両腕に手錠をかけた。抵抗する気などなかった。逃げる気もない。生きようとする気力すらない。ただ、言われるままに歩いた。廊下を進む。階段を上る。さらに進む。やがて、目の前に大きな扉が見えてきた。
ギィィ……。
扉が開く。その瞬間、冷たい風が頬を撫でた。……外。けれど、俺はそれに気づかなかった。死刑執行場へ向かっている。そう思い込んでいた俺には、目の前に広がる景色を認識する余裕すらなかった。
「乗れ」
留置管理官に言われ、俺は顔を上げた。そこには、一台の巨大な荷馬車が停まっていた。
頑丈な木枠で組まれた荷台の上には、雨風をしのぐための屋根が設けられている。厚手の幌が荷台全体を覆い、側面には荷物の積み下ろしや換気のための開口部があった。後方には人が乗り降りできる出入口があり、その脇には荷台へ上がるための踏み台が置かれている。何頭もの馬が繋がれていた。荷台には大量の木箱が積まれている。武具、家具、そしてグランヴェルで作られた様々な製品。それらが木箱に収められ、荷崩れしないように縄で固定されていた。木箱の側面には、見慣れた紋章が刻まれている。盾、その中央には大きな金床。その上で、大槌と剣が交差している。そして金床の下には、七つの小さな円。それはドヴァルディア王国の紋章。世界各地へ武具を送り出す、ドワーフの王国を象徴する紋章だった。
「……」
俺はその紋章を一瞬だけ見た。けれど、それ以上何も考えなかった。
「乗れ」
「……」
言われるまま、荷台へ乗り込む。屋根に覆われた荷台の中は薄暗かった。木箱の間には、人ひとりが座れるだけの隙間が残されている。奥には、横になれる程度の空間もあった。俺はその隙間に腰を下ろし、壁代わりの木枠にもたれかかった。やがて、荷馬車が動き出した。ガタガタと車輪が石畳を進んでいく。荷台が揺れるたび、木箱がかすかに軋んだ。幌の隙間から、グランヴェルの街並みが少しずつ遠ざかっていく。それでも俺は、何も考えなかった。街を出ても、国を出ても、俺が鍛冶師になれないという事実は変わらない。だったら、どこへ行こうと同じだ。ただ時間だけが過ぎていった。どれくらい経ったのだろう。俺はゆっくりと目を開けた。
「……あれ?」
ようやく、何かがおかしいことに気づいた。俺は死刑執行場にいるはずだった。なのに、そこは荷馬車の荷台だった。
「……俺は……」
周囲を見渡す。大量の木箱。ドヴァルディア王国の紋章。そして、幌の隙間から見える、遠ざかっていくグランヴェルの街。
「俺は……死刑を免れたのか……」
口から言葉が漏れた。けれど、すぐに視線を落とした。
「……いや」
俺は小さく息を吐く。
「どうでもいいや……」
生きていた。それは理解できた。けれども、生き残ったところで何になる?選定試験に不合格となった俺は、鍛冶師になるという夢が消えた。だったら……。
「お前は、ドワーフ王国から追放されたチュー」
「……」
突然、背後から声が聞こえた。俺は振り返らなかった。
「聞こえてるチュー?」
「……」
無視する。話す気力などない。
「無視するなチュー。旅は長いから、じっくり話すチュー」
「……」
それでも俺は答えなかった。声の主は、小さな身体をしていた。身長は五十センチほど。身体つきは人間に近いが、頭部はネズミそのものだった。丸い耳に、小さな黒い瞳。灰褐色の毛並み。そして、背中から伸びた細い尻尾。ネズミ族だ。
身体が小さく軽いため、馬への負担が少ない。しかも、ネズミ族の一部には、馬など一部の動物の言葉を理解する能力がある。そのため、荷馬車の御者として重宝されていた。今回の荷馬車にも、二人のネズミ族が乗っている。俺の前に座っているのは、年長のネズミ族。名はモル。灰色の毛並みに、少しだけ白い毛が混じっている。その隣にいるのは、若いネズミ族のトト。茶色の毛並みで、モルよりさらに小柄だった。二人とも、この長い旅には慣れているようだった。
「まあ、無理に話さなくてもいいチュー」
モルがそう言って、小さな包みを俺のそばに置いた。
「でも、旅は長いチュー。腹が減ったら食べるチュー」
包みからは、保存の利くパンと干し肉が見えた。俺はそれを見ようともせず、目を閉じた。今は何も考えたくなかった。そのまま、俺は眠りに落ちた。
翌日。
「飯くらい食べるチュー」
「……」
「腹が減ってるチュー?」
「……」
「何か食べないと死ぬチュー」
「……」
モルが何度声をかけても、俺は答えなかった。食事を勧められても、口にする気になれなかった。それから三日間、俺はほとんど何も食べなかった。身体は確実に弱っていた。手足に力が入らず、頭もぼんやりしている。視界が時々霞み、起き上がることさえ億劫だった。それでも、食べようとは思わなかった。もう、このまま死んでもいい。そう思っていた。ドヴァルディア王国から追放され、生き延びたところで鍛冶はできない。だったら、このまま消えてしまえばいい。そう思った。
その夜。
俺は深い眠りに落ちた。そして、夢を見た。前世の記憶ではない。おそらく、この身体に残された記憶なのだろう。暗くて、何も見えない。目の前に誰かがいる。女性なのだろうか。けれど、髪の色も、目の色も、どんな顔をしていたのかも、何一つわからない。
ただ……温かかった。
誰かに抱きしめられている。小さな身体を包み込むような、優しい温もり。その温もりだけは、なぜかはっきりと覚えていた。
そして……。
『あなたも大きくなったら、立派な鍛冶師になってね』
優しい声が聞こえた。その声を聞いた瞬間、胸の奥が締めつけられた。
「……母さん」
俺は目を覚ました。暗い荷台。木箱に囲まれた狭い空間。馬車は変わらず、ガタガタと揺れている。
「……母さん……」
なぜだ。顔も覚えていない。名前すら知らない。母親がどんな人物だったのか、何一つ知らない。それなのに、あの温もりだけは覚えていた。
「母さん……どうして殺されたの……?」
声が震えた。俺は、あの王級鍛冶師が言っていた言葉を思い出した。母親も、俺と同じように武具と魔石の融合を唱えた。そして、その技術を異端として否定され、処刑されたのだと。それが本当なら、俺が死刑を宣告された理由と、母親が命を奪われた理由は同じだ。
「……俺と……同じ……」
俺は拳を握った。母親は事故死ではなかった。それなら父親はどうなったのか?俺は、自分の両親について何も知らない。孤児院では、両親は事故で亡くなったと聞かされていた。それ以上のことはわからないと。けれど、それは嘘だった。少なくとも、母親の死について、俺が聞かされていた話は真実ではなかったのだ。
「……ドヴァルディア王国が……」
胸の奥から、忘れていた感情が湧き上がってくる。それは怒りだった。
「母さんを殺した……」
唇を噛む。
「俺も殺そうとした……」
死にたいと思っていた。何もかも、どうでもいいと思っていた。 でも……もし、ここで俺が死んだら。母さんは喜ぶだろうか。いや……きっと喜ばない。
『あなたも大きくなったら、立派な鍛冶師になってね』
あの声が、頭の中に響いた。
「……そうだ」
俺はゆっくりと顔を上げた。
「俺は……まだ死ねない」
生き残ったことには、意味があるのかもしれない。俺は、両親のことを何も知らない。孤児院では、二人は事故で亡くなったと聞かされていた。けれど、あの王級鍛冶師の話が本当なら、母さんは異端者として処刑されたことになる。もしかすると、ドヴァルディア王国は、俺の知らない何かを隠しているのかもしれない。俺は両親のことを何も分からないまま、ここで死ぬわけにはいかない。鍛冶ができない俺に、これから何ができるのかは分からない。それでも、真実を知るまでは生きてやる。それが、今の俺に残された生きる理由だった。




