明日へ
《2079年12月17日 現実》
事務所で遅めの昼食を済ませ、今は食後のコーヒータイムだ。
現在時刻は十五時。たっぷりというほどではないが、集合時間の十九時までにはまだ余裕があるだろう。
ソファに腰を落ち着け、俺は静かにその時を待つ。
隣では、ミハネがコーヒーを啜っていた。
「なぁに黄昏てんの? 心配ごと?」
気遣わしげな視線を送られ、俺は頬を緩ませた。
心配はある。
俺の胸にはいつからか三つ目の聖杯が現れており、今は二十一個ほど魔魂が溜まっていた。
経験を積み、何度も聖杯を使って力を底上げし、今ならばジャルジャバでさえ一撃で葬れるだろう。
だからといって、確実にコイツやツァイナを守れるかと言われたら、やはり不安が鎌首をもたげるのだ。
しかし心配をかけないようにと、俺は違うことを口にして誤魔化す。
「土間には悪いことをしちまったなぁと思い出してな。ちょうど一年前くらいだろ」
「あ~、空間歪曲装置だっけ? 結局未完成のまま引き渡したんだよね」
奴が欲しがっていた装置は未完成品だった。
それに気付いた土間は憔悴し、政界からも身を引いたらしい。
今はどこで何をしているのやら。
「お爺様も人が悪いよね~。さも完成してますみたいなフリをし続けておいてアレだもん」
「ま、爺様のこった。どうせ『必要なこと』だったんだろ」
未来を知るという法ヶ院トシゾウ。結局あの爺様には何が見えているのか、俺には計り知れない。
だが未来を知っているという言葉には信憑性が感じられるし、恐らく彼はこの日の為に準備したのだろうと、今ならそう信じられる。
だからといって、一発や二発は絶対にぶん殴るという予定に変わりはないが。
「十五時半か。そろそろ出かけるぞ」
集合場所に指定された廃村は、ここからだとかなり距離がある。
余裕をもって出なければな。
「ちゃんと帰って来てよ? クリスマス。私もツァイナちゃんも楽しみにしてるんだからね?」
立ち上がってコートに腕を通しながら、俺はグッと親指を立ててみせた。
当然だ。
無事にクリスマスを一緒に過ごすため、俺はこれから戦いに行くのだから。
準備を終えて玄関まで歩を進めると、そこにぴったりミハネとツァイナも付いてくる。
俺を見送ろうというのだろう。なかなかの甲斐甲斐しさに、心が温かくなった。
「じゃあ行って来――」
言いかけた時、不意に玄関のベルが鳴った。
なんだ? 客か?
「悪いがこれから出るんだ。依頼ならまた今度にしてくれ」
扉を開けて目の前にいた男に告げると、彼は小さな包みを差し出してきていた。
「あ、いや、宅配便です。受け取りにサインか判子をいただけますか?」
「あ、あぁ。すまん」
それならそうと先に言えよ。
ちょっと恥ずかしいじゃないか。
「あざっした~!」
スラスラとサインを書き終える。すると男は声を置き去りにし、ダダッと階段を駆け上がっていってしまった。年の瀬も近い。きっと忙しいのだろう。
胸に押し付けられた小包を見ながらそんなことを考えていると、後ろから様子を見ていたミハネが声をかけてきた。
「なに? 誰宛て?」
「ここに届いたんなら俺宛てに決まってるだろ」
まったくと呆れながら、差出人に目を走らせる。
と、わりとタイムリーな名前がそこに記されており、呟くような声が漏れ出た。
「爺様からだ」
するとミハネが俺の後ろから、ひょいっと肩越しに顔を乗り出してくる。
「ホントだ! じゃあ私宛てってこともあるんじゃない? 開けてみてよ」
「ったく。俺はこれから行かなきゃないってのに」
文句を言いながらも開封してやる。
大きさは普通の封筒サイズだろうか。ピッと端を破いて、中身を取り出してみた。
「……葉巻?」
「みたいだな。……って、これアレかっ! いつぞや応接間に落ちてたやつ!」
それは法ヶ院邸を訪れていた時のこと。
荒れ果てた応接室で、俺はそれを見た覚えがあった。
こっそり持って帰ろうとして、スズヒに叩かれてしまったやつだ。
確かドンの話では、凄まじく高価で希少な一品だとか。
ひょっとしたら、化物との戦いに対する、報酬の前払いなのかもしれない。
死地に赴く前の最後の一服。
これっぽっちも死ぬ気はないが、かつて憧れたハードボイルドシチュエーションだ。この葉巻であれば、そのシチュエーションには打ってつけの一品である。
「気が変わった」
羽織ったコートをハンガーに戻し、葉巻を持ってソファに座り直す。
あまり事務所内では吸わないのだが、こんな時くらい構わないだろう。
「ちょっとトウマ? まさか吸うの?」
「悪いな。これだけは許してくれ。あ、ツァイナ。少し離れててくれないか?」
自分の家だから自由に振舞って良いとはいえ、幼女の前で吸うのは憚られる。
なのでツァイナとミハネには離れるよう伝え、換気扇を回しながら葉巻に火を付けた。
一口吸い込む。
まだ十分に燃えていないのか、少し香ばしいだけの香り。
だが二口目。
「うおっ! こりゃいいなっ!」
バニラカスタードのように濃厚な甘味が広がり、吐き出す時には芳醇な葉っぱの香りが鼻から抜けていったのだ。
素晴らしい。
さすがは一本百万円。
実にいいものだ。
「こっちに吹かないで! てか換気扇の下で吸いなさいよ!」
この素晴らしさが分からんとは。
まだまだ未熟者よのう。
「うめぇ……」
気付けば、十分ほどそうしていたらしい。
時計の針は、いつのまにか十五時四十五分を指していた。
さすがにそろそろ出なければマズイだろう。
「ふぅ……堪能した」
最後にもう一度大きく吸い込み、押し潰すように火を揉み消す。
帰ってきたら、まだ吸えそうだな。
「もう! 臭いが篭っちゃったじゃない!」
ミハネはぶつぶつ文句を言っているみたいだが。
その態度に肩を竦め、俺は今一度コートに腕を通した。
「今度こそ行って来る」
「帰りに消臭スプレーもお願いね」
おおぅ……。
世界を守る戦いに赴こうというのに、まるで晩御飯の材料を買いに行かされる気分になっちまった。
ま、そのくらい気楽なほうが良いのかもな。
「あいよ。じゃあ行って来――」
言いながらドアノブに手を伸ばした瞬間、再びベルが鳴り響いた。
「なんなんだよ今日は……」
タイミングの良いことだ。
ひょっとして、どこかで俺を監視している奴がいるんじゃなかろうか。
「悪いがこれから出かけるんだ。依頼は後日。宅配便は同居人に渡してくれ」
一息に言ってドアの向こうにいた人物を見ると、思わず「あっ」と声が出てしまった。
そこに立っていたのは、思わぬ人物達だったのだ。
「お久しぶりです龍ヶ崎様。突然の訪問で大変申し訳ありませんが、以前のお約束、お願い出来ますでしょうか?」
魔物の姉弟。リスラとボドウェーである。
二人は並び立ち、どこか清々しい顔で俺を見ていた。
「約束って魔魂を取り出すってアレか? ジャルジャバはもう良いのか?」
するとボドウェーが、グイッと胸を張りながら一歩前へ進み出てくる。
胸を張るのは姉のほうにして欲しかった。
「おかげさんで仇討ちは終わったんだよ! ジャルジャバは、俺がきっちり倒してやった!」
「半分くらい神楽メイド長のお力でしょう」
「いいんだよっ! トドメは俺だったんだから!」
ということらしい。
そういうことなら断る理由もない。
なにより魔魂は、一つでも増やしておきたいところだったしな。
「あぁ分かった。本当ならゆっくり話しを聞きながらにしてやりたいんだが、あまり時間もなくてな」
「申し訳ありません。お忙しいところを」
すっとリスラが腰を直角に曲げるが、残念なことにタートルネックでは胸が覗き見えてこない。
今日はサービスデイではないらしい。
ならばさっさと済ませてしまおう。
俺は左手を翳し、リスラ、ボドウェーと順番に魔魂を取り出してやった。
「これで普通に暮らしていける筈だ。今度ゆっくりコーヒーでも飲みに来い。うち自慢の豆を挽いてや――」
「ほらほらトウマ! 急ぐんでしょ!」
リスラの大きなたわわと次回の約束をしていると、ミハネが背中を押してきやがった。
そのままグイグイと外へ追いやられてしまう。
ったく。しょうがない奴だ。
「そういうわけで行って来る!」
「いってらっしゃいっ! 気を付けてね!」
見送る面々の笑顔を背中に受け、俺は階段を駆け上がった。
外へと出てほぅっと息を吐けば、白い煙がふわりと空に溶ける。
「さて。じゃあ喰らいに行ってやるとするかね」
異界から来るという化物を。
そして、俺達の未来を!
見上げた空からつらつらと雪が舞い降りる中、俺は明日へ向かって走り出したのであった。
***** 魔魂喰らいの探偵は、明日滅びた世界を喰らう 完 *****
これにて完結となります。
ここまでお読み頂きありがとうございました!




