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case7 何の為に、誰の為に4

 遠くに汽笛が聞こえ、すぐ側では打ち寄せる波が防波堤を叩く音。

 真冬の海はどこまでも真っ黒で、見ていると吸い寄せられるような錯覚を覚えた。


 時間は十九時五十分。

 どうして後ろ暗い奴ってのは、待ち合わせに港を選んでしまうのだろう。

 夏場ならともかく、こんな寒い時期まで港に集合では、会う前に凍え死んでしまうではないか。

 

 心の中で悪態を付きながらモッズコートに首を窄め、かじかんだ手を息で温め続けること十数分。

 ようやく向こうから、ヘッドライトが近付いてきた。


 俺から三十メートルほど離れて止まったのは黒塗りのベンツ。

 その後部座席から、恰幅の良い男がヌッと現れる。

 年齢は六十代から七十代くらいか。

 でっぷりと太った身体に不釣合いなほど上等なコートを纏い、土間ゲンジロウのご到着である。


「ふんっ。よもや貴様だったとはな。THの名を騙って呼び出すとは、よほどの用件でなければ許さんぞ?」


 やはり奴は、俺の顔も素性も知っているらしい。

 両手をポケットに突っ込み、ねめつけるように俺を睨みつけながら、土間はゆっくりと歩み寄ってきていた。


「多忙の代議士先生を呼びつけてんだ。そりゃよほどの用件に決まってんだろ」

「ならさっさと言え。こちらも暇ではないのだ」


 俺もこんなところで長話をするつもりはない。

 デバイスからプリントアウトしたものを土間に見せようと、懐に手を差し入れた。

 と、土間から十歩ほど後ろに控えていた男が、サッと土間を庇うような位置に素早く移動する。もっともそれを、当の土間が手で制したが。


「心配いらん。遮二無二危害を加えて来るほど分別のない男ではないらしいからな」


 あぁ、銃でも取り出すと勘違いされたのか。

 敵の多い代議士先生らしい話だ。

 苦笑しながら、俺は取り出したものをヒラヒラ振って見せ、安全性を喧伝してみせる。

 そうしてから土間に差し出すと、念のためとボディーガードの男が引っ手繰るように取り上げ、それを土間に渡した。

 奴はさっとそれらに目を通し、ふんっ、と鼻息を荒げた。


「空間歪曲装置。完成しているのだな?」

「だからって素直に引き渡すつもりもないらしいぞ」

「だろうな。でなければ、わざわざロクオミを匿ったりはせんだろう」


 ロクオミ?

 そういえば五條ロクオミというエンジニアが行方不明で、そのことをトシゾウの仕業だと考えているんだったか。稀代の天才エンジニアらしいからな。こんなとんでも装置を作るのに、ロクオミが携わっているのは不自然じゃないか。


「で、これを見せびらかすために呼びつけたのか?」


 土間は渡した資料を懐に仕舞いこみ、再びこちらに視線を向けていた。まるで汚物を見るような視線を真っ向から受け止め、俺は口火を開く。


「いったいそれはなんなんだ? 空間なんて歪めて何をしようとしてやがる。……人口調整計画と関係があるのか?」

「……ほう?」


 人口調整計画と空間歪曲装置を結びつけた俺の考えは、土間の興味を惹いたようだ。

 奴は右手で髭を撫で付け、覗き込むように目元を緩めていた。


「どこまで知った? それともトシゾウの受け売りか? あぁ、そういえば先日ネズミが施設に潜り込んだと報告があったが……。あれは貴様のご友人だったか」


 ネズミとはドンのことだろう。

 今すぐにでも殴りかかりたい衝動に駆られるが、なんとか抑え込んで俺は話を続けることにした。


「あの爺様はなんも教えちゃくれなかったぜ。それどころか、俺から逃げ回って雲隠れの真っ最中だ」

「ふんっ。奴らしい。で?」

「お前は……いや、この国は、どういうわけだか異能力者を人為的に作り出しているな?」


 国の人口を一定に保つため。また出産、育児からの解放、学力の平均的向上を題目に掲げて始まった人口調整計画だが、その本当の理由はそこにあると、俺は確信を持っていた。

 コイツ等は人工的に子供を作る過程で、マシュラ族の遺伝子などを組み込ませ、人為的に異能力を付加させようと研究を進めていたのだ。


「貴様の持つ魔魂喰いが、神からの贈り物でなくて残念だったな」

「んなこたぁどうでもいいんだよ。問題は、新興宗教を潰したり、多数の人間を殺してまで、何故そんなことをしているのかってことだ。まさか軍事利用でもしようとか考えてんじゃねぇだろうな」

「ふんっ。下らん」


 異能の力は魔物には当然として、単純に兵器として有用である。

 カナタの鈍界は、素早く状況を判断したり、思わぬ事態に対処出来る柔軟さがある。

 キョウヤの瞬間移動など、いかようにも使い道があるだろう。

 それらの人間を育てて軍人に仕立て上げれば、どれだけ強力な兵になるか。

 そう仮定して問い質したのだが、土間は吐き捨てるように唾を飛ばした。


「貴様がどう思っておるか知らんが、私は今も昔も。この国の為、平和の為にこの身を捧げておる」

「聞いて呆れるぜっ! 平和を語るその口で、何人の人間を殺せと命じたんだよっ!」

「小さなことだ。いずれ訪れる破滅に比べれば、多少の犠牲には目を瞑ろう」

「……破滅。SOLTのことか」

「あぁ、そうだ。2113年。世界は滅びる」


 くそっ!

 ドンのメモに書かれていたことは本当なのかっ!

 いい歳した、しかも社会的な立場もある奴が、大真面目な顔で世界が滅びるなんてことを言っているのだ。とても戯言とは思えない。


「間違いないことなのか?」


 だがそれでも信じられないと、勝手に言葉が口から零れる。

 土間は、呆然としてしまっていた俺を笑うでもなく、暗い瞳で抑揚なく言葉を並べた。


「事実だ。あと三十年ほどで、世界は滅びる」


 ひゅっ、と、刺す様な風が吹きぬけ、全身を寒気が走りぬけた。

 俺を見る土間の態度からは、いつの間にか傲慢さも不躾さも消えている。肥え太った身体が、諦めにも似た空虚さを纏っていたのだ。


「Saturation、Organism、Lag、Toxic。長い年月をかけて全人類の遺伝情報に浸透した有機体が、一斉に毒物へと変わる。それが2113年だ」

「それがSOLT……」

「その通り。現在の医療では治せない。いや、そもそもこれが病気なのか、毒なのか、それとも他の何かなのか。我々は、それすら正確に把握することが出来んのだ」

「なんだよそれ……。全人類が罹患? それで、どのくらい危険なものなんだよ」

「ふんっ。言っただろうが。世界は滅びる。つまり、致死率は100%だ。例外はない」


 あまりにも現実離れした話に、思わず膝が笑い出す。

 意味が分からない。全人類が罹患しており、それがあと三十年後に発症し、全員が死ぬ?

 いや知ってはいた。ドンの残したメモにも、同じような内容が書き記してあったのだから。

 しかし簡単に信じられる事ではなかったし、何かの間違い。もしくは、ガセを掴まされたという可能性も考えていたのだ。


 正直に言えば、そうであって欲しかった。

 それならばツァイナという生き証人の協力を得て、俺は堂々と土間を糾弾し、宮園マイやドンの無念を晴らすことをなんら躊躇わなかっただろう。


 だがこうして語る土間を見れば、それが虚偽だとは思えない。第一、俺にそんな嘘をつく理由もないのだ。


「信じられんのも無理からぬことだ。初めてその話を聞いた時は、私も他の先生がたも、一笑に伏したのだから。だが研究の結果、それが真実だと知ることになった」


 なぜそれを隠すのか。そんな馬鹿げた質問は飲み込んだ。

 それが真実だと発表すれば、パニックは避けられない。犯罪率は急上昇し、人々の箍は外れ、下手すりゃ2113年を待たずに世界は終りかねない。

 しかしだからといって……。


「なにか……なにか方法はないのかよ? だって三十年。まだ三十年もあるんだろ?」

「あるにはある。確実な方法が。正しその場合、世界は来年滅びる」


 なんなんだよそれはっ!

 それじゃあまるで、人類が滅びる運命にあるみたいじゃ――ッ!!


 ……そうか。

 トシゾウが言っていた本当の意味はこれか。

 アイツは未来を知ることが出来るらしい。なら、人類が滅びる未来も当然知っている筈だ。


 ……待てよ?

 来年って言ったか?


 あっ!!


「79派と113派。そういうことか」

「あぁ、そういうことだ」


 2079年に滅びを受け入れるか、2113年に滅びを受け入れるか。

 そのどちらを選ぶかの派閥。

 ……いや待て。それなら、全員が全員2113年を選ぶだろ。

 誰が好き好んで滅びを前倒ししようなんて考えるんだ。


 確実な方法があるにはある。

 土間はそう言ったな。

 ならもしかして……。


「来年何がある? SOLTとやらは三十年後まで発症しないのに、なぜ急に来年世界が滅びるようなことになるんだよ」

「かつてない規模のゲートが開き、世界に固定される」


 小生意気なメイド長に聞かされた言葉が、脳裏にフラッシュバックした。

 大鬼門。

 確かにコナデも、世界が滅びかねない魔物が現れると言っていたな。


「SOLTというのは、遥か昔にこの世界へと運ばれた、異界の有機体が原因である可能性が高い。そして、異界と行き来することが出来れば、それを治せる可能性が高いとも。しかしその為にはゲートを固定せねばならないが、そんな技術はない」

「かといって、来年固定されるというゲートをそのままにすれば、強大な魔物が現れて世界が滅ぶと」

「ようやく分かってきたようだな。我々を長年苦しめ続けているジレンマに」


 だから派閥が出来たのか。

 なんとか魔物を倒してSOLTの完治を目指すべきと考える者達。

 そして、魔物を倒すのは無理だからゲートを破壊し、三十年かけてSOLTを治す方法を別に考えるべきだと主張する者達で。

 ここまでくれば、113派の土間がアレを欲した理由も自ずと判明する。


「空間歪曲装置ってのは、ゲートを固定させない為に必要な物なんだな?」

「あぁそうだ。知っての通り、魔物は通常兵器で倒すことが出来ない。それこそ核や神の杖を用いたとしても、それは能わぬだろう」

「だからお前は113派というわけか。ならトシゾウは79派? あの爺様は、魔物を倒す可能性を見出しているのか?」

「説明はされたが、可能性と呼べるほどのものではない。……しかし良い機会だ。試してみるか」


 試す? 何を試すっていうんだ?

 情報量の多さと、非現実的な話で混乱状態の俺の前に、土間のボディーガードがずいっと進み出て来た。


「なんだ? 俺は確かに異能力者だが、一般人相手なら大して強くもねぇぞ?」

「一般人? 何を言っている」


 そう言うと、ボディーガードは髪を掻きあげてみせた。

 見たことのない顔ではあるが、その額には見覚えのあるものがあったのだ。

 バツ印のような傷。

 あぁ、そうか。

 土間の近くで控えているなら、コイツがそうである可能性はあったな。


「久しぶりだな魔魂喰い。いつぞやの続きといこうか?」


 言うが早いか、突如として男の身体が盛り上がり始めた。

 筋肉が肥大化し、服を突き破り、気付いた頃には見上げなければいけないほど巨大な体躯へと変わっている。


「では行くぞッ!」


 肌を突き刺す寒風と殺気。

 暗闇から踊り出るように、目の前の魔物。

 ジャルジャバは、俺へと鋭い爪を伸ばしていたのだった。



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