case6 死に至る病3 ―雨宮カナタ―
《2078年9月13日》
今日も今日とて私は魔物狩りに精を出していた。
ようやく昼間でも日差しが柔らかくなり、いくぶん外回りも楽になってくる時節。
仕事を終えれば先輩の家に行き、サヨコさんに旬の食材を調理してもらおう。
そんな、いつもと変わらない日であった。
残念なことに、龍ヶ崎探偵事務所の扉はまだ叩けていない。
先輩にはあのように返事をしたが、だからといって三ヶ月の空白を作ってしまった関係は、すぐに元通りというわけにはいかないのだ。
率直に行えば、私は怖いのかもしれない。今更何をしに来たのかと、部外者のように扱われることが。
「ま、そのうちね」
言い訳のように自嘲し、次の現場へと急行する。
署で受けた連絡によれば、狙われているのは若い女性。
なんとしてでも守らなければ。
そうして辿り着いたのは、古い団地の一角だった。
同じような建物が何棟も並び、そこかしこに生活感が溢れている。
だが住所を見ても、いまいちピンと来ない。
どこが現場なのだろうかと、私は顔を左右に振って見渡す。
でも分からない。
胸の中に焦燥感が湧き上がり、指が忙しなく刀の柄を握ったり離したりし始め、薄く唇を噛み締めた時。
――ガシャンッ!
突然背後からガラスの割れる音が聞こえた。私はすぐさま鈍界を発動し、音のした方へと振り向く。
すると後ろにあった棟の二階。その窓から、ガラス片と一緒に男が落ちてくるのが見えた。
「――ッ!」
普通なら、声を上げる余裕もないだろう一瞬の出来事。
でも私には、全てが見えている。
粉々に砕けていくガラスも。落ちてくる男の顔も。まだ部屋の中にいた魔物の姿も。
……男?
そこで異変に気付いた。
襲われているのは女性じゃなかった?
そう思い男性の顔を良く見ると、その顔には見覚えがあった。
「なんでこんなところにっ!」
愚痴を吐きながら、私は男の。
山城ユタカが落下してくるであろう位置へ走りより、なんとか受け止めようとする。
通常、二階から落下する男性を女の私が受け止めるなんてことは不可能だ。
でも鈍界があれば、適切なタイミングで落下の衝撃を和らげるように受け止め、無傷とはいかなくてもダメージを最小限に抑えるくらいのことは出来るのである。
「んっ!」
広げた両手の中に彼の体が収まり、少しずつ衝撃を逃がしながら倒れこむ。
ドサリと重なり合うように地面へ倒れてしまったが、私は膝を擦りむいた程度の軽症。
彼も腕に打撲を負った程度で済んだようだ。
「大丈夫?」
声をかけると、何が起こったのかとビックリした様子のユタカ。
だけど状況を把握した瞬間、彼は痛みも忘れて跳ね起きた。
「あ、あっ! ありがとうございますっ!!」
腰を直角に折り曲げて礼を言ってきたけど、今はそんなことをしている場合じゃない。
私はすぐに彼の姿勢を正させ、詰問するように訊ねた。
「女性は無事!? まだ魔物はいるの?」
あっ、と思い出し、ユタカはコクコクと首肯する。
それを確認してから、私はダッと大地を蹴って駆け出した。
向かうべきは今ユタカが落ちてきた部屋。
あそこには魔物がおり、今まさに女性が襲われている最中なのだ。
一足飛びに階段を駆け上がり、蹴り破るように部屋へ転がりこむと、予想通り。
魔物の前で女性が腰を抜かして怯えているところに遭遇した。
「大丈夫!?」
声をかけるとその視線が私を捕らえ、今にも泣き出しそうな顔に変わる。
すぐにでも助けてあげたい。
でも彼女の前には、魔物が立ち塞がっていたのだ。
「あまりみないタイプの魔物ね」
奴は、見た目で言えば猿に近いだろうか。
でも瞳からは生気を失い、両手はダラリとぶら下がるようにしている。
まるでゾンビ。ゾンビタイプの魔物というのがしっくりくる表現だ。
「最近次から次へと色々出てきて困るけど……やることは変わらないわね」
溜息を付き、愛刀血桜の柄へ手を掛ける。
それを一息に抜刀し、私は平晴眼に構えを取った。
正し刃は水平にする。
室内は狭い。横に払ったり縦から斬りつけたりという動作が難しいのだ。
なので刃を水平にし、初手は突き。万が一避けられても、そのまま追うように斬る動作へと移行出来る。
幕末の天才剣士が使った三段突きとまではいかないが、狭い室内では必殺の構えである。
魔物は身動きしない。
舐められているのだろうか?
当然のように鈍界を発動しているので、急な動きにも対応は出来るだろう。
ならこのまま――
「せいっ!」
真っ直ぐに飛び掛り、私は刀を突き出した。
ゆっくり動く鈍界の中。魔物に動きは見られない。
刃の切っ先が胸の辺りに触れ、刺さり、飲み込まれ、貫いた。
そのまま身体を預け、女性と引き離すように隣の部屋まで押し込む。
そして腹を蹴りつけ、無理やりに刀を引き抜けば、魔物は呻き一つ零さずにドサリとその場に崩れ落ちたのだった。
「だ、大丈夫ですかっ!!」
どうやら一足遅くユタカも戻って来たらしく、開口一番で私を気遣ってきた。
その気持ちは嬉しいけど、気遣うべきは被害者の女性でしょ。
と思ったけど、女性のケアを男に任せるわけにもいかないか。
「私は大丈夫。貴方は魔物の様子を見ておいて。それから周辺の住民の方が来たら説明を」
「わ、分かりました」
オタオタとしながらも、彼は私の指示に従い動き出す。
その間に私は女性に近付き、その無事を確認した。
なんでも偶々通りかかったユタカが、魔物に襲われていた女性を助けたそうだ。
結局は魔物に体当たりされ、窓から落ちてしまったけれど、私は彼の正義感を少しだけ嬉しく感じていた。
だから
「ま、また会えましたねっ!」
一段落してから嬉しそうに近寄ってきたユタカ。子犬のようなその態度に、私は警戒心を緩めていた。
「そうね。お手柄じゃない。女性を助けるなんて」
「い、いえいえ。偶々です。本当に偶々通りかかっただけで」
「それでもなかなか出来ることではないわ。見直したわよ」
素直に賞賛すると、パッとユタカの表情が明るくなる。
あまりに無邪気すぎて、こちらが気後れしてしまうほどだ。
「でも、貴女が来てくれなければ僕は大怪我を負っていましたし、きっと女性を助けることも……」
だが自分の失態を思い出して、その表情はみるみる翳ってしまった。
確かにそれは事実なのだが、彼がいなければ手遅れになっていたのもまた事実。
それをどう伝えようかと言葉を選んでいると、彼の目が私の脚に吸い寄せられていることに気付いた。
「な、なに?」
ちょっとだけ警戒心が再燃し、半歩後ずさるが、彼は決して変なことを考えていたわけではなかった。
「膝。僕のせいですよね」
彼を受け止めた時に出来た怪我。ユタカはそれを気にしていたのだ。
「気にしなくていいわ。こんな仕事だもの。この程度はしょっちゅうよ」
「で、でもっ! 何かお礼とお詫びをさせて下さいっ! じゃないと、僕の気が済みませんっ!」
真摯な眼差しを向けられ、私は困ってしまう。
本当に仕事をこなしただけなのだし、落ちてきたのが彼じゃなくても当然同じ行動を取った筈だ。
だからいつも通りに「構わない」と告げ、お礼とやらを突っぱねようとしたのだけれど
『もっと柔軟でなきゃあいけねぇぞ』
先日言われた先輩の言葉が頭を過ぎり、私はその申し出を受けることにしたのだった。




