二十一話 センチメンタル
怒涛の一週間が過ぎ、最後の週末がやってきた。
締め切りは週明けの月曜日だ。
月曜は、投稿するだけにしておきたい。作業を行うのはこの土日で終わりだ。
青太とみどりは、朝からずっと見直し作業に没頭している。
「ねえ、青太」
「どうしたんだ?」
「はっきり言わせてもらうと、私じゃあもう限界なんだけど。読み直しても、いくつか誤字を見つけただけで、これ以上指摘のしようがないわ」
「そこをなんとか。どんな些細な指摘でもいいんだ。直すか直さないかは別にして、とにかく思いついたことをなんでも言ってくれればいい」
「なら、巨乳ネタ」
「それはもうええっちゅうに」
「些細な指摘でもいいって言ったのは、青太なのに。他にあったかなあ……」
「いい加減、飽きてきたとは思うけど、今日と明日で終わりだから頑張ってくれないか。終わったら、目一杯ねぎらうからさ。ほら、もうすぐみどりの誕生日だし、誕生日パーティしよう。プレゼントも奮発するぞ」
サンダー小説の新人賞へ投稿すると決めてから、二ヶ月弱。
みどりには迷惑をかけ通しだし、世話になった。お返しをするのは当然だ。
プレゼントも、少々高くても奮発するつもりでいる。
それだけのことを、みどりはしてくれた。
「私、化粧品が欲しいかなあ。いつも使ってるやつじゃなくて、お高いやつ」
「分かった。化粧品には詳しくないから、何が欲しいか教えてくれれば、それをプレゼントするよ」
「やった! じゃあ、もうちょっと頑張ろうかな」
そして再び、黙々と見直しをする時間に。
作品を書くのに比べれば、地味で大変な作業だ。面白味のある作業ではない。
九十点の出来の物を、重箱の隅をつついて些事にこだわり、九十一点にする。
九十一点になったら、次は九十二点を目指す。
じわり、じわり、と完成度を高めていく作業は、根気がいるし神経も使う。
時には、手を加えるべきではない部分に手を加えてしまい、後退もする。
せっかく九十二点まで高めたのに、あっという間に九十点に逆戻り。
九十点で止まってくれればいいが、見る見るうちに八十点、七十点と、流れ落ちる滝のごとく下がっていく。
点数を高めるのは大変なのに、落ちる時は一瞬だ。
しかも、悪くなっている事実に気付かない場合もざらにある。
どこで完成とするかは、見極めが難しい。
作家の性として、読み返せば読み返すほど、細かな点を修正したくなってしまうものだ。
そういう意味では、時間が限られている方が見切りをつけやすいと言える。
青太の場合は、明日で終わり。どれだけ引き延ばしても明後日だ。
先にも述べた通り、明後日が締め切りだから。
それまでは、できる限り見直して修正する。何度も、何度でも。
ちなみに、青太は用意周到なことに、月曜日は有給休暇を取っている。
先月、代休を取ったことといい、会社の仕事よりも小説を書く方に情熱を傾けているのだから、どうしようもない。
上司や同僚には、小説を書いていることを内緒にしているが、知られてしまえばいい顔はされないだろう。
今回が最後なので許してください、と心の中で謝っておく。
そうして、土日は瞬く間に過ぎ。
日曜日の夜、推敲に推敲を重ねた、集大成となる作品が完成した。
『ごちゃまぜアニバーサリー』
みどりからもらったタイトルを冠し、青太の持てる全てをつぎ込んだ、とっておきの逸品。
後にも先にも、この作品を超える物は書けないと言い切れる、最高の物語だ。
「……できたな。これで完成だ」
「おめでとう。二ヶ月しか時間がなかったのに、よく間に合わせたわね」
「みどりのおかげだ。みどりがいてくれなかったら、絶対に無理だった。何度お礼を言ったか分からないけど、何度でも言わせてもらうよ。ありがとう、みどり」
「どういたしまして。それで、応募するの?」
「する……明日に」
完成したのに、青太は投稿を躊躇していた。
みどりは肩透かしを食らったようにずっこけた。いいリアクションだ。
「どうして? まだ直すつもりなの? キリがないと思うんだけど」
「直すっていうか、誤字脱字だけな。明日、俺は休暇を取ってるから、誤字脱字がないか読み直すよ。他は修正するつもりはない」
「誤字脱字だって、何度も見直したじゃない。そりゃあ、完璧とは言えないかもしれないわよ。でも、そんなものなんでしょ? 十万文字以上あれば、ちょっとした誤字の一つや二つあるものだって、青太も言ってたじゃない」
「そうなんだけどな。でも、ギリギリまで見直したいんだ」
「青太がやりたいなら、いいけどね。だからって、うっかり時間切れにならないように注意してよ」
「分かってる。俺だって、これだけ頑張っておきながら時間切れで投稿できないとか、悔しいからな。明日、絶対に投稿する」
みどりには言っていない。青太が応募をためらっている、本当の理由を。
もったいないのだ。
この二ヶ月は、楽しかった。
久しぶりに、小説を書くことを心から楽しめた。
こんなにも楽しかったのは、小説を書き始めた大学生の頃以来かもしれない。
思えば、いつからだろうか。
いつの間にか、書いても書いても、さほど楽しいと思えなくなっていた。
落選を繰り返すうちに、小説を書くことが単なる作業になっていた。
投稿する賞を決めて、締め切りに間に合わせるために、毎日決まった文字数を機械的に書くだけ。義務感のようなものだ。
今回は違った。みどりがいてくれたおかげで、毎日が楽しかった。
仕事が忙しく、辛かったり嫌なことがあったりしても、小説を書けばリフレッシュできた。
みどりとアホなやり取りをしながら小説を書く日々は、笑顔にあふれていた。
終わらせたくない。もっと書きたい。いつまでも書き続けたい。
それが、青太の偽らざる願いだ。
お祭りが終わる時の寂寥感に似ている。
終わってしまうのがもったいなく、終わらせたくない。
このまま続けたいと思っている。
どれほど願っても、終わりは訪れる。
ならばせめて、一日でも長く、引き延ばしたい。
そんな、センチメンタルな気持ちがあったからこそ、今日の投稿を見送った。
見直しというのは建前だ。時間がある以上、見直しはするが、今さら誤字を見つけたところで結果に影響するとは思えない。
ただただ、浸っていたかった。夢の中にいるような、心地よい世界に。
あと一日で終わるとしても。
意味のない引き延ばしだとしても。
最後の挑戦を、今日で終わらせてしまいたくなかった。
青太は、感傷に浸ったままベッドに入る。
最後の一日を、寝不足で迎えるのは悲しい。
たっぷりと寝て、朝きちんと起きて、一日を過ごし、投稿する。
予定を決めて、青太は眠りについた。
願わくは、小説を書く夢でも見られますように。




