二十二話 十七年の歴史に別れを
四月十日、月曜日。
大多数の人にとってはなんの変哲もない、週の始まりの日。
楽しい土日が終わり、また一週間、学校や会社に行かなければならない。
憂鬱に思っている人も多いだろうが、週に一度必ず訪れるありふれた一日だ。
青太は、会社に行くみどりを見送ってから、作品を見直していた。
思い出を振り返り、噛みしめるために。
「別物になったよなあ。俺が最初に考えてたプロットとは、全然違う。自画自賛になるけど、こっちの方が断然面白い。元のプロットで書いてたら、ここまで面白い作品にはならなかった。みどりのおかげだな」
妻に感謝を捧げながら読み返す。
みどりに突っ込まれ、変更した箇所が、そこかしこにある。
突っ込まれながら、変更しなかった箇所も、やはりそこかしこにある。
十三万文字強の作品には、みどりとの思い出が詰まっていた。
二ヶ月前までは、影も形も存在しなかった。青太とみどりがいなければ、今も世の中に存在しないはずの作品が、こうして存在している。
この世に生み出したのが自分だと思うと、誇らしくなる。
一文字を、一文を、一段を。
青太は、じっくりと読み進める。
文字を追うごとに、みどりの声まで聞こえてきそうだ。
「『また巨乳ネタなの!』ってな。『こんな名前の人間いない!』かも」
青太の脳内では、みどりの声ではっきりと再生されている。
みどりの突っ込みを聞くために、巨乳ネタを入れ込んだり珍名キャラにしたりしたが、結果的に作品の味となっているから不思議な感じだ。
「読んでくれる人がいるって、大事なことなんだな。十七年も書いてて、やっと理解するとか、俺は何をやってたんだか。もっと早くから、みどりに手伝ってもらっていれば……今さら言っても遅いけど」
もったいなかったとは思うが、今回手伝ってもらえただけでも僥倖だ。
青太は幸せ者だと思う。みどりがいてくれることが。
青太の趣味に理解を示してくれるだけでもありがたいのに、手伝いまでしてくれるとか、こんなにもできた嫁はなかなかいない。
大切にしよう。改めて心に誓った。
何度も小説を読み返しているうちに、時間は無情にも過ぎる。
一度読み終える頃には昼に、二度目を読み終える頃には夕方になった。
時間的に、三度目は難しい。
それでもギリギリまで粘っていると、みどりが帰宅した。
まだ投稿していなかったことに驚いていたが、青太はみどりを待っていたのだ。
投稿する時は、みどりに見守ってもらいながらと決めていた。
「……よし。投稿するぞ」
「はいはい。早いところやって、晩ご飯にしましょう」
「もうちょっと、投稿の瞬間を分かち合ってくれよ。わざわざ待ってたんだしさ」
「待ってくれなくてもよかったのに」
「だって、みどりがいてくれなきゃ、この作品は出来上がらなかったんだ。みどりと一緒に投稿したかったんだよ。二人の共作にしてもいいくらいだぞ。てか、共作にするか? 俺の名前だけだと、一人の手柄にするみたいで悪い気がする」
「必要ないわよ。私は適当に口を挟んだだけで、何かを書いたわけじゃないんだし。青太の名前だけにしておいて」
「みどりがそう言うなら」
青太としては、共作にして、みどりの名前も残したかった。
本人が必要ないと言うのであれば、やめておこう。
ウェブ応募をするために、サンダー小説大賞のホームページに飛び、必要事項を記入していく。
何度もやったことがあるので、手慣れたものだ。
作品のタイトルは「ごちゃまぜアニバーサリー」、ペンネームは「須野宇犀」とする。
ペンネームは、本名のもじりだ。
御幸青太なので、御幸の「幸」を「雪」にして、英語の「スノウ」に。
スノウに漢字を当て、「青」を音読みにしてこちらも漢字を当てた。
漢字は、「須野宇」は適当だが、「犀」はとある小説家の名前の文字を使わせてもらっている。
青太の出身県の有名作家だ。
雪も出身県に関係している。
日本三名園は、それぞれ雪月花に対応していると言われる。
ただのこじつけという説もあるが、こじつけでも綺麗だと思う。
青太の出身県の場合、冬の雪吊りで有名なので、雪月花の雪に相当する。
地元愛に満ちあふれたペンネームだ。
初めて投稿した時から使い続けており、思い入れもある。
十七年も使っていれば、もう一つの自分の名前と言っても過言ではない。
須野宇犀の名前を使うのも、今回で最後と思えば、感慨深いものがある。
記入事項に間違いがないか、何度も確認してから、青太は「作品を応募する」をクリックした。
「……終わった、な」
パソコンの画面に「作品応募が完了しました」という文字が表示されると、とうとう終わったのだと思えた。
それでも、実感があるかというと、まだなかったりする。
夢見心地のふわふわとした気分が残っており、現実味がない。
しかし、まぎれもなく終わったのだ。
泣いても笑っても終わり。
投稿した以上は、修正もできない。結果発表を待つだけだ。
そして入賞しなければ、青太が小説を書く機会は、もう二度とない。
今回が最後と約束したのだから。
「ふううぅう……」
青太は目を閉じて、大きく息を吐いた。
心の中では、様々な感情が渦巻いており、青太自身も表現に困る。
達成感はある。虚無感もある。
無事に投稿できて嬉しく、同時に終わってしまって悲しい。
十七年も続けた投稿生活から、解放されたという思いがある。
十七年も続けたのに、解放されていいのかという思いもある。
「みどり、俺、今日の夕飯はいらないや。胸がいっぱいで、何も食べられない」
「……分かった」
身体によくないわよ、と。
小言を言うことなく、みどりは受け入れてくれた。
みどりが部屋を出て行ってからも、青太はパソコンの前から動かなかった。
「作品応募が完了しました」と表示されている画面を、ずっと眺め続ける。
青太にできることは何もない。
これまでとは違い、次の作品を書く必要もない。
座して待つ。ただそれだけ。
「一次選考通過作品が発表されるのは七月か。三ヶ月後。長いなあ」
早く結果を知りたいような、怖いので知りたくないような。
まあ、三ヶ月も先のことを、あれこれ考えていても仕方ない。
青太はパソコンの電源を切り、風呂に入ることにした。
結果がどうであれ、御幸青太の投稿生活は、これにて終了。
落選すれば小説にはかかわらないし、万が一入賞しても、これまでのように新人賞への投稿を繰り返すことはない。
青太は、十七年の歴史に別れを告げた。
人から見れば、たいしたことには思えないかもしれない。
青太にとっては、人生が変わるほどの出来事だ。
今日は眠れないかもしれない。




