7。
梨華とランチを共にしなくなって約2ヶ月。
ランチはデスクで摂るように変えた。
メールや電話も控えると連絡したら、連絡したくなったらいつでもしてと返信が来たきり梨華からの連絡はない。長く友人関係を続けてきたのでこういう時に私がどう接して欲しいのか熟知してくれているのだ。
私は毎日30分早い出勤を日課にし、コンビニに寄ってカリカリを買い公園に立ち寄りお決まりのベンチの足元にカリカリを撒き会社に向かう事を続けている。残念ながら朝の時間帯に猫に会うことは無かった。しかし翌日向かうと齧りかけのカリカリがほんの少し残っていたので猫が食べに来ているんだと確信を持てた。
出社途中に公園に寄り餌を撒き、仕事をこなして昼はデスクでひとり味気ないランチを咀嚼し、流し込む。午後の仕事を黙々とこなして定時に退社。なるべく必要時以外は人と話さないように過ごすようになった。だんだん元気が無くなっていくようなそんな気がする。季節でさえ6月に差し掛かり梅雨空がますます気分を滅入らせた。
そんな時、騒ぎは起きた。
「営業の坂下美緒を出せ!!」
白昼のオフィスに血相を変えて飛び込んできた初老の男性がカウンターで叫んでいる。手には明細書類が握られているようだった。ただならぬ雰囲気を察して男性職員が対応に出る。
「いかがなさいましたか?」
「如何も何も今すぐここに営業の坂下美緒を呼んでこい!!」
男性は自分の怒声に興奮を高めてますます声を荒げる。
「落ち着いて頂けますか?まず失礼ですがお名前を教えていただけますでしょうか?」
「飯田敏夫だよ!客の名前くらいしっかり覚えておけ!失礼だろうがよ!!」
「失礼いたしました。飯田様いかがなさいましたか?」
「分割払いの引き落としが、坂下の説明より多く引き落とされてるんだよ!こんなのおかしいだろ!今すぐ坂下を出して説明させろ!!」
「かしこまりました。今すぐ連れて来ますので少々お待ちください。」
対応に入った男性職員が慌てて部屋を飛び出していった。待たされる男性は怒りが収まらないらしく明細を確かめながら忙しなくカウンターテーブルを指で弾いている。
イイダトシオ、イイダトシオ、イイダトシオ。
頭の中で反芻する。
確か坂下さんの顧客で先月契約を結んだお客様だ。
確か飯田様ご本人はクレジットカードをお持ちでなかったのと、ご自身が定年されておられる都合上、娘様名義でリボ払いの契約をされた筈だ。私も契約書類には目を通しているがおかしな所は無かったと記憶している。暫くして坂下さんがやって来た。
「飯田様、お待たせいたしました。どうなさいましたか?」
「どうもこうも無いよ!引き落とし額が当初の説明と違うじゃないか。どう言うことなんだよ。分かるように説明してくれ!!」
飯田様は手にしていた引き落とし明細書を坂下さんに突き付ける。受け取った坂下さんは明細に目を走らせ、小さくため息をついた。
「飯田様、これは間違いでも何でもありません。分割手数料が引かれてこの金額になっています。分割手数料については契約時にご説明致しましたし、娘様にも説明しております。詳しくは娘様かご利用の金融機関にお尋ね下さい。忙しいので私はこれで失礼いたします。」
深く頭を下げ坂下さんは退室していった。無言の気まずい時間が流れる。
「年寄りだからってバカにして。」
飯田様が俯いて言葉を吐き出した。何だかいたたまれず飯田様に声を掛けた。
「飯田様、よろしければ詳しいお話を伺いますのでこちらへどうぞ。」
カウンター奥の目立たない場所へお連れしようと思ったが課長と視線が合い、仕方がないわねと言うように頷いてくれたので飯田様を応接室に招いた。
「こちらへどうぞ。」
ゆったりしたソファに腰を下ろしてもらう。
「少々お待ちください。」
言いおいて珈琲を淹れに行く。
給湯室にはドリップ珈琲の横にココアの缶が置いてある。
一瞬考えてココアをお出しすることにした。
「お待たせいたしました。どうぞ。」
がっくりと項垂れて座る飯田様の前にココアとお茶菓子を置くと、ポツポツと飯田様が話し出した。
「貴方らは端金って思うだろ?でも、俺は支払いが娘になってるからついむきになっちまって。一生懸命働いてる娘の金がむしり取られているようで許せなかったんだ。でも、勘違いだったんだなぁ。説明をちゃんと聞いてるつもりで聞いてなかった。恥ずかしいよ。」
「娘さんを大切に思うが故ですよね。お気持ちわかる気がします。」
「分かってくれるか?ありがとう。」
そう言うと飯田様は目頭を押さえた。
「ひとり娘でね、嫁と離婚してもう長いこと二人三脚でやって来たんだ。娘はさ、母親の元に行くことを選ぶことも出来たんだよ。でもね、お父さんがいいって俺を選んでくれたんだ。可愛くて、可愛くて仕方なくてね。俺が守るって心に決めてやって来たのに数年前から立場逆転さ。娘に支えられる事が多くなった。今度は私の番だからって言ってくれるんだよ。でも、申し訳なくてなぁ。だから今回の事で頭に血が上っちまって。本当に済まなかった。」
「いいえ。大丈夫です。お気になさらないでください。素敵な親子で羨ましいです。飯田様の愛情はしっかり娘様に届いていたんですね。」
「そうかねぇ。ココア、冷めるから頂こうかね。」
「どうぞ。」
飯田様は少し照れたような表情でココアに手を伸ばした。
「旨いね。ホッとする味だ。貴方に話せて良かったよ。」
「私もお話を伺えて良かったです。」
「へへへっ。さぁて、そろそろ帰ろうかね。本当にありがとう。」
飯田様は駆け込んできた時とは別人のような柔らかな笑顔を見せてくれる。本当は穏やかな優しい人なのだろう。一緒に席をたち入り口までお見送りした。お見送りの際、目の端に北村君と坂下さんが話しているのが目に入った。私達に気付くと二人は走りよってきて深々と頭を下げた。
「飯田様、この度は申し訳ありませんでした。」
「いや、いいんだよ。こちらこそ申し訳なかったね。坂下さん、お忙しいところごめんよ。こちらのお姉さんに話を聞いてもらって気持ちも落ち着いたよ。本当にありがとう。」
「またお困りのことがあったらいつでもお越しください。」
坂下さんがそう告げると飯田様は穏やかな笑顔を浮かべて
「そうだね。何かあったらまた来るよ。そのときは宜しく頼むね。」
坂下さんではなく私の方に向き直り飯田様が言う。その姿を見て坂下さんの笑顔の表情がサッと翳っていく。横にいた木村君が軽く肘で小突くとひきつった笑顔を浮かべた。
「じゃぁ、これで失礼するよ。」
「本当に申し訳ありませんでした。」
3人でもう一度頭を下げると飯田様はひらひらと手を振り去っていった。その姿が見えなくなるまでお見送りをして社内に戻る。ふと、北村君が話し掛けてきた。
「桜井先輩、ありがとうございました。」
「いいえ。」
「あの、もしよろしければお詫びに僕と坂下と・・・。」
「気にしなくて大丈夫。私も忙しいからこれで。」
誘いを断ってそそくさとその場を離れた。とてもじゃないけれど誘いを受け入れる気分ではないし、その場で和やかな雰囲気を作り出す気持ちにもなれなかった。




