第七話 徒桜 (1)
第七話 徒桜
「違う。藍子、お主じゃ」
神主に指さされ、藍子は眉をひそめた。
「どうして私なんですか」
「先ほど、こやつが反応したのはお主が近づいたときじゃ」
「反応って……光っただけですよね?」
「それすら今までなかったのじゃ」
操縦席に座っていた琥珀が、何事もなかったように立ち上がる。
「交代」
「待って。私は乗るなんて言ってないから」
琥珀を乗せた昇降台が下りてくる。
床へ降りた直後、地下の広間が大きく揺れた。
天井から砂埃が降り、奥で鈍い音が響く。藍子はよろめき、琥珀の腕をつかんだ。
「今のは……?」
神主が操作盤へ目を走らせる。
「上の妖が、地下への入口を壊そうとしておる」
「だったら、ここから逃げないと」
「地上へ出る通路の先に、あやつがおる。今出れば鉢合わせじゃ」
再び衝撃が走った。
壁面の淡い光が明滅し、天井から落ちた小石が床を跳ねる。
「……どうして、ここまで追ってくるんですか」
「お主らの霊力に引かれたのか、ここにあるものを感じ取ったのか。今は分からん」
神主は《徒桜》を見上げた。
「じゃが、地下へ入らせるわけにはいかん」
藍子も青い機体へ目を向ける。
膝をついていても、見上げなければ顔が見えない。これを動かして、あの化け物を止めろというのか。
「無理です。乗り方どころか、これが何なのかも知らないんですよ」
「神機《徒桜》。妖と戦うための機体じゃ」
「名前を聞いてるんじゃありません。それに、妖って……?」
「上におる、あの化け物のことじゃ。詳しい話は後にせい。今は動くかどうかを確かめねばならん」
「動かなかったら?」
「危険でも、地上へ逃げるしかない」
神主は通路の方へ顔を向けた。
「そのためにも、入口を完全に潰される前に動かねばならん」
頭上から低い音が響く。
つかんでいた琥珀の腕を離した。琥珀は急かさず、ただ隣に立っている。
ここにいても、あの化け物は近づいてくる。
逃げる道も、安全ではない。
「……本当に、座るだけでいいんですね」
「まずは、それでよい」
納得したわけではない。
ほかにどうすればよいのか、思いつかなかった。
《徒桜》の足元にある昇降台へ乗る。
台が上がり始めると、思わず縁を握った。床が遠ざかり、神主と琥珀が小さくなっていく。
胸元で止まった台から、開かれた搭乗口をのぞき込む。
内部には座席と、見慣れない器具が並んでいた。何が何を動かすものなのか、一つも分からない。
恐る恐る乗り込み、座席へ腰を下ろした。
「これ、触って壊れたりしませんよね?」
「大勢乗せたが、壊れたことはない。誰が乗っても動かんかったがな」
「それを先に言ってください!」
声が狭い操縦席に響く。
そのとき、正面の操縦桿が淡く光った。
藍子は身を引いた。
「今、何か光りましたけど」
「触れてみよ」
「大丈夫なんですか?」
神主は機体を見上げたまま答えた。
「これまでとは違う。お主に応じておる」
広間が小さく揺れる。
操縦桿へ手を伸ばし、指先を触れさせた。
青い光が機体内部を駆け抜ける。
「え……?」
一つ、また一つと計器が灯った。何も映っていなかった正面に、広間の景色が浮かび上がる。
まだ、何も動かしていない。
それでも《徒桜》は、長い眠りから目覚めるようにゆっくりと顔を上げた。
瞳が青く輝く。
広間を満たした霊気に、神主が息をのんだ。
「ついに目覚めおったか――青龍」
「青龍……?」
藍子は開いた搭乗口から神主を見下ろした。
「これ、《徒桜》じゃなかったんですか?」
「《徒桜》は機体の名。その胸に納められておる霊核が、四神の一柱――青龍じゃ」
「霊核? 四神?」
「こやつを動かす、心臓のようなものと思えばよい」
操縦席の前面が閉じ始めた。
「え、ちょっと! 閉まってますけど!」
立ち上がろうとした身体を、座席の両脇からせり出した固定具が支えた。
腰を押さえられ、座席へ戻される。
搭乗口が閉じた。
一度暗くなった視界へ、再び広間の景色が映し出される。
表示面の中で、神主が琥珀を連れて壁際へ下がった。懐から取り出した木札に、淡い光が灯る。
『聞こえるか、藍子』
操縦席の脇から声がした。
「聞こえますけど……」
『管制用の通話符じゃ。このまま指示を出す』
固定具へ手をかけたが、外し方は分からなかった。
「それで、どうやって降りるんですか?」
『まずは《徒桜》を立たせよ。ここでは戦う場所がない。地上へ出ねばならん』
「立たせるって、どうやって?」
『両脇の操縦桿を握れ。足元の踏板と合わせて動かすのじゃ』
左右の操縦桿へ手を添える。
右足を踏板へ載せた瞬間、《徒桜》の片脚が勢いよく前へ出た。
「きゃっ!」
巨体が傾く。
反射的に両方の操縦桿を引くと、今度は上半身が大きく反れた。
『戻せ! ゆっくりじゃ!』
背中に迫った壁を見て、手が止まる。
「どれくらい……?」
『少しずつでよい。力を緩めよ』
息を吐き、握り込んでいた指をわずかに緩めた。
《徒桜》の上半身が戻る。
床へついた手で巨体を支え、揺れながらも立ち上がった。
「……立った」
正面の景色が高くなる。
壁際の二人は、先ほどよりずっと小さかった。
少し手を動かしただけで、これほど大きな身体が揺れる。
次も止められるだろうか。
床の振動が強まった。
巨大な扉が左右へ開き、その先に傾斜した通路が現れる。
『社殿裏へ通じる搬出路じゃ。祭壇の階段とは別に、機体はここから出す。そのまま前へ進め』
「待ってください。まだ、立っただけで……」
通路の先から、何かが地面を打つ音がした。
一度。
続けて、もう一度。
天井から土が落ち、出口を塞いでいた石造りの扉に亀裂が走る。
『入口がもたん。藍子、一歩ずつでよい。進め』
操縦桿を握り直した。
右の踏板を、今度は浅く踏み込む。
《徒桜》が一歩を踏み出した。
続けて左足。
左右へ揺れる機体を立て直しながら、薄暗い通路を上っていく。
『わしらも後から出る。お主が先に地上へ出て、あやつを入口から離すのじゃ』
「離すって……」
神主の指示は聞こえた。
けれど、歩くだけで精いっぱいなのに、どうやって怪異を動かせばいいのか分からなかった。
機体が通路を進む間、二人は後方に留まっていた。
出口へ近づくにつれ、雨音が聞こえ始める。
ひび割れた扉が外側から叩かれ、中央から崩れ落ちた。
冷たい雨が通路へ吹き込む。
その向こうに、黒い巨体がいた。
町で見たときには、地面へ届くほど長い腕を持つ、人に近い姿だった。
今は幾重もの殻に覆われ、四本の腕を境内へ突いている。地下の画面で見た姿が、目の前にあった。
《徒桜》と同じ高さに、濁った目がある。
藍子は踏板から足を浮かせた。
「これと、戦うんですか……」
『殻をまとって巨大化しておるが、動きをよく見よ』
見ろと言われても、どこを見ればいいのか分からない。
腕も、脚も、顔も、すべてがこちらへ向いていた。
『出口で止まるでない。通路を塞いでしまうぞ』
もう一度、踏板へ足を載せる。
《徒桜》が通路を上りきり、境内へ一歩踏み出した。
怪異の頭が持ち上がる。
『来るぞ、藍子!』
黒い巨体が地面を蹴った。
「速――」
言い終えるより早く、視界を四本の腕が覆う。
『右へ避けよ!』
「どうやって……!」
『右の操縦桿を引け! 足も使え!』
右手を強く引く。
《徒桜》の上半身だけが大きくねじれた。
脚がついてこない。
怪異の腕が横薙ぎに迫る。
咄嗟に顔をかばおうとして、操縦桿を握った両腕を引き上げた。《徒桜》も腕を交差させる。
激しい衝撃が走った。
「きゃあっ!」
出口脇の石壁へ肩をぶつけ、機体が片膝をつく。
身体が固定具へ押しつけられた。
視界が揺れ、いくつもの警告が点滅する。
息が止まっていた。
「あ、当たった……?」
『腕で受けた。藍子、前を見よ!』
声が聞こえても、すぐには顔を上げられなかった。
あの腕を受け止められなかったら、どうなっていたのか。
表示面の中で、怪異が四本の腕を地面へ突き立てた。
また来る。
操縦桿を握る指が震えた。逃げたいのに、立ち上がり方さえ思い出せない。
『踏板を押せ!』
声に追われるように踏み込む。
《徒桜》が立ち上がった。前へ倒れそうになり、慌てて操縦桿を引く。
視界が後ろへ流れた。
「止まって……!」
踏板から足を離しても間に合わず、背中が石壁へぶつかった。
前には怪異がいる。
後ろには壁がある。
どこへ逃げればいい。
『藍子! 操縦桿のことは一度忘れよ。自分ならどう避ける!』
意味を考える間もなく、怪異が跳びかかった。
藍子は息をのみ、迫る腕から左へ身を逃がそうとした。
握った手も、踏板に載せた足も動く。
《徒桜》の左脚が地面を踏みしめた。
巨体が半歩だけ横へずれる。
怪異の腕が肩をかすめ、背後の石壁を打ち砕いた。
破片が表示面を横切る。
まともに受けていたら、あの壁のようになっていたのか。
自分が身を引いた動きに、機体がついてきた。けれど、次も同じように動くか分からない。
『止まるな! 壁から離れよ!』
言われるまま踏板へ力を込めた。
機体がよろめきながら境内へ出る。
崩れた通路口が視界の端へ移った。その内側で、神主が琥珀を引き寄せて足を止める。
怪異が向きを変えた。
「どうすれば……」
『右手へ武器を呼べ!』
「武器……?」
『操縦桿を握ったまま、右手へ意識を向けよ!』
自分の右手を意識しても、操縦桿を握り締めている感触しか分からない。
怪異が身を低くした。
もう来ないで。
四本の腕が地面を押し、黒い巨体がこちらへ走り出す。
藍子は操縦桿を引きかけた。
あの腕が届かないところまで下がりたい。
けれど、視界の端に通路口があった。その奥には琥珀がいる。
ここへ下がったら、怪異も来てしまう。
引きかけた手を止めた。
重い足音が迫る。右手へ意識を向けても、何も起こらない。
『藍子!』
黒い腕が持ち上がった。
目を閉じそうになるのを堪え、操縦桿を握り直す。
何も持たないまま、あの腕を受けるのは嫌だった。
《徒桜》の右手へ、青い光が集まり始めた。
光が細長く伸び、手の中で形を結ぶ。
刃が生まれ、柄が伸びる。
現れたのは、機体の背丈にも迫る一振りの薙刀だった。
「出た……」
『構えよ!』
どう持てばいいのか。
振り上げられた腕が、視界を覆った。
藍子は無我夢中で操縦桿を横へ倒す。
《徒桜》が薙刀を薙いだ。
青い刃が胸元をかすめ、黒い殻の一部を弾き飛ばす。
怪異の巨体が揺らいだ。
止まった、と思った。
直後、四本の腕が薙刀の柄をつかむ。
「え……?」
操縦桿を引いても、戻らない。
『手放せ!』
握った指を緩めようとした。
けれど、この武器がなくなったら、次は何で防げばいい。
ためらう間に機体が前へ引かれる。
『藍子! 引き倒されるぞ!』
怪異が四本の腕を振り上げた。
《徒桜》の足が地面から浮く。
「うそ――!」
手放さなければ。
藍子は薙刀を離そうと、操縦桿を握り込んでいた指を緩めた。
《徒桜》の指が開き、柄が手を離れる。
機体は雨に濡れた境内へ倒れ込み、地面を滑った。
止まってからも、視界は揺れていた。
投げ出された薙刀が青い光へ戻り、雨の中へ消えていく。
「あ……武器が……」
『また呼べる! まず立つのじゃ!』
操縦桿を押す。
どちらの手をつけばいい。足はどう動かせばいい。
右手を地面へ伸ばしたが、濡れた土を滑った。
巨体が再び沈む。
身体が前へ振られ、固定具に腰を引き止められた。腹に力が入り、息が詰まる。
また、あの腕が来る。
顔を上げると、怪異はゆっくりと向きを変えていた。
倒れた《徒桜》ではなく、通路口を見ている。
その奥に、白い髪が見えた。
「待って……」
怪異が機体の脇を通り過ぎようとする。
立たなければ。
けれど、機体を起こせない。震える足で踏板を押しても、視界が揺れるだけだった。
怪異の脚が、目の前を通る。
「そっちへ行かないで!」
操縦桿を強く引いた。
《徒桜》の右手が伸びる。
指が後ろ脚をつかんだ。
怪異の動きが止まる。
濁った目が、こちらを向いた。
藍子は息をのんだ。
四本の腕が頭上にある。
操縦桿を握る指へ、さらに力が入った。
その顔から目を離せず、握り締めた手を緩められなかった。




