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神機巫女 -SHIKITSUNE-  作者: レイン
第一節 日常

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第四話 冬支度

第四話 冬支度


 調査員が東雲神社を訪れてから、三日が過ぎた。


 新しい足跡は見つからず、張り直した結界にも異常はない。

 近隣の野生動物の目撃情報も途絶えていた。


 山側の道は使えないままだが、町の暮らしは少しずつ元へ戻り始めている。


 休日の朝、藍子は母屋の縁側で障子を外していた。


「琥珀、そっちを持ってくれる?」


「ん」


 反対側を持ってもらい、境内に用意した作業台へ運ぶ。


 十一月も残りわずか。寒くなる前に、傷んだ紙を張り替えておきたかった。


 母からは、作業中も林には近づかないよう言われている。二人は縁側の前に障子を並べた。


「水を持ってきて。桶に半分くらいでいいから」


 琥珀は母屋の裏へ向かった。


 戻ってきた桶には、縁近くまで水が入っている。


「重くなかった?」


「重かった」


「半分って言ったよね?」


「多い方が困らないと思った」


「持ってくる方は困るでしょ……」


 桶を下ろすと、二人で古い障子紙を濡らした。


 藍子が端から剥がしている隣で、大きな音がする。


 琥珀が一枚分をまとめて引っ張っていた。


「桟(さん)、傷ついてない?」


「大丈夫」


 剥がした紙の向こうに、木枠が見えた。


 確かに、傷はない。


「……それ、早いね」


「ん」


 琥珀は紙を畳み、次の一枚へ移った。


 古い紙を剥がし終える頃、母が縁側へ茶と饅頭を運んできた。


「二人とも、少し休憩にしましょう」


「ありがとう、お母さん」


 腰を下ろすと、温かい湯呑みが手に心地よかった。


 琥珀も饅頭を一つ取り、空いた手を膝の上で開いたり閉じたりしている。


「まだ貼る方が残ってるからね」


「ん。食べたらやる」


 藍子も饅頭を手に取った。


     ◇


 新しい紙を広げ、桟へ糊(のり)を塗る。


「琥珀、そっちを持ってて。下ろすのは、私が合図してから――」


 紙の端が木枠へ触れた。


「あっ」


「貼れた」


「曲がってる!」


 慌てて浮かせ、位置を戻す。


「まだこっち、塗り終わってないから」


「早く言って」


「今、言ってたの!」


 今度は二人で端を持ち、声を合わせて下ろした。


 紙が桟へまっすぐ重なる。


「よし。これなら大丈夫」


 琥珀は出来上がった一枚を眺め、次の紙を広げた。


「今度は待つ」


「そうしてくれると助かる」


 昼前には、すべて張り終えた。


 乾くまで触らないように並べ、道具を片づける。縁側へ戻ると、母屋から昼食の匂いが漂ってきた。


「午後は買い物ね」


「まだあるの?」


「炭と灯油を頼んで、食材も買うの」


「冬、忙しい」


「今やっておけば、寒くなってから困らないでしょ」


 琥珀は袖へ手を引っ込めた。


「それは困る」


     ◇


 昼食を終え、二人は表の道から商店街へ向かった。


 よく晴れているが、風は冷たい。マフラーを巻き直しても、指先までは温まらなかった。


「琥珀、寒くない?」


「少し」


「手袋を持ってくればよかったね」


「藍子も、手が赤い」


 指先を見下ろす。


「帰りは荷物を持つから、ポケットにも入れられないね」


「早く買おう」


 商店街には買い物客が行き交っていた。


 野生動物の注意看板は残っている。けれど、その前でも店員が声を張り、客を呼び込んでいた。


 燃料店で炭と灯油の配達を頼み、米や味噌も買う。最後に八百屋へ寄ると、店先に大根が並んでいた。


「こっちと、こっちかな」


 二本を持ち比べる。


 琥珀が袋を広げて待っていた。


「決まった?」


「うん。こっち」


 選んだ大根を入れ、長ねぎや白菜も買い足す。


 袋を受け取ろうとすると、琥珀が片方を持った。


「じゃあ、私はこっちね」


「ん」


 二人で店を出たところで、甘い匂いが漂ってきた。


 向かいの和菓子屋で、たい焼きを焼いている。


 藍子の足が止まった。


「食べたい?」


「ちょっとだけ。でも、頼まれた物じゃないから」


「自分のお金ならいい」


 財布を開き、自分の小銭を確かめる。


「……一つずつ食べていこうか。お母さんの分も買って帰ろう」


「ん」


 三つ買い、持ち帰る一つを袋の上へ置いた。


 店先の腰掛けに並んで座る。紙袋越しにも温かく、藍子はしばらく両手で包んでいた。


「食べないの?」


「もうちょっと、手を温めてから」


 隣では、琥珀が頭からかじっている。


 藍子も端を一口食べた。薄い皮の中から、熱いあんこが出てくる。


「おいしい……」


「ん」


 買い物のメモを畳み、鞄へしまった。


 帰ったら片づけがある。それでも、たい焼き一つを食べ終えるまでは、ここに座っていたかった。


 琥珀は先に食べ終えていたが、立ち上がらずに待っている。


「ごめん、遅い?」


「熱いから、ゆっくりでいい」


 藍子はもう一口、小さくかじった。


 食べ終える頃には、店先の影が長くなっていた。


「そろそろ帰ろうか」


「ん」


     ◇


 神社へ着く頃には、空が茜色(あかねいろ)に染まっていた。


「ただいま」


「ただいま」


 母屋の引き戸が開く。


「おかえりなさい。炭と灯油は届いているわよ」


「早かったね」


 袋を台所へ運び、中身を出す。


 大根、長ねぎ、白菜、こんにゃく、卵。


「今夜はおでん?」


 琥珀が尋ねる。


「今から煮て、明日の夕食にしましょう。今日は炊き込みご飯よ」


「じゃあ、明日も楽しみ」


 母が鍋を出す間に、藍子はたい焼きの包みを渡した。


「これはお母さんに。帰りに食べてきたの」


「あら、ありがとう」


「まだ温かい?」


「少しね。夕食のあとで、三人で分けましょう」


 琥珀は包みを見たが、手は伸ばさなかった。


 買った品をしまい終えると、母が物置を指した。


「二人でこたつ布団を出してくれる? 明日、干しておきたいの」


「分かった」


 物置には、座布団や行李(こうり)が積まれていた。


 電灯をつけ、藍子が棚を見上げる。布団は奥にあり、手前の箱を動かさなければ届かない。


「踏み台を持ってくるね」


 戻ると、箱が床へ下ろされていた。


 琥珀が布団の端を持っている。


「こっち、お願い」


「うん。せーので引こう」


 二人で引っ張ると、埃(ほこり)が舞った。


 藍子は顔を背けてくしゃみをする。


「……やっぱり、干してからだね」


「今日は使えない?」


「このまま入ったら、二人ともくしゃみが止まらなくなるよ」


 琥珀は布団を見下ろし、持ち直した。


「じゃあ、廊下」


 二人で運び出し、物置の戸を閉めた。


     ◇


 夕食には炊き込みご飯と味噌汁、焼いた鶏肉と根菜の煮物が並んだ。


 台所では、おでんが弱火にかけられている。


「いただきます」


 三人で箸を取った。


 琥珀はご飯を一口食べ、母へ顔を向ける。


「おかわり、お願い」


「まず、今の分を食べてからね」


「先に頼んでおく」


「はいはい。残しておきます」


 母の返事を聞き、琥珀は茶碗へ目を戻した。


 食事を終えると、たい焼きを温め直して三つに切った。


 店先では丸ごと一つ食べたのに、藍子ももう一度食べたくなっていた。


「お母さんの分だったのに、いいの?」


「一人で食べるより、三人の方がいいでしょう」


 皿を受け取り、温かいうちに口へ運ぶ。


 隣では、琥珀も黙って食べていた。


 片づけを終え、こたつ布団を縁側近くの物干し台まで運んだ。翌朝、すぐに干せるようにしておく。


 居間へ戻ると、母が買い物のメモを確かめていた。


「足りないものはなさそう?」


「ええ。これで急に雪が降っても困らないわ」


「十一月に雪なんて、めったにないけどね」


「備えておくに越したことはないでしょう?」


 藍子は頷き、空になった買い物袋を畳んだ。


 琥珀は座布団へ座り、冷えた足先を引っ込めている。


「明日は、こたつに入れる?」


「晴れて、布団が乾いたらね」


「晴れてほしい」


「私も」


 琥珀の視線が、台所のおでんの鍋へ移った。


「蓋を開けたら駄目だよ」


「見てるだけ」


「味見もしないでね」


「ん」


 やがて母屋の灯りが一つずつ消え、東雲神社は静かな夜に包まれた。


 明日は晴れたら布団を干し、こたつを出す。


 夕食には、味の染みたおでんが待っている。


 境内を冷たい風が通り抜け、軒下に積まれた落ち葉を小さく揺らしていった。

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