第三十話 求められる力
第三十話 求められる力
河川敷の《朧》を、そのまま倉庫跡へ回すことはできないと判明してから、三分後。
陰陽連盟の管轄支部から連絡が入った。
『支部長の伊達です。増援について、確認できた範囲を報告します』
声は落ち着いていたが、背後では複数の通信が飛び交っている。
『直ちに倉庫跡へ送れる神機はありません。隣接する二支部の《朧》も、別の現場へ出ています』
「河川敷の機体はどうじゃ?」
『左腕と肩の駆動部に異常が出ています。仮設陣から帰還させ、点検と応急修理を行いますが、再出撃まで少なくとも四十五分は必要です』
そこから倉庫跡への接続にも時間がかかる。順調に進んでも、到着は一時間ほど先になるという。
『ほかの支部から回しても、それより早くはなりません。河川敷の機体を再出撃させる準備は、このまま進めます』
「倉庫跡の状況は?」
『出現した五体のうち、四体はすでに祓いました。残る一体が妖殻化し、現地の四人小隊が敷地内へ封じています。周辺住民の避難も、間もなく完了します』
琥珀が河川敷の《朧》を示す印を、支部へ戻る欄へ移した。
その横に、倉庫跡への到着見込み――最短一時間、と書き加える。
『受入陣の構築班二名も、倉庫跡へ向かわせました。到着まで十分ほどです。
現地の資材置き場を使えれば、浄化と陣の構築に二十分を見込んでいます』
陣が完成しても、接続には十五分かかる。
今すぐ送れる機体さえあれば、四十五分後には倉庫跡へ届く計算だった。
「現地の結界は、どれほど持つ?」
『怪異が今の位置に留まっていれば、一時間ほどは。ただし、妖殻はまだ厚くなっています』
答えが届いた直後、別の回線から鋭い呼び出し音が鳴った。
『支部長、倉庫跡から緊急報告です』
伊達が現地へつなぐよう命じる。
『対象が移動を始めました。敷地の東側へ向かっています』
『受入陣の予定地までの距離は?』
『およそ百五十メートルです。現在の結界では、進行を遅らせるだけで精いっぱいです』
机の地図には、倉庫跡の東側に広い資材置き場が記されていた。
周囲に建物が少なく、神機を招来できるだけの空間がある。
そこを怪異に踏み荒らされれば、構築班が到着しても受入陣を組めない。
さらに東には、住民の避難に使われている県道が通っていた。
『現地班、東側の結界を補強しろ。南をわずかに開け、空き倉庫のある方角へ進路をそらせ』
『結界の位置を変えるには、四人全員が必要です』
『構わん。資材置き場と県道側を守れ。討滅しようとするな。
進路を変えられない場合に備え、退路も確保しておけ』
『承知しました』
地図の上で、四人の位置を示す印が東側へ集められた。
通信具から結界杭を打ち直す音が続けて届く。
『東側の補強を開始。南側の結界を緩めます』
間もなく、低い唸りが通信へ混じった。
『対象、南へ向きを変えました』
『そのまま誘導を続けろ』
『待ってください。止まりました』
激しい衝撃音が響く。
『東側の結界へ妖気を叩きつけています!』
『札を一か所へ集めるな。間隔を広げて受け流せ』
『やっています。ですが――三枚、焼き切れました!』
通信の向こうで、新しい護符を求める声が飛ぶ。
怪異は南へ進まず、東側の結界を破ろうとしているらしい。
『進路は変えられません。資材置き場まで、残り百メートルを切りました』
最初の報告から、まもなく十分が過ぎようとしていた。
四人は焼き切れた札を張り替えながら、東側の結界を支え続けている。
唸りと衝撃音が繰り返されるたび、怪異の印が少しずつ資材置き場へ近づいていった。
『東側を維持できる時間は?』
『今の攻撃が続けば、四十分ほどです』
伊達が短く息を吐く。
『構築班は?』
『倉庫跡の北門へ到着しました』
『予定地へ入れ。現地班が東側を押さえている間に、受入陣を組み上げろ』
『承知しました。浄化から開始します』
北門から入った二人の印が、地図上の資材置き場へ移された。
現地の四人が結界を支える背後で、到着した二人が作業に入る。
琥珀が現在の時刻を確かめた。
「受入陣に二十分。接続に十五分」
「結界は、あと四十分ほどじゃな」
琥珀は、陣の完成から十五分後の時刻へ丸をつけた。その隣にある派遣機の欄は、まだ空白だった。
藍子の視線が、玄斎の前に置かれた通信具へ向かう。
地下格納庫では、《徒桜》の母陣に接続のための術式が整えられている。
まだ自分へ向けられた言葉はない。
それでも、ほかの神機が間に合わないと知った今、その存在を意識せずにはいられなかった。
『玄斎殿』
「なんじゃ」
『《徒桜》の出撃について、協議をお願いしたい』
伊達は機体の名をはっきりと告げた。
『受入陣が完成した時点で、接続先を四季狐大社の母陣に変更できます。
こちらでは共同接続を許可します』
「本来なら、《朧》一機で対処できる相手じゃぞ」
『承知しています。しかし、間に合う神機がほかにありません。
求めるのは討滅ではなく、《朧》へ引き継ぐまで怪異を倉庫跡に留めることです』
「どれほど待たせるつもりじゃ?」
『今の到着見込みの差は、十五分ほどです。ただし、《朧》の修理が延びれば変わります。
再出撃の見込みは、その都度お伝えします』
「戦闘を続けられぬ場合は?」
『招来に使った経路を、帰還のために維持します。
《徒桜》の帰還を確認したあと、陣の担当者も撤収させます』
「現場の指揮は?」
『現地部隊と《徒桜》の配置、連携は陰陽連盟が指揮します。出撃の承認は大社にお任せします。
交戦中も、そちらが継続困難と判断した場合は、引き継ぎを待たず帰還させる前提です』
「出撃させぬ場合は?」
『現地の六人を退かせます。住民の避難は完了しました。
警察へ県道の封鎖を依頼し、怪異は距離を取って監視します』
藍子は地図に記された県道へ目を落とした。
怪異が倉庫跡を出れば、周囲の建物や道路まで無事に済むとは限らない。
それでも、現地の者たちを残してまで受入陣を守らせるつもりはないらしい。
倉庫跡から、声が割り込んだ。
『東側の結界札が二枚、焼き切れました! 対象は資材置き場まで約七十メートルです』
『構築状況は?』
伊達がすぐに応じる。
『浄化を終え、外周の四割を固定しました。今、北側から回り込んでいます』
『怪異が再び動きます!』
通信具から衝撃音が響いた。
『東側の結界、押されています!』
『破られた場合は資材置き場の手前まで下がり、そこで張り直せ。構築班は作業を続けろ』
『承知しました!』
慌ただしい声の奥で、結界杭を打つ音と基材を組む音が重なる。
玄斎は地図を見たまま口を開いた。
「要請は、正式に出すのじゃな?」
『はい。管轄支部長・伊達の名で、四季狐大社へ《徒桜》の出撃を要請します』
「受け取った。出撃の可否は、こちらから返答する。それまでは《徒桜》が来る前提で動くでないぞ」
『承知しました』
「現地の報告は、このまま聞かせてくれ」
通信を担当する奉術衆が協議回線を保留へ切り替え、倉庫跡からの通信だけを残した。
◇
玄斎が藍子へ向き直る。
「《徒桜》への出撃要請が来た。今の見込みなら、《朧》より先に倉庫跡へ送れる」
「間に合うんですね」
「陣と結界が、このまま保てばな」
玄斎は、怪異の印と資材置き場の間へ指を置いた。
「お主に受け持ってもらうのは、ここじゃ。陣と県道へ向かう進路を塞ぐ」
近くに描かれた倉庫を指す。
「調整池より狭い。怪異だけを見て動けば、《徒桜》が受入陣を壊すこともある。
稽古で学んだ霊力の流れも、神機の中で試したことはない」
藍子は地図を見つめた。
怪異の印と、その後ろにある陣の予定地。
近くに残る倉庫と、東へ続く県道。
調整池では、目の前の怪異に対処するだけで精いっぱいだった。
今度は、その周囲にも守らなければならないものがある。
柄へ霊力を通しすぎた時の、揺れる青い光を思い出す。
自分が《徒桜》を動かしても、同じように加減を誤るかもしれない。
「私が行った場合、現地の人たちは残るんですか?」
「陣が完成するまでは六人とも残る。接続に入れば、構築班の一人を西へ下げる。
《徒桜》が到着するまで小隊が怪異を食い止め、そのあとは陣を維持する一人だけを残す予定じゃ」
「私が押し留められなかったら、その人まで……」
「危険にさらされる。怪異が陣へ近づく前に、帰還を判断せねばならん」
玄斎は、資材置き場から西へ抜ける道を示した。
「その者の退路も用意する。じゃが、逃げ道があるから危険がない、というわけではないぞ」
「はい」
胸の奥がわずかに緩んだ。
全員が、機体と一緒に怪異の前へ残るわけではない。
それでも、陣にいる一人を守ることは、自分の役目になる。
『受入陣の外周、固定を完了しました。これより内部の霊力経路を結びます』
通信具から報告が届いた。
琥珀が記録用紙の時刻を書き直す。
「完成まで、あと十五分」
玄斎は藍子の返事を待った。
指先が、制服の裾をつまむ。
怖い。
その気持ちは、もう分かっていた。
けれど、だから乗らないのか。それでも乗るのか。そこから先へ進めない。
「ほかに、聞いておきたいことはあるか?」
玄斎が尋ねた。
「……少し、考えてもいいですか」
「うむ。ただし、現地の状況が変われば、お主の返事を待たず撤収を求める。
答えが出るまで、あの六人を残し続けるつもりはない」
「分かりました」
地図の先には県道がある。
このまま怪異を見送ってよいとも思えなかった。
隣では、琥珀が記録を続けている。一度だけ藍子を見たが、何も言わずに視線を用紙へ戻した。
減っていく結界札の数。
近づく怪異の位置。
少しずつ進む受入陣の作業。
派遣機の欄だけは、空白のままだった。
倉庫跡から、激しい衝撃音が届く。
『東側の結界が破られました! 予定していた位置まで下がります!』
玄斎が現地の通信へ顔を向けた。
「怪異は?」
『資材置き場へ向かっています。距離は五十メートルを切りました』
「陣の完成まで、あとどれほどじゃ?」
『十二分ほどです』
その後に、接続の十五分が必要になる。
「次の位置で結界を張り直せば、どれほど保てる?」
『十分も厳しいかと。張り直す札へも、すぐに妖気を叩きつけてきます。こちらの霊力も減っています』
社務所の誰も口を開かなかった。
陣が完成するより先に、張り直した結界が破られる。
たとえ構築を終えても、接続を維持する者を守れない。
「伊達との回線を戻せ」
奉術衆が保留を解除する。
「聞いたとおりじゃ。こちらから送るまで、まだ二十七分は要る。
構築を中止し、六人を退かせるべきじゃろう」
『同意します。現地班、構築を中止。構築班は直ちに西側へ退避しろ。
小隊は二人の退路を確保したあと、順次撤収せよ』
『了解しました!』
通信の向こうで、基材を打ち込む音が止まった。
「待ってください」
藍子の声に、玄斎が振り向く。
「私、まだ……」
「今からでは送れん。陣を完成させても、接続を維持する者を残せぬ」
伊達からも返答が届く。
『《徒桜》への出撃要請を取り下げます。現地の六人は、こちらで撤収させます』
しばらくして、倉庫跡から新たな報告が入った。
『構築班、小隊ともに撤収経路へ入りました。怪異は資材置き場へ向かっています』
通信具から、撤収を急ぐ足音が聞こえる。
藍子は答えを口にできないまま、その音を聞いていた。




