第二十五話 冬休みの呼び出し
第二十五話 冬休みの呼び出し
翌朝、藍子が居間へ入ると、テレビから聞き覚えのある地名が流れていた。
『昨夜、県内の河川敷で遊歩道の一部が崩れ、現在も周辺への立ち入りが規制されています』
黄色い規制線と、土の露出した地面が映る。
昨日、大社へ報告が届いた五地点のうちの一つだった。
「これ……」
「昨日の場所」
こたつに入っていた琥珀が、画面を見たまま答えた。
ニュースは、港近くの倉庫で起きた設備事故へ移る。
こちらも昨夜、壁の一部と荷物が壊れたという。怪我人はいなかった。
母が朝食を運び、向かいへ座る。
「大社から連絡は?」
藍子が尋ねた。
「夜の間に二度あったわ。玄斎様たちは、陰陽連盟と記録を照合しているそうよ」
「怪異が出たんですか?」
「河川敷では、まだ姿を確認できていないわ。倉庫は術者が周囲を調べているところだそうです」
「事故だけ起きたのかな」
「今は、そこも分からないの」
テレビの音量が少し下げられた。
「今日は、まず家で待っていてね。大社も調査で慌ただしくなっているから」
「稽古も休み?」
「午前中は来なくてよい、と連絡があったわ」
「なら、宿題」
琥珀がこちらを見る。
「どうして私に言うの?」
「教えて」
「まず、自分でやる約束だったよね?」
「分からないところがある」
「今日の分、まだ開いてないでしょう」
「全部」
「それは分からないところじゃなくて、やってないところだよ」
冬休み二日目の午前中は、課題を進めることになった。
◇
十時を過ぎた頃、居間の電話が鳴った。
母が受話器を取る。
「承知しました。二人にも伝えます」
通話を終え、机へ戻ってきた。
「午後から大社へ来てほしいそうよ。
新しい観測結果と、昨日の実地について、確認したいことがあるそうです」
「戦いに行くんですか?」
「いいえ。大社で話を聞くための呼び出しよ」
琥珀が課題を閉じた。
「準備する」
「午後からだよ。それまで続けようね」
「もう始めた」
「そのページ、名前しか書いてないでしょう」
「空白じゃない」
「問題の方も、空白を減らそうね」
冊子が再び開かれた。
藍子も自分の問題へ目を戻す。
テレビでは、事故の原因を調査していると繰り返していた。
昨日は弱い反応しか見つかっていなかった場所で、何かが起きている。
同じ行を二度読んでから、ようやく鉛筆を動かした。
◇
午後の社務所には、大きな地図が広げられていた。
昨日は五つだった印が、十二へ増えている。
「一晩で、こんなに?」
「新しく流れ込んだ場所ばかりではないぞ」
玄斎が、地図の横に置いた記録を示す。
「観測範囲を広げたことで、以前から薄く残っていた妖気も見つかった。
いつ入ったものか分からぬ地点も含まれておる」
「全部の場所で、怪異が?」
「姿を確認したのは二地点じゃ。それぞれ一体を祓った。
別の二地点では、怪異のものと見られる痕跡を調べておる」
印は県内だけでなく、周辺の地域にも散らばっていた。
河川敷や山林のほか、住宅地に近い場所もある。
「前みたいに、水脈を追う?」
琥珀が尋ねる。
「水脈を通った形跡を確認できぬ場所も多い。以前の経路とつながるかも、まだ分からん」
「昨日の五か所も?」
「うむ。時刻や測定値の一部は似ておるが、それだけで同じ流れとは決められぬ」
新しい報告書が置かれる。
「ただ、器物に残る妖気について、気になる結果が出た」
「器物?」
「倉庫の荷物じゃ。最初は表面に薄く残っていたものが、夜の再調査では内側にも見つかった。
その間に、周囲の反応も強まっておる」
「物へ染み込んだんですか?」
「そう見られておる。もともとあった澱みへ、外から来た妖気が重なった可能性もある」
玄斎は、測定した順に紙を並べた。
「別の地点にも似た例がある。じゃが、同じ仕組みかどうかは、現地の状態と合わせて調べる必要がある」
「放っておいたら、怪異になる?」
「その危険も考えて、近くの者に確認してもらう」
藍子は地図へ目を戻した。
以前の水路では、波が見つからなくなった。
それでも、別の場所で測った妖気は、弱いままとは限らなかった。
◇
「十二か所すべてへ、奉術衆を向かわせるんですか?」
「四季狐大社だけでは足りん。県外は現地の連盟へ調査を頼み、こちらは県内を中心に担当する」
玄斎が四つの印を指す。
「奉術衆を二班に分ける。市街地に近いところは、連盟の小隊にも協力を求めておる」
「私たちは?」
「今日は現場へ出さん」
答えはすぐに返った。
藍子は、膝の上へ置いた手を見る。
昨日の薙刀の感触は、まだ覚えていた。
「昨日みたいに、私たちも誘導するのかと思っていました」
「昨日は、相手と退路を確かめたうえで行った稽古じゃ。
今度は何が起きているかを調べる仕事になる」
「まだ、できない?」
琥珀が尋ねる。
「経験も足りん。何より、通常の怪異へ対処するための者がいる。
お主らを各地の戦力として数えてはおらんぞ」
少し息を吐いた。
反応が増えたと聞いた時、また《徒桜》が必要になるのではないかと思っていた。
今すぐ、その話をされるわけではなかった。
玄斎が地図を脇へ寄せる。
資材置き場の記録が、机の中央へ置かれた。
「まずは昨日のことじゃ。実物を相手にして、どうじゃった?」
「怖かったです」
藍子は正直に答えた。
「木偶と違って、どこへ動くか分かりませんでした。妖気を飛ばしてくるとも思っていなくて」
「動けた理由は?」
「奉術衆の皆さんと、玄斎様が近くにいると分かっていたからです。
一人だったら、同じようにはできなかったと思います」
「その違いを覚えておくのじゃ」
次に、琥珀へ顔が向く。
「お主は?」
「札が一枚、壊れた」
「そこから始めるか」
「でも、止められた」
「ほかには?」
少し考えたあと、こちらを見た。
「藍子も止まった」
「私?」
「妖気を崩したあと」
黒い塊へ薙刀が触れた時を思い出す。
自分の力が通じたことに気を取られ、怪異から意識が外れていた。
「確かに……琥珀が呼んでくれたね」
「まだ動いてた」
「うん。次も見なければいけなかった」
玄斎が記録へ書き加える。
「一つできても、相手が待つわけではない。じゃが、藍子が気づかなかったところを琥珀が補った。
そこは稽古の成果じゃな」
琥珀が袋から、破れた札を出した。
「これは、書き方を変える」
「どこを?」
藍子が尋ねる。
「ここ。力が集まりすぎたかもしれない」
「確かめてからにしようね」
玄斎が手を差し出す。
「まずは見せよ。昨日の記録と合わせる」
「玄爺も見る?」
「そのために手を出しておる」
札が渡されたところで、通信具が鳴った。
玄斎が応答する。
「場所は?」
報告を聞き、地図の一つへ印を添えた。
県内にある、古い保管庫だった。
「怪異が見つかったんですか?」
「姿はまだない。じゃが、内部の妖気が急に強まったそうじゃ」
「どれくらい?」
「昨日の個体が宿していた量の、三倍ほどと報告されておる」
玄斎は奉術衆へ向き直る。
「近くの班へ連絡せよ。周囲を封鎖し、器物の状態も確かめる。
融合や急な変化があれば、すぐ知らせるのじゃ」
◇
保管庫へは、巡回中の奉術衆が向かうことになった。
藍子と琥珀は社務所に残り、報告を場所ごとに分ける。
観測担当と、現地へ向かった者では、記録の形式が違っていた。
「これは河川敷。こっちは倉庫だね」
「河川敷、続きがある」
「夜の測定かな」
別の束から紙を探す。
観測記録のほかに、事故の時刻を確かめた報告も届いていた。
「これ?」
「ん」
琥珀が横へ並べる。
最初の弱い反応は、昨日の朝。
五地点とも、数分の幅に収まっている。
その後の妖気の強まりは、場所によって時刻が違っていた。
「河川敷、夜にまた上がった」
「二十時十二分だね」
藍子が次の紙を読む。
「遊歩道が崩れたのは、二十時三十六分。監視映像で確かめたそうだよ」
「二十四分」
琥珀が余白へ書く。
「倉庫は?」
「上がったのが二十一時三分。警備員が大きな音を聞いたのは、二十一時二十七分頃」
「こっちも」
筆が止まった。
「何が?」
「二十四分くらい」
藍子も二枚を見比べる。
妖気が強まってから、事故が起きるまで。
確かに、近い長さだった。
「倉庫は、頃って書いてあるね」
「ぴったりとは言えない」
「ほかも見てみようか」
山林の記録には、怪異の足跡を見つけた時刻があった。
「これは二十三分あと」
「でも、足跡がついたのは、その前かもしれないよ」
「見つけた時間」
「うん。現れた時間とは分けよう」
琥珀が別の欄へ移す。
採石場の痕跡も、発見した時刻しか分からなかった。
市街地の地下設備には、妖気の上昇と、異音を検知した装置の記録がある。
「上がってから、二十三分から二十五分の間に音が出てる」
「これも近い」
三地点の紙が並んだ。
残る二地点は、その横へ分けられる。
「前の波も、二十四分くらい」
「来る間隔と、強まってから何か起きるまでの時間が、似てるんだね」
藍子は机の奥を見る。
玄斎は通信を終え、戻ってくるところだった。
「玄斎様。この時間差、見てもらえますか?」
琥珀が三地点の記録を示す。
玄斎は時刻と、何を確認した記録なのかを順に読んだ。
「近いな」
「ほかの二つは、見つけた時間」
「分けたのはよい。これだけでは仕組みまでは分からんが、警戒する理由にはなる」
保管庫の報告が引き寄せられた。
「ここで強まったのは?」
「十三時十八分頃です」
藍子が答える。
壁の時計は、十三時三十五分を指していた。
同じくらいの時間がかかるなら、早い例まで、あと五分ほどだった。
玄斎が通信具を取る。
「保管庫の班へつなげ」
数度の呼び出し音のあと、声が返った。
『現地班です。外周の確認を進めています』
「内部にいる者は?」
『二名が入口付近で、器物を調べています』
「全員を外へ出せ。ほかの地点で、妖気の上昇から二十四分前後に異変が起きた例がある」
通信の向こうが、一瞬静かになった。
『こちらも、同じ変化が起きる可能性があると?』
「まだ仮説じゃ。だが、今は距離を取って備える。強まり方が変われば、時刻を待たずに知らせよ」
『承知しました。退避させます』
仲間を呼ぶ声と、足音が聞こえた。
琥珀が時計へ目を向ける。
藍子も、保管庫の報告を見直した。
事故が起きると決まったわけではない。
それでも、建物の中にいる者へ、先に知らせることはできた。
◇
「全員、建物の外へ出ました」
通信を担当する奉術衆が告げる。
「距離を取り、周囲の結界を確かめています」
「その位置で観測を続けよ。狭い場所へ戻るでないぞ」
指示が伝えられる。
風が壁を鳴らす音。
配置を確かめ合う声。
札を置くために走る足音。
社務所では、誰も長く話さなかった。
十三時三十八分。
保管庫に大きな変化はない。
藍子は、三地点の記録を見る。
「二十三分より早いことも、あるかもしれませんよね」
「うむ。現地にも、そのつもりで見てもらっておる」
玄斎は通信具のそばを離れない。
時計の針が進む。
十三時四十分を過ぎた。
琥珀が記録用紙へ、経過した時間を書き足す。
藍子は膝の上で手を握った。
現地の様子は見えない。
通信から聞こえる声が、唯一の手がかりだった。
『内部の反応が強まっています』
報告が入った。
「全員、距離を保て。出てくるものを確認してから対応するのじゃ」
十三時四十一分台に入った頃、大きな音が響いた。
何かが倒れ、金属同士がぶつかり合う。
『保管庫内部で異変。入口付近の棚が倒れました。妖気が噴き出しています』
「負傷者は?」
『いません。全員、外へ退避しています』
握っていた手を緩めた。
入口付近では、つい先ほどまで二人が調べていた。
退避の連絡は、間に合っていた。
「怪異は見えるか?」
『棚の下で何かが動いています。まだ形は確認できません』
「結界を維持せよ。建物へ入る必要はない」
祝詞と、現地の者が位置を伝え合う声が続く。
やがて、棚を押しのける鈍い音がした。
『怪異を確認。魑魅魍魎級と見られます。周囲の器物から妖気が集まっています』
「妖殻化や融合の兆候は?」
『今のところありません』
「流入を抑え、建物から引き離せ。現地で配置を決めるのじゃ」
『承知しました』
その後は、短い報告が途切れながら届いた。
入口の脇を塞ぐ。
怪異が外へ向いた。
開けた場所で拘束する。
藍子は、昨日の資材置き場を思い出していた。
逃げ道を狭め、札で止める。
今、現地では誰かがそれを行っている。
『拘束しました。祓いに移ります』
しばらくして、反応消失の報告が入った。
霊核も残っていないという。
「周囲の器物は?」
『反応は低下しています。残留妖気の採取と、流入が続いていないかの確認を行います』
「建物の安全が分かるまで、中へ戻るでないぞ」
『承知しました』
通信が一度切れる。
社務所の空気が、少し緩んだ。
「間に合った……」
「ん」
琥珀が時刻を書き込む。
「二十四分くらい」
「現地の記録が届いたら、上昇した時刻と合わせよう」
玄斎が紙を見た。
「よく気づいた。先に距離を取れたことは、役に立ったぞ」
「同じくらいだったから」
「それを見つけるために、何の時刻かも確かめておったな」
琥珀は三地点の紙へ目を戻した。
「次も?」
「同じとは限らん。早く起きる例も、何も起きぬ例もあるかもしれぬ」
「でも、警戒する」
「うむ。次に確かめるべきものが増えた」
玄斎は、時間差と退避の結果を各地へ共有するよう伝えた。
藍子は隣の横顔を見る。
琥珀は怪異を直接止めていない。
それでも、比べた記録が、現地の者を建物の外へ動かしていた。
◇
午後のうちに、別の二地点で妖気の上昇が報告された。
一つは山道の休憩所。
もう一つは、市街地から離れた廃工場だった。
玄斎は、上昇を確認した時点で周囲の立ち入りを止めるよう伝える。
現地班も、狭い場所へ入らずに観測を続けた。
藍子が報告をそろえ、琥珀が時刻を分けて書く。
山道では、上昇から約二十三分後に、休憩所の裏から怪異が現れた。
現地班がこれを祓い、周辺の確認へ移った。
廃工場では約二十五分後、器物の周囲に集まっていた妖気が急に濃くなった。
待機していた小隊が術を重ねる。
形がまとまる前に散らすことができ、どちらの現場にも負傷者はいなかった。
「近いけど、同じじゃない」
琥珀が新しい記録を並べる。
「山道は早い。工場は遅い」
「測り始めた時点も確かめよう。最初の弱い反応と、急に強まった時刻を混ぜては比べられんからの」
玄斎が二枚の報告を指す。
「現地の記録を残し、同じところを起点にして揃えるのじゃ」
藍子は表へ目を落とした。
「二十四分まで待ってから逃げるのでは、遅いですね」
「うむ。上昇を確認したら、退避を始める」
「二十分より前に、離れる」
琥珀が欄へ線を引いた。
「ひとまずの目標はそれでよい。ただし、それまでは安全という意味ではない。
変化があれば、時刻を待たずに退くのじゃ」
表には、上昇を確認した時刻と、退避を終えた時刻が加わった。
異変の発生と、あとから痕跡を見つけた時刻も、別々の欄になる。
玄斎が確かめ、観測担当へ渡した。
「今後は、この分け方で記録してもらう」
男は表を受け取り、届いたばかりの報告を開いた。
日が傾く頃には、机の上の紙が場所ごとに束ねられていた。
「今日はここまでじゃ」
玄斎が二人へ告げる。
琥珀は通信具を見た。
「まだ来るかもしれない」
「その時は、奉術衆が確認する」
「表も?」
「見方は共有した。お主が帰っても、比べられるようになっておる」
観測担当の男が、写しを受け取った。
届いたばかりの記録を開き、時刻を欄へ入れている。
琥珀はそれを見てから、席を立った。
「明日も来る?」
「予定は改めて連絡する。呼ばれておらぬ間は、家で過ごしてよい」
「宿題も進められるね」
藍子が言うと、琥珀は鞄を持った。
「今日は大社に呼ばれた」
「午前中は時間があったでしょう」
「名前を書いた」
「明日は、その続きからできるね」
「藍子が覚えてる」
「私が忘れさせない前提なんだ……」
玄斎と奉術衆へ挨拶し、社務所を出る。
境内には、細かな雪が舞い始めていた。
石畳へ落ちると、濡れた跡になって消える。
鳥居の向こうでは、店に明かりがともっていた。
家路を急ぐ人たちが、袋を持って歩いている。
「琥珀」
「なに?」
「今日は、札を使わなかったね」
「ん」
「でも、助けられた」
「藍子も、記録を探した」
石段を下りながら、社務所を振り返る。
窓の向こうでは、新しい紙が机へ運ばれていた。
次の場所でも、同じ時間差が見つかるのか。
以前の波と、どうつながるのか。
二人が帰ったあとも、その確認は続いていく。
藍子は前を向き、隣にいる琥珀と歩調をそろえた。




