第二十四話 静かな冬
第二十四話 静かな冬
終業式の日、山沿いの町に細かな雪が舞っていた。
積もるほどではなく、地面へ触れると消えていく。
それでも教室では、雪に気づいた生徒たちが何度も窓を見ていた。
藍子も通知表を受け取ったあと、冬空へ目を向ける。
「藍子」
隣へ来た琥珀が、通知表を差し出した。
「どうだった?」
「赤くない」
「赤点がなかったってこと?」
「ん」
「中は確認した?」
「した」
開くと、実技科目は悪くない。
ほかの科目も心配していたほどではなかったが、復習を勧める言葉がいくつか添えられていた。
「冬休みに見直そうね」
「休みなのに?」
「分からなかったところを、時間がある時に確かめるんだよ」
「藍子のは?」
「普通だよ」
二人分の通知表が並べられる。
「藍子の方が上」
「少しだけね」
「なら、教えられる」
「最初からそのつもりだったの?」
「効率がいい」
「自分で考えてから聞いてね」
冬休みの課題を受け取り、鞄へ入れる。
琥珀も束を眺めてから、隣へ押し込んだ。
「今日も大社へ寄る?」
「冬休み最初の日だから、休みでもいい」
「冬休みは明日からだよ」
「授業は終わった」
「玄斎様に聞いてから決めようね」
◇
大社へ着く頃には、雪は止んでいた。
石畳に、濡れた跡だけが残っている。
玄斎は縁側で報告書を読んでいた。
「来たか。終業式は終わったようじゃな」
「はい。明日から冬休みです」
「課題も、早めに始めるのじゃぞ」
「玄爺も教える?」
「分からぬところを持ってくればな」
琥珀が藍子を見る。
「最初は自分でやるんだよ」
「二人とも同じこと言う」
「それなら、そろそろ諦めようね」
縁側へ並んで座る。
藍子は玄斎の手元へ目を向けた。
「何かあったんですか?」
「山道沿いの資材置き場で、弱い怪異の反応が見つかった。先日、連盟が対処した敷地とは別の場所じゃ」
「妖気の波と関係があるんですか?」
「今の調査では、あの異常な流入は確認されておらん。周囲の反応も、低位の魑魅魍魎一体と見られておる」
報告書が畳まれた。
「今回は、お主らにも実地を見てもらおうと考えておる。ただし、前の見学とは違う」
「私たちも動くんですか?」
「奉術衆が周囲と退路を確保する。その中で、怪異を開けた場所へ誘導し、動きを抑えるところまでじゃ」
藍子は膝の上で手を重ねた。
木偶とは違う。
弱くても、本物の怪異だった。
「倒すところまで、私たちがするんですか?」
「基本は奉術衆へ引き継ぐ。相手の状態と、お主らの動きを確かめたうえで、祓いまで任せるかは、わしが判断する」
「《徒桜》に乗る話とは別ですよね」
「無論じゃ。参加せぬことも選べる。今回行ったからといって、次も出ると決まるわけではない」
玄斎は返事を待った。
藍子は琥珀を見る。
「琥珀は?」
「行きたい」
「うん」
「でも、藍子は?」
「まだ、考えてる」
「なら、待つ」
返事の早さに引かれて決めなくてもよかった。
藍子は報告書へ目を戻す。
稽古でできたことが、実際の怪異にも通じるのか。
できない時、退く判断までできるのか。
「……やってみたいです」
玄斎へ向き直った。
「危険だと思ったら退くことと、止められたらすぐに下がることを、守ります」
「うむ。琥珀は?」
「私も。前へは出ない」
「では、まず相手と場所を説明する。聞いたあとで気が変わったなら、それも伝えてよい」
報告書が二人の前へ置かれた。
◇
見取り図には、木材と金属管の置かれた場所が記されていた。
管理者への連絡は済み、翌日は奉術衆が立ち入りを制限する。
「怪異は、この木材の下へ潜んでおる」
玄斎が指す。
「藍子は資材へ戻る道を狭め、中央へ誘導する。琥珀は入口側の開けた位置で、奉術衆とともに見る」
「札が届かなかったら?」
「知らせよ。お主が近づく必要はない」
「ん」
中央から入口へ向かう線が引かれる。
「藍子の退路はここじゃ。逃げる場所へ札を置く時は、必ず知らせること。退く道を塞いではならん」
「分かりました」
「怪異が資材の下へ戻っても、奥へ追うでないぞ。その時は奉術衆が引き継ぐ」
藍子は地図の線をたどった。
「祓うところまで任されたら、どうすればいいんですか?」
「明日の武器は、お主の霊力を通すためのものじゃ。相手を力で叩き潰すのではない」
玄斎が、手近にあった木製の薙刀を取る。
「この程度の魑魅魍魎なら、形を支える妖気を散らせば、霊核も保てなくなる。薄く通した力を、接触したところから働かせるのじゃ」
刃に当たる部分へ、淡い光が広がった。
「強く込めすぎれば、届く前に流れが乱れる。まずは札を使って、この加減だけ確かめておこう」
「はい」
その日は薙刀へ霊力を通し、玄斎が用意した確認用の札へ触れさせた。
青い光が接触した場所から広がる。
何度か繰り返し、必要以上に強めず保てたところで終わった。
「明日は、相手が動く。今日の加減が分からなくなったら、無理に続けぬこと」
「その時は、伝えます」
琥珀も頷いた。
◇
翌朝、境内の端には車が停まっていた。
三人の奉術衆が道具を積み込んでいる。
大社には別の者たちが残り、観測と連絡を続けることになっていた。
玄斎が布を巻いた薙刀を差し出す。
「今日はこちらを使え」
外すと、木製の柄と、刃に当たる部分へ細かな術式が刻まれていた。
少し霊力を通す。
青い光が線を走り、薄く表面へ広がる。
「その程度でよい。必要な時に通し、使わぬ時は収めよ」
「はい」
琥珀が六枚の護符を確かめていた。
そのうち二枚に、小さな丸印がある。
「全部使わなくてもいいんだよね」
「ん。必要なら使う」
「私が無理そうな時も、言うね」
「見てる」
「見ていても、分からないかもしれないから」
「ん。聞く」
二人と玄斎、三人の奉術衆が乗り込み、車が大社を出た。
◇
三十分ほど走り、山道から脇道へ入った。
錆びた門の向こうに、積まれた木材が見える。
金属管を覆った青いシートが、風で乾いた音を立てていた。
車を降りると、奉術衆が先に敷地を確かめた。
一人は外周の封鎖。
一人は中央で、誘導先と藍子の退路の確保。
残る一人は、琥珀のそばから全体を見る。
藍子は入口で待った。
琥珀も、資材で視界を遮られない場所へ立つ。
「反応は一体。周囲に新しい反応はありません」
「退路の防護も整いました」
玄斎が頷いた。
「藍子、木材の右へ回れ。わしも後ろにつく」
「はい」
砂利を踏む。
木材の横へ近づいても、何もいないように見えた。
けれど、その下に落ちた影だけが動いた。
「藍子、右」
琥珀の声で構える。
黒いものが、隙間から飛び出した。
◇
怪異は中型犬ほどの大きさだった。
四本の脚が砂利を蹴り、輪郭が煙のように揺れる。
藍子へは向かわず、敷地の奥へ逃げようとした。
「奥へ行く!」
横へ回り、木材へ戻る道へ薙刀を向ける。
青い光を嫌ったのか、怪異が曲がった。
今度は金属管の方へ向かう。
「琥珀、金属管側!」
「見えてる。先へ置く」
一枚目が、金属管の手前へ落ちた。
白い光が広がる。
怪異はその前で止まり、藍子へ向き直った。
「来る」
「うん!」
地面を蹴る。
藍子は正面で受けず、半歩横へ動いた。
柄を身体の側面へ添える。
腕が押される。
握り込みかけた手を緩め、相手の勢いを外へ流した。
影が横を抜け、中央へ向かって滑っていく。
「開けた方へ行った!」
振り返り、距離を取り直す。
怪異が低く沈んだ。
身体の輪郭が膨らみ、黒いものが頭の先へ集まる。
「藍子、下がって」
二歩退いた。
黒い塊が飛び、先ほどまで立っていた地面へ落ちる。
砂利が跳ねた。
中央にいた奉術衆が札を向け、残った妖気を抑える。
「妖気を飛ばした。防護の内側で抑えられます」
玄斎は怪異と、藍子の退路を確かめた。
「この距離を保て。次を受ける余裕がなければ、入口側へ退くのじゃ」
「はい」
怪異が再び沈む。
藍子は薙刀へ薄く霊力を通した。
青い光が表面へ広がる。
「木材側へ戻さないように、左へ回って」
琥珀が告げる。
周囲を確かめ、そちらへ進む。
怪異の向きが変わった。
黒い塊が放たれる。
藍子は斜めへ退きながら、薙刀を傾けた。
刃に当たる部分が妖気の端へ触れる。
青い光が弾けた。
塊は形を崩し、横へ流れる。
背後へ散った妖気は、奉術衆の防護札が受けた。
「できた……」
「藍子、まだ動く」
「うん!」
目を戻す。
怪異が木材の方へ向きかける。
薙刀の先を低く構え、その道を塞いだ。
「木材側へ、もう一枚置く」
二枚目が進路へ落ちる。
光を避けた怪異が、中央へ戻った。
予定していた場所まで来た。
藍子は追わず、距離を保った。
「玄斎様、誘導できました!」
奉術衆が左右から逃げ道を押さえる。
玄斎は怪異の反応を確かめた。
「強さは変わっておらん。藍子、祓いまで試すか?」
「はい」
「琥珀が止めてからじゃ。拘束が解けそうなら離れよ。その先は奉術衆が引き継ぐ」
「分かりました」
琥珀が丸印の札を抜く。
「中央の入口寄りへ置く。藍子、右へ退ける?」
「退けるよ」
「そこまで戻って、追わせて」
「うん」
三枚目が、中央の地面へ落ちた。
薄い白い光を保っている。
藍子は札の位置と、右側の空きを確かめた。
怪異が向き直る。
逃げ道を探したあと、今度は藍子へ走り出した。
背を向けず、入口側へ下がる。
怪異が追ってくる。
「札の手前。右へ離れて」
横へ退いた。
怪異だけが光の上へ踏み込む。
白い筋が脚と胴へ絡み、勢いを止めた。
「止まった。長くは保てない」
藍子は怪異の側面へ近づく。
背後では、奉術衆が札を構えたまま見ている。
薙刀へ力を通す。
刃に当たる部分が、強く光った。
「多すぎる」
玄斎の声で、量を抑える。
昨日、確かめた加減。
押し込むほど強くする必要はなかった。
光が薄くなり、揺れが収まる。
「札、弱くなってる」
琥珀が告げた。
「まだ絡んでる」
「藍子、今の一度だけじゃ。外したら退け」
玄斎へ返事をし、一歩踏み込む。
大きく振り上げず、横へ引いた薙刀を怪異の中心へ通した。
手応えは軽い。
接触したところから、青い光が広がった。
形を支えていた妖気が散る。
脚がほどけ、胴も輪郭を失った。
内側に見えた小さな霊核が揺らぎ、ひびが入る。
最後に残った黒い影が薄れた。
藍子は構えたまま、動きを待った。
「反応、消失」
奉術衆が周囲へ探索符を向ける。
「霊核も残っていません。外周に新しい反応なし」
報告を聞いてから、玄斎が告げた。
「終わりじゃ。霊力を収めてよい」
藍子はゆっくり薙刀を下ろす。
「祓えた……」
「ん」
琥珀がこちらを見ていた。
「近づいていい?」
そばの奉術衆へ尋ねる。
玄斎も周囲を確かめ、頷いた。
「構わん」
琥珀が中央へ来る。
捕獲に使った札を拾った。
紙の端が裂け、術式の一部が黒くなっている。
「一枚、駄目になった」
「その一枚で止められたよ」
「もう少し保ちたかった」
「私は助かったけど」
「藍子が少し早ければ、残せたかも」
「霊力を調整してたの。あのまま流したら多すぎたでしょう」
「ん」
「怪異を祓う時まで、札の節約を考えなくてもいいんじゃないかな……」
玄斎が残留妖気を調べる。
奉術衆も、砂利と札の状態を記録していた。
「この怪異も、異常に強くなっていたんですか?」
「今の反応では、不自然な強化は見られん。採取したものも照合するが、現場で分かる範囲では、通常の低位個体じゃ」
藍子が頷く。
玄斎は薙刀と、裂けた札を見た。
「二人とも、最初の実地としては悪くなかった」
「合格ですか?」
「及第点じゃ」
「玄爺、厳しい」
「藍子は、祓う前に余計な力を流しておった。琥珀も、札の効力を保つ加減が揃っておらん」
二人が手元へ目を落とす。
「じゃが、退路を確かめ、続ける範囲を守った。できたことまで否定する必要はないぞ」
「はい」
「ん」
藍子は怪異が消えた場所を見る。
奉術衆がそばにいて、相手も弱かった。
それでも、自分の力で形を崩せた感触は残っていた。
薙刀へ目を戻し、流していた力が収まったことを確かめる。
木の表面に、青い光は残っていなかった。
◇
奉術衆が外周を片づける間、二人は道具を車へ運んだ。
薙刀は玄斎が傷を確かめ、布を巻き直す。
琥珀は未使用の三枚を重ねた。
使った二枚も回収し、破れた一枚とともに別の袋へ入れる。
「それも持って帰るんだ」
「効いたところを見る。駄目になったところも」
「破れたのは、怪異を止めたからじゃないの?」
「もっと保てるかもしれない」
光へ透かし、残った線を確かめている。
「続きは大社でじゃ。ここで立ち続けておれば、帰れぬぞ」
玄斎に言われ、ようやく袋が閉じられた。
「玄爺も調べる」
「無論じゃ」
「同じこと考えてる」
「ならば、調べる場所へ戻ることまで考えよ」
藍子が残った木箱を持つ。
「ほら、荷物を積もう。帰ってから二人で見ればいいでしょう」
車へ運んだところで、通信具が鳴った。
「大社からです」
奉術衆が応答する。
「こちらは一体への対処を終えました。……はい。反応した場所をお願いします」
手帳が開かれた。
玄斎もそばへ寄る。
「何があった?」
「観測範囲を広げた三地域で、弱い妖気を確認したそうです。反応時刻が近いとのことです」
「怪異は?」
「姿は確認されていません」
「観測記録を残せ。連盟にも照会するのじゃ」
藍子と琥珀が、荷物を置いた。
玄斎は地図を取り出す。
「この近くですか?」
「一つは県内じゃ。ほかは離れておる」
「さっきの怪異は?」
琥珀が尋ねる。
「ここの観測では、同じような流入は確認されておらん。今の段階で結びつける根拠はないな」
通信が続いた。
しばらくして、奉術衆が手帳を渡す。
「連盟からも、別の二地点の報告が来ました。先の三地点とは重なりません」
「反応した時刻は?」
「数分の幅に収まっています。測定値の一部にも似た傾向がありますが、詳しい照合はこれからです」
地図へ五つの印が置かれる。
河川敷。
山林。
地下設備。
港に近い倉庫。
採石場。
印は互いに離れていた。
「これまでの経路では、つながりを確認できん場所じゃな」
玄斎が、以前の観測地点と比べる。
「波が戻ったんでしょうか」
「一度の反応だけでは、繰り返すかも分からん。以前のものと同じかも、これから比べる」
琥珀が五つの印を見た。
「弱くなって、分かれた?」
「その可能性はある」
玄斎は新しい記録を横へ置いた。
「別々の発生源が、同じ時期に反応したのかもしれん。地中の変化が、離れた場所へ影響したとも考えられる」
「観測する場所を変えたから、見つかったんですね」
「うむ。従来の水路だけを見ておっては、拾えなかった反応じゃ」
藍子は地図から顔を上げる。
「怪異も増えるんですか?」
「妖気の量と、その土地の状態による。現地の者たちに周囲を確かめてもらう」
玄斎が通信具を取った。
「各地点は観測を続けよ。次の反応があるか、時刻も強さも記録するのじゃ。こちらも大社へ戻り、以前のものと照合する」
返事を聞き、地図を畳む。
「帰るぞ。二人も戻ったら、今日の道具と動きを確認しよう」
「はい」
「ん」
車へ乗り込む。
窓の外には、普段どおりの町があった。
屋根にも道路にも、雪は残っていない。
藍子は膝の上の薙刀を見る。
隣では琥珀が、札を入れた袋を抱えていた。
「次も、今日と同じように動けるかな」
「相手による」
「うん」
「分からなかったら、聞く」
「私も」
車が大社へ向かって曲がる。
白いままだった観測記録に、五つの反応が加わった。
消えた波とつながるものなのかは、まだ分からない。
玄斎は新しい地点と時刻を書いた紙を、以前の記録とともにしまった。




