第二十三話 途切れた間隔
第二十三話 途切れた間隔
翌日の放課後。
三体の木偶が動き始めると、藍子は社殿側へ向かった。
「社殿側を止める。琥珀、手水舎側をお願い!」
「ん。石灯籠側も見てる」
一体目へ薙刀の柄を添え、進む力を横へ流す。
その間に、琥珀の札が手水舎側の木偶を遅らせた。
「手水舎側、効いてる。石灯籠側が近い」
「そっちへ行く!」
柱の前へ戻り、木偶の側面へ回る。
白い布へ触れる前に向きを変え、外側へそらした。
「そこまでじゃ」
玄斎が操作札を下ろす。
三体が止まった。
琥珀の手には、丸印のある札が残っている。
「使わずに済んだね」
「ん。残せた」
「必要になれば使う、ということも忘れるでないぞ」
二人が頷くと、玄斎は奉術衆へ道具の片づけを頼んだ。
「今日は終わりですか?」
「動く稽古はな。このあと、観測の様子を見てもらう」
懐中時計を確かめる。
「次の波が来る見込みの時間帯まで、あと十分ほどじゃ。片づけたら社務所へ来い」
◇
社務所の机には、観測記録と時計が置かれていた。
壁の札は、地下水路に設置した観測札とつながっている。
現地で妖気を捉えると、こちらにも反応が現れる仕組みだった。
藍子と琥珀は並んで座る。
玄斎と二人の奉術衆も、記録を確かめていた。
「平均なら、あと一分」
琥珀が時計を見る。
「一分後に来るんだね」
「その前も、あとも見る」
机の紙を指した。
次の反応が見込まれる時間帯に、幅を持たせた印がある。
「間隔は毎回同じではない。時刻を決め打ちしておれば、早い波も遅い波も見落とすからの」
玄斎が言った。
琥珀が時刻を比べ、約二十四分の間隔に気づいてから、各地点の観測が続けられている。
その後も多少のばらつきはあったが、対応する反応は繰り返し記録されていた。
藍子は壁の札を見る。
白いままだった。
「何秒たった?」
「十八秒」
「まだ、それだけ?」
「ん」
琥珀は時計へ目を戻す。
平均から見込んだ時刻を過ぎた。
札は変わらない。
藍子が口を開きかけると、玄斎が先に言った。
「まだ、これまでの幅の中じゃ」
座り直す。
秒針が進む。
奉術衆の一人が、現地へ連絡を取った。
「地下の札にも反応はありません。破損や術式の乱れはないとのことです」
「東側は?」
「そちらも反応なしです」
やがて、これまで最も間隔が長かった記録を越えた。
琥珀が紙へ線を引く。
「今までより遅い」
「うむ。ほかの地点も確かめよう」
奉術衆が順に連絡する。
どの地点にも、予測していた波は来ていなかった。
「止まったのかな」
藍子がつぶやく。
「ここで反応しておらぬことまでは分かる。じゃが、それだけで流れ全体が止まったとは言えん」
玄斎は記録を机へ置いた。
「次に来る見込みの時間帯も調べる。遅れて来たなら、その時刻から比べ直すのじゃ」
「ずっと見てる?」
「うむ。予測した時だけではないぞ」
琥珀が頷き、予定と実際の反応を別の欄へ書き込む。
次の波が来るはずだった時間帯も過ぎた。
札は、一度も変色しなかった。
現地の観測も同じだった。
「二回分の反応を確認できません。ほかの観測点にも、対応する波はありません」
玄斎が過去の記録を広げる。
途切れず並んでいた印の先に、空白ができていた。
「異変が収まったんでしょうか」
「そうであればよいが、今はまだ分からん」
琥珀は壁の札を見ていた。
「通る場所が変わったら?」
「別の場所へ流れているってこと?」
「ん。ここの札には触れない」
藍子も白い札へ目を向ける。
妖気が流れなくなった。
それとも、測っている場所を通らなくなった。
同じ白からは、どちらとも分からなかった。
玄斎が奉術衆へ向き直る。
「観測は続ける。同時に、最後の波が通った場所と、その周囲を調べ直すのじゃ」
◇
それから三日たっても、対応する波は戻らなかった。
観測していた水路や大社周辺に、新しい反応はない。
近隣の怪異の出現報告も減っていた。
朝のテレビでは、年末の催しが紹介されている。
藍子が居間へ入ると、琥珀はこたつに入っていた。
「おはよう」
「ん」
「今日はちゃんと起きてるね」
「起きてた」
「布団は畳んだ?」
「まだ」
「起きてから、何してたの?」
「こたつに移動した」
「場所が変わっただけだよね?」
琥珀は否定せず、こたつへ顎を乗せた。
母が朝食を運んでくる。
焼き魚と卵焼き、湯気の立つ味噌汁が並ぶと、ようやく身体を起こした。
「大社から連絡は来てない?」
藍子が尋ねる。
「今朝も、新しい反応はなかったそうよ」
「この辺りの怪異も?」
「確認されていないわ。ただ、調査は続いているから、学校の帰りに知らない場所へ寄ったり、山道へ入ったりしないでね」
「分かってます」
「藍子は行かない」
琥珀が味噌汁を飲みながら言う。
「琥珀もだよ」
「私は藍子と一緒」
「私が行かなければ大丈夫、って意味じゃないからね?」
「ん」
テレビの話題が、週末の寒波へ変わった。
「雪、降るかな」
「積もる?」
「この辺りは、まだ分からないんじゃない?」
「積もったら、学校が休みになる」
「期待するのは早いよ」
「休みになったら、雪でプリンを冷やす」
「冷蔵庫を使って」
「外の方が冷たい」
「誰かに持っていかれるよ」
「玄爺?」
「玄斎様を何だと思ってるの……」
母が小さく笑う。
琥珀は魚へ箸を伸ばした。
◇
学校では、冬休みの課題が配られ始めていた。
琥珀の机の端へ、紙が積み重なる。
「これ、休み中に全部やるんだよ」
「多い」
「まだ増えると思う」
「藍子が二人分やる?」
「やらないよ」
「半分」
「自分の分は自分でやろうね」
課題の束が鞄へ入る。
納得した顔ではなかった。
放課後、いつもどおり大社へ向かう。
河川敷へ通じる道の一つは、まだ工事中だった。
けれど、新しく張られた規制線や、慌ただしく走る車は見かけない。
石段を上ると、縁側には木箱が積まれていた。
注連縄と白い紙垂が、まとめて置かれている。
「今日は、お正月の準備ですか?」
「うむ。先に済ませられるところを進めておきたいのでな」
玄斎は脚立へ上り、社務所の入口に注連縄を掛けようとしていた。
今は幼い少女の姿で、伸ばした手が留め具まで届いていない。
「代わりましょうか?」
「届いておる」
「縄が留め具の下にありますよ」
「今から持ち上げるところじゃ」
背伸びをした足元で、脚立が揺れる。
藍子は慌てて支えた。
「やっぱり私がやります」
「わし一人でもできる」
「落ちたら危ないですから」
「子供扱いするでない」
「今の姿では、無理に伸ばす方が危ないです」
不満そうな顔が向いた。
それでも、玄斎は降りてくれた。
代わって上り、縄を受け取る。
「琥珀、その箱は社務所の中へ運んで」
「重い」
「持ち上げる前から言わないで」
「藍子が持った方が早い」
「私は脚立の上だよ」
「玄爺」
「わしに渡すでない」
琥珀は箱と玄斎を見比べた。
諦めたように、両手で抱える。
幅のある箱で、前が見えなくなった。
「右に柱があるよ。少し左」
「こっち?」
「それは右」
「見えない」
「一度下ろそう。持ち方を変えた方がいいね」
箱が縁側へ戻された。
玄斎が片方の端を持つ。
「二人で運ぶぞ」
「玄爺が持つ方が早い」
「その理屈は使わん」
二人が社務所へ入っていく。
藍子は縄を留め、脚立から降りた。
境内へ車が入ってきたのは、その時だった。
降りた奉術衆の三人は、長靴と袴の裾を泥で汚している。
土と水の入った容器を抱えていた。
「戻ったか」
玄斎が入口へ出る。
「結果は?」
「最後に妖気を確認した区間と、流れてきた側へ続く分岐を調べました。今回採取した水と土には、残留妖気の反応がありません」
「どの区間にもか?」
「はい。前の調査で反応が残っていた場所も、今回は確認できませんでした」
容器が縁側へ並べられる。
「水量は?」
「大きな変化はありません。まとまった雨もなく、流されて薄くなったのかは判断できませんでした」
玄斎が記録板を受け取る。
「いつ消えたかは?」
「そこまでは分かりません。波が途切れる前の採取では残っていたものが、三日後の今回の採取では見つからなかった、という結果です」
藍子は水の容器を見る。
澄んでいた。
「波が来なくなっただけじゃなくて、前に残っていたものも見つからないんですね」
「うむ。じゃが、同じ時に消えたとまでは言えん」
琥珀が隣へ来た。
「通る場所を変えて、残ったものも消した?」
「それも考えられる」
玄斎は記録を閉じなかった。
「自然に薄れたのか、別の力に取り込まれたのか。ほかの可能性も調べる。まずは、採取したものに何か残っておらぬか確かめよう」
奉術衆が容器を運び始める。
琥珀も、置いたままだった木箱へ戻った。
藍子は脚立を畳む。
縄を掛け終えた入口の向こうで、玄斎は過去の採取記録を開いていた。
◇
夕方になっても、採取した水と土から、妖気を消した術の痕跡は見つからなかった。
玄斎は観測記録を社務所の机へ並べた。
藍子は紙垂を折りながら、その横を見ている。
「術の跡がないなら、自然に消えたんでしょうか」
「その可能性は残る。痕跡を見つけられなかったことと、何も行われなかったことは同じではないからの」
記録が古い順に揃えられる。
観測地点。
反応した時刻。
妖気の強さ。
採取したものの状態。
琥珀が横からのぞき込んだ。
「これ、最後?」
「この地点で、最後に波を確認した記録じゃ」
「こっちは?」
「新しく置いた観測札の分じゃな。妖気が流れてきた側を、もう少し先まで測ろうとした」
琥珀が二枚を見比べる。
「新しい札を置いてから、一回来た」
「うむ。その札にも弱い反応があった」
「その次は?」
「ほかの札も含め、対応する反応はない」
琥珀が紙を並べた。
「札に触れたあと、来なくなった」
藍子が折る手を止める。
「観測されているって、気づいたのかもしれない?」
「ん。もし、流すものがいるなら」
玄斎が設置時刻を確かめた。
新設した札が、一度だけ反応した。
そのあと、観測していた経路へ波が来なくなった。
「時期は近いな。確認する価値はある」
「見つかったから、変えた?」
「まだ、その順に起きたことまでじゃ。新しい札が原因とは決まっておらん」
玄斎が別の記録も寄せる。
「発生源が動いたのかもしれん。力を放出し終えた時期と重なった可能性もある」
「どう比べるんですか?」
藍子が尋ねた。
「まず、ほかの場所へ札を増やした時の記録も見る。設置のたびに流れが変わっておれば、今回だけの偶然よりは考えやすくなる」
「前の分も?」
琥珀が顔を上げる。
「うむ。今ある記録で確かめられるところからじゃ」
玄斎は新設札の記録へ印をつけ、地図を広げた。
「それと、観測の範囲を変える。同じ水路だけを見ていては、別の場所へ移った流れを拾えぬ」
「札を増やすんですか?」
「それだけではない。土地の霊気の変化、怪異の出現場所、動物の異常な動きも合わせて調べる」
「妖気の札に映らなくても、ほかに変化が出るかもしれない」
「そうじゃ」
琥珀が地図を見る。
「気づかれにくい置き方もする?」
「観測を察知する相手がおる可能性も考えて、配置と術式は検討する。じゃが、見つからぬようにするだけでは、測れなくなってしまうからの」
玄斎が奉術衆へ渡す記録を分けた。
「私たちは?」
藍子が尋ねる。
「稽古を続ける。探すために町を歩き回る必要はないぞ」
「気づいたら、報告する」
「うむ。それでよい」
琥珀は最後の反応が書かれた紙を見ていた。
やがて、玄斎へ返す。
「前の設置時刻も、比べたい」
「写しを用意しておこう。読む時は、何を比べるか一緒に確かめる」
「ん」
「学校の課題を終えてからじゃぞ」
返事が止まった。
藍子が笑うと、琥珀はこちらを見る。
「藍子も」
「私は自分の分をやるよ」
「半分」
「琥珀の分は減らないからね」
折りかけの紙垂へ手を戻した。
玄斎は通信具を取り、新しい観測の配置を相談し始めた。
◇
次の日曜日、二人は稽古を休んだ。
昼前、母に頼まれた買い物へ出かける。
商店街には年末の飾りが並び、正月用品を勧める声が聞こえていた。
「人、多いね」
「ん」
「はぐれないでよ」
「藍子が?」
「琥珀がだよ」
「私は迷わない」
「気になるものを見つけると、急にいなくなるでしょう」
「移動してるだけ」
「行き先を言わないから、いなくなったように見えるの」
琥珀は答えず、隣を歩いた。
メモには野菜と調味料、それに正月飾りの材料が書かれている。
店を回り、籠へ入れていった。
最後の食品売り場で、藍子が長ねぎを選ぶ。
顔を上げると、隣にいたはずの琥珀がいなかった。
「琥珀?」
少し離れた冷蔵棚に、白い狐耳が見える。
「やっぱり移動してる……」
近づくと、琥珀は二種類のプリンを持っていた。
「どっち」
「何が?」
「こっちと、こっち」
「今日はプリンを買いに来たんじゃないよ」
「休みの日」
「休みの日なら買っていい決まりはないからね」
二つの容器が見比べられる。
「一つなら?」
「自分のお小遣いで買うなら」
「藍子は?」
「私はいいかな」
「なら、二つ買う」
「どうして増えたの?」
「藍子が食べたくなった時の分」
「琥珀が二つ食べるつもりでしょう」
「藍子が食べなかったら」
「一つ戻してきなさい」
少し迷ってから、片方が棚へ戻された。
店を出ると、冬の風が通りを抜けた。
藍子は買い物袋を持ち直す。
琥珀はプリンの入った小さな袋を、もう一度確かめていた。
「帰ったら、冷蔵庫へ入れてね」
「雪は?」
「まだ降ってないでしょう」
「待つ」
「プリンを外へ置いて待たないでよ」
携帯電話が鳴った。
玄斎の名前が表示されている。
「はい、九條です」
『わしじゃ。今日も、観測地点に新しい反応はない。明日の稽古は予定どおり行う』
「分かりました」
『今日は休みじゃからの。もう家へ戻るところか?』
「はい。買い物は終わりました」
『ならばよい。琥珀にも、札の記録を見る前に課題を済ませよと伝えておけ』
「聞こえた」
琥珀が電話へ顔を近づけた。
『聞こえておるなら、返事をせぬか』
「あとでやる」
『いつじゃ』
「帰ったら」
『うむ』
藍子が隣を見る。
琥珀はプリンの袋を持ち替えた。
「先に冷蔵庫」
「それは入れてからでいいよ」
通話を終え、家へ向かう。
店先の声と、買い物をする人たちの足音が続いていた。
大社では今も、別の場所に置いた札が調べられている。
消えた波の先を探す仕事は、終わっていなかった。
「藍子」
「なに?」
「課題、隣でやる」
「うん。それなら付き合うよ」
二人は並んで、いつもの角を曲がった。




