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神機巫女 -SHIKITSUNE-  作者: レイン
第二節 青龍の巫女候補

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第十九話 見えない流れ

第十九話 見えない流れ


 木札を使った連携訓練を始めてから、一週間が過ぎた。


 十二月上旬も終わりに近づき、朝の空気は一段と冷たくなっていた。

 通学路の植え込みには薄い霜が降り、吐いた息が白く残る。


 コートの襟を整え、隣へ目を向けた。


「琥珀、手袋は?」

「鞄の中」

「指、赤くなってるよ」

「まだ平気」

「平気でも着けるの」

「ん」


 返事はしたが、鞄へ手を伸ばさない。


 藍子が立ち止まると、琥珀も数歩先で止まった。

 しばらく見つめ合う。


 やがて、白い手袋が取り出された。


「最初から着ければいいのに」

「今、着けた」


 両手に収まったのを見届け、歩き始める。


 一台の工事車両が横を通り過ぎた。

 荷台には柵と資材が積まれ、河川敷の方角へ向かっている。


「この前のところ、まだ工事してるのかな」

「浄化も続いてるかも」

「学校では言わないでね」

「ん」


 藍子は車両を見送った。

 向かう先が、あの陥没箇所かどうかは分からない。


     ◇


「最近、工事してる場所多くない?」


 昼休み。

 教室の窓際で弁当を広げていると、近くの席から聞こえてきた。


「駅の反対側も通れなくなってたよ。水道管の点検だって」

「公園も一部閉鎖されてなかった?」

「あれは倒木じゃなかったっけ」

「この辺、そんなに古かったかな」


 箸を動かしながら、耳を傾ける。


 水道管の点検。

 倒木。

 遊歩道の陥没。


 一つずつなら、珍しい話ではなかった。

 けれど、少なくとも河川敷には怪異がいた。


「藍子」

「なに?」

「卵焼き、止まってる」


 箸の先を見る。

 挟んだまま、口へ運んでいなかった。


「あ……ちょっと考えてただけ」

「考えすぎ」

「その言い方、最近多くない?」

「事実」

「琥珀だって、聞いてたでしょう」

「聞いてた。でも、ここでは分からない」


 琥珀は自分の弁当へ目を戻した。


 報道された事故のすべてが、怪異によるものとは限らない。

 母にも玄斎にも、そう言われている。


 卵焼きを口へ運ぶ。


「今日、大社で聞いてみる」

「ん」

「でも、琥珀に考えすぎって言われるのは納得できないな……」

「必要なことだけ考える」

「プリンのことも?」

「必要」

「やっぱり納得できない」


     ◇


 放課後の境内には、乾いた風が吹いていた。

 木々の葉はほとんど落ち、以前より空が広く見える。


 藍子は稽古着へ着替え、木製の薙刀を構えていた。

 腕と足には、薄い青色の霊力をまとわせている。


 木札で覚えた配置を、今日は実際の足運びで確かめていた。

 木製の人形は相手の位置を示す目印だ。動かない身体に薙刀を沿わせ、受け流す姿勢を作る。


「右前から二体。一体目が近い」


 少し離れた場所から、琥珀の声が届く。


 右足を引き、穂先を向けた。


「左後ろに守る人。後ろへ下がれない」

「なら、前へ流す」


 右前の人形へ半歩近づく。

 腕に見立てた横木へ薙刀を斜めに合わせ、腰をひねった。


 避けて終わるのではない。

 相手の攻撃が、背後へ抜けない向きを作る。


 次の相手も右前なのか。

 穂先を戻す向きを決められず、一瞬止まった。


「次、左」


 薙刀を返す。

 身体の向きを変えた瞬間、右腕の青い光が揺らいだ。


「右腕、薄い」


 霊力を足しかけ、手を止めた。

 途切れそうな場所を確かめる。


 肩から肘へ。

 肘から手首へ。


 流れを整えると、薄い光が戻った。


「そのままじゃ」


 縁側の玄斎が声をかける。


「強くする必要はない。動いても途切れぬよう保て」

「はい」


 呼吸を整え、構え直す。


 腕へ気を取られると、足元が薄くなる。

 足を意識すれば、今度は薙刀を握る手の光が揺れる。


 それでも、一週間前より長く保てていた。


「前の味方が下がる。右が空く」


 右へ踏み出した。

 人形の間を抜け、柱のそばに置かれた青い木札の前へ立つ。


「ここでいい?」

「ん。そこを守って」

「では、そこまでじゃ」


 薙刀を下ろし、まとわせていた霊力を収める。


「前より、続くようになりました」

「うむ。じゃが、向きを変えるときに乱れておる。

 腕と足へ別々に送るだけでなく、全身を通る流れを保つのじゃ」


「動く場所だけ見ていたら、駄目なんですね」

「そうじゃ。使っておらぬところまで、途切れさせる必要はない」


 自分の右腕を見る。

 加える量だけでなく、残しておく流れも考えなければならなかった。


 玄斎が琥珀へ顔を向ける。


「藍子が迷ったところは?」

「二体目。近い一体しか、場所を言わなかった」

「一体目を流したあと、同じ方向へ構えたままでいいのか迷ったよ」


 藍子も答える。


「次は、二体目が横へずれたかも言う」

「うむ。先の動きが分かる情報を足せ。ただし、最初から詰め込むでないぞ」

「ん」


 琥珀が記録へ書き込む。


 薙刀を置こうとしたとき、奉術衆の一人が石畳を足早に近づいてきた。


「玄斎様」


 玄斎が顔を上げる。


「どうした」

「新たに三か所で、妖気の流入が確認されました」

「場所は?」

「閉鎖中の旧水路が二か所。それと、北側の山林です」

「怪異は?」

「旧水路では確認されていません。山林には複数の反応があります。

 陰陽連盟の小隊から、調査への協力要請が届きました」


 記録板が渡される。

 玄斎は地図と報告を見比べた。


「奉術衆を二班出せ。旧水路へ向かう班は、二か所を分担して調べよ。

 山林では連盟の小隊と合流するのじゃ」


「承知しました」

「流れを見つけても、起点を追って深く入るな。まずは方向と濃さを記録せよ」


 一礼し、奉術衆が戻っていく。


 藍子は記録板へ目を向けた。


「山林の怪異は、強いんですか?」

「今の報告では、術者で対処できる相手じゃ。お主たちが向かう必要はない」

「……はい」


 薙刀を握っていた手を緩めた。


「今日の稽古はここまでじゃ。藍子は流れを整えてから着替えよ。

 琥珀は、今の記録を残しておくのじゃ」

「はい」

「ん」


 道具を片づけながら、北側の山を見る。


 冬の空の下に、暗い稜線(りょうせん)が連なっていた。

 現場へ向かう人たちは、もうその下へ入ろうとしているのだろう。


     ◇


 北側の山林へ陰陽連盟の小隊が入ったのは、日が沈み始める少し前だった。


 四人の術者が獣道を進み、二人の奉術衆が続く。

 連盟は怪異への対処、奉術衆は妖気の経路を調べる役目だった。


「最初の報告では四体だった」


 先頭の隊長が、探知札を確かめる。


「今は七つあります」


 後方の術者が告げた。


「増えたのか?」

「周囲にいたものが集まっているようです」


 隊長が足を止め、奉術衆へ振り返る。


「流れを追えるか?」

「怪異が近い間は、反応が混ざります」

「我々が先に対処する。後ろで待機してくれ」

「承知しました」


 少し先に、木々の途切れた場所があった。

 そこへ出た瞬間、藪の奥で影が動く。


「来るぞ」


 落ち葉を巻き上げ、黒い塊が飛び出した。


 四足の獣に似たもの。

 長い腕で枝を渡るもの。

 地面を這うもの。


 形は違っていたが、いずれも低位の魑魅魍魎だった。


「左右を塞げ。後ろへ抜くな」


 二人が護符を放つ。

 木々の間に光の壁が生まれ、進路を狭めた。


 正面から飛び込んだ一体へ、隊長が術を放つ。

 光に包まれた身体が崩れ、内側の霊核も散った。


「右に三体!」

「止めます」


 地面へ札が打ち込まれる。

 光の縄が走り、二体を捉えた。


 もう一体が飛び越える。


 着地先で待っていた術者が印を結んだ。

 怪異が光に包まれる。


 左側でも、隊長ともう一人が進路を押さえていた。


「さらに二体、奥から来ます」

「数だけに気を取られるな。外へ散らさず、順に収める」


 一体ずつなら、術者一人で対処できる相手だった。

 小隊は隊列を保ち、逃げ道を狭めながら祓っていく。


「最後の一体は封印する。調査用だ」


 動きを止めた怪異へ、封印札が放たれた。

 光が身体を包み、霊核とともに紙の内側へ収める。


 やがて、落ち葉の擦れる音だけが戻ってきた。


「周囲の反応は?」

「探知範囲内にはありません」

「もう一度確認する。奉術衆は、こちらへ」


 二人が前へ出た。

 一人が膝をつき、落ち葉を払う。


 土が黒ずんでいた。


 探索符を近づけると、下端から色が変わる。

 別の術具を地面へ置いた。


 針が揺れ、町のある南側を指す。


「こちらが、流れの来ている側です」

「山から町へ下りているのではないのか」

「逆です。町側から、この場所へ流れ込んでいます」


 奉術衆は数か所で確かめ、地図へ矢印を書き込んだ。


 怪異の集まっていた場所は、その流れが浅く地表へ近づくところだった。


「少しだけ遡ります。反応が強まったら止まります」

「小隊も同行する。周囲は任せてくれ」


 斜面を下り、町側へ進む。


 数十歩ほどで、術具の針が大きく揺れた。


「止まってください」


 全員が足を止める。


「どうした?」

「上流側の筋が二本あります。南東と西から来て、ここで合流しています」


 位置を変えて確かめる。

 二本とも、合流点から山林の方へ向かっていた。


「旧水路の方角か?」

「南東は河川敷へ続く方の水路です。西は、もう一か所の調査地点に近い。

 ただ、ここからつながっているかは、まだ分かりません」


 地図へ二本の短い線を引いた。

 その先は空白のまま残す。


「追えるか?」

「この先にも分岐があります。暗くなってから入り込むより、別班の記録と合わせたいです」

「では、今日はここまでにしよう」


 隊長は小隊へ周囲の再確認を命じた。


 奉術衆は合流点に観測用の札を置き、位置と方向を記録する。

 旧水路へつながる可能性はあった。


 だが、今見つかったのは、ここまでの二本の筋だった。


     ◇


 その日の夜。


 社務所では、玄斎と奉術衆が調査図を囲んでいた。

 机の脇には、山林で回収した封印箱も置かれている。


「怪異への対処は終わりました。一体を封印して回収しています」

「旧水路は?」

「二か所とも、怪異は見つかっていません。妖気の流入は確認しました」


 地図へ、それぞれの観測点が置かれる。


「西側の旧水路では、妖気は東から西へ。その先で北へ曲がっています」

「もう一方は?」

「北から南へ流れ、開いた継ぎ目から一部が西へ抜けていました。

 そこから北側へ曲がる筋も確認しています」


 水の方向を示した記録が重ねられた。

 旧水路の中では、どちらも妖気と逆向きだった。


「山林側の合流点と合わせました」


 男が拡大図を開く。


「各地点の間を地上から測り直したところ、同じ位置に反応がありました。

 流れる方向も一致しています。この二本は、山林側へ届いています」


 二つの旧水路から伸びた線が、山林の合流点へつながった。


 玄斎が、その先を指す。


「以前の河川敷は?」

「南東の旧水路は、河川敷の近くを通っています。ただし、先日の流入経路と同じかは、まだ確認できません」

「ならば、そこは分けて記せ」


 河川敷へ向かう候補の線が、点線で加えられた。


「流れの起点は?」

「未特定です。水路へ入る手前でも細かく分かれています」

「合流しているからといって、源まで同じとは限らんか」

「はい。一つの起点から分かれている可能性も、別々の場所から集まっている可能性もあります」


 玄斎は確認済みの線を辿った。


「連盟の観測結果と合わせよう。この図を送り、未確認の区間も伝えよ」

「承知しました」


 さらに、大社の周辺図が開かれた。


「こちらの筋は、四季狐大社の近くを通ります」


 境内へ向かう線ではなかった。

 その地下を横切り、別の場所へ続いている。


「結界への影響は?」

「今のところありません。流れも弱く、地表へ出る反応は確認されていません」

「周辺の観測を増やせ。強さが変わったときは、すぐ知らせるのじゃ」


 奉術衆が頷いた。


 玄斎は、大社のそばを通る線へ印をつけた。


     ◇


 翌日の放課後。


 藍子と琥珀は、四季狐大社の石段を上っていた。


「今日は、昨日の続きかな」

「多分」

「琥珀、昨日から記録ばかり見てるよね」

「次の配置を考えてる」

「配置を作るのは玄斎様でしょう?」

「玄爺に出す」

「難しいのを?」

「ん」

「私の訓練でもあるんだけど……」


 石段を上り切る。


 冷たい風が、石畳の落ち葉を転がしていた。

 社務所へ向かおうとして、藍子は手水舎(ちょうずや)の前で止まる。


「藍子?」

「今、水が揺れなかった?」


 琥珀も鉢を見る。

 澄んだ水面に、枝が映っていた。


「風かも」

「うん。でも……」


 近づく。

 水面は、もう静かだった。


 柄杓(ひしゃく)を取ろうとしたとき、指先へ冷たい感覚が触れた。


 冬の空気とは違う。

 水へ霊力を通す稽古で、普段の流れから外れたものに触れたときのような、かすかな違和感だった。


 手を止める。


「水の中に、何かある気がする」

「見えない」

「私も、見えるわけじゃないけど……」


 柄杓を置いた。

 力を送り込まず、届いた感覚へ意識を向ける。


 冷たさが、鉢の底の方から伝わっていた。

 そこへ留まるのではなく、片側からもう片側へ抜けていく。


 顔を上げ、手水舎の外を見た。


「こっちから、向こうへ」


 東側を示し、それから西側を指す。


「玄爺を呼ぶ」

「勘違いかもしれないよ」

「確認する」


 琥珀が社務所へ走った。


 ほどなくして、玄斎が奉術衆の一人と現れる。


「藍子。何を感じた」

「鉢の底の方から、冷たいものが伝わりました。重くて……そのまま、向こうへ抜けた気がします」


 同じ方角を示す。


 奉術衆が地面へ探索符を置き、手水鉢のそばへ術具を下ろした。

 反応が現れるまで、少し間があった。


「微量の妖気です。東側から西側へ流れています」

「昨夜確認した経路か?」

「はい。同じ位置を通っています」


 玄斎は鉢と、結界の状態を確かめた。


「地表へ妖気が出たわけではない。地下の水脈を通り、こちらへ揺らぎが伝わったようじゃな」

「水には、入っていないんですか?」

「今の観測ではな。飲み水への影響も確かめさせる。お主は、もう探らずに待て」


 手を下ろす。


 水面には、何の変化もなかった。

 それでも、自分の感じた方角と、術具の反応は一致していた。


「もう一度、分かるでしょうか」

「試そうとせんでよい。反応も弱まっておる」


 玄斎の声で、鉢へ向けかけた意識を戻した。


「感じたことを、そのまま伝えたのはよかった。何だったかは、観測と合わせて確かめるのじゃ」

「はい」


 琥珀が手元の紙へ書き込んでいた。


「何を書いてるの?」

「止まった時間と、方角」

「そういうのも残すんだ」

「あとで比べる」


 玄斎が頷く。


「奉術衆は、この場所の観測を続けよ。二人の稽古は、今日は気配の違いを確かめるところまでにする」

「地下のものを調べるんですか?」

「いや。封じてあるものを使う。実際の流れを追う稽古ではないぞ」

「分かりました」

「琥珀も、観測を頼む」

「ん」


     ◇


 玄斎が用意したのは、四つの小さな水鉢だった。

 手水舎から汲んだ水が、同じ量ずつ入っている。


 奉術衆が元の水に妖気の混入がないことを確かめてから、鉢が並べられた。


「まずは、答えを見ながら違いを覚える」


 玄斎が一つ目を示す。


「これは、そのままの水じゃ。次は奉術衆の霊力。三つ目には、琥珀の霊力を残した札を使っておる」

「私の?」

「以前の検査で預かったものじゃ。使ってもよいか?」

「ん」


 最後の鉢の下には、黒い印の札が置かれていた。


「こちらは封妖札(ふうようふだ)じゃ。封を保ったまま、ごく弱い気配を鉢へ伝える」

「水に混ぜるわけではないんですね」

「うむ。確かめるのは違いじゃ。深く入り込もうとするでないぞ」


 藍子は一つ目へ意識を向けた。


 静かな水がある。

 先ほどの冷たく重い感覚はなかった。


 二つ目へ移る。

 ごく弱い温かさのようなものが、鉢の内側へ広がっていた。


「これが、奉術衆の人の霊力……」

「今感じたものを覚えておけ。霊力でも、持ち主や流し方によって違う」


 三つ目を見る。


「琥珀には、分かる?」

「少し。薄く白い」

「私には、色は見えないよ」


 けれど、細く軽いものが広がっているように感じた。

 二つ目と同じではない。


「自分のものだから、琥珀には見つけやすいんですか?」

「その可能性はある。じゃが、どこまで区別できるかは、これから確かめる」


 四つ目へ移った。


 最初は、水だけだった。

 しばらく待つと、指先へ冷たい感覚が伝わる。


 重い。

 手水舎で感じたものに似ていた。


 ただし、今度は通り過ぎない。

 鉢の底の一か所に留まっている。


「さっきのものと、似ています。でも、動かない」

「流れているものと、封じたものでは違って感じるじゃろう」


 玄斎が札を外した。

 冷たさが薄れる。


「どうして、私にも気づけたんでしょうか」

「水を通して力の流れを確かめる稽古をしてきたからじゃろう。

 九條家にも、水脈の変化に気づく者はおる」


「私も、そうなんですか?」

「血筋だけで決めることではない。

 今分かっておるのは、お主が一度気づき、術具の反応とも合ったということじゃ」


 藍子は静かな水を見た。


「冷たいかどうかで、妖気を見分けるんですか?」

「それだけでは分からん。熱や痛みに似て感じる妖気もある。

 霊力でも、流れ方が乱れることはあるからの」


「なら、違うと思ったら、まず確かめる?」

「うむ。今のように、知っておる気配と比べる。そのうえで術具や採取した記録と合わせる。

 違和感は、調べるきっかけじゃ」


 すぐに、何でも見つけられるわけではなかった。

 けれど、気づいたことを言葉にして伝えることならできる。


「次は、順番を隠してみますか?」

「やってみよう。ただし、分からぬものは分からぬと言うのじゃ」

「はい」


 藍子が目を閉じる。


 玄斎は鉢の下へ同じ形の台を置き、札が見えないようにした。

 位置を入れ替え、琥珀へも答えを伏せる。


「よいぞ」


 目を開けた。

 四つとも、外からは同じに見えた。


 左端へ意識を向ける。


 水だけのように感じる。

 けれど、何もないと言い切るほど、はっきりは分からなかった。


「これは、まだ分かりません」

「うむ。次へ」


 二つ目には、細く軽い感覚があった。


「琥珀のものに、似ています」

「私も、そう思う」


 三つ目へ移ろうとしたとき、四つの水面が小さく揺れた。


 手を止める。


「今のは……」


 鉢の中に残してあった気配とは別に、冷たさが通った。

 右側から伝わり、左側へ遠ざかる。


 顔を上げた。


「さっきのものが、また来た気がします」


 玄斎は鉢ではなく、地面へ探索符を置いた。

 淡い光の一部が黒く変わる。


「地下の流れじゃな。先ほどより反応が強い」

「東から西へ、ですか?」

「術具で確かめる」


 琥珀が時刻を書き留めた。


「私には、水が揺れたところまで」

「それでよい。感じなかったものまで、合わせる必要はないぞ」


 玄斎は封妖札を収め、ほかの札も外した。


「今日は、ここまでじゃ」

「まだ、二つしか見ていません」

「用意したものとは別の反応が来ておる。この状態では、何を感じたのか分けにくい」


 藍子は頷き、手を膝へ下ろした。


「二人は社務所へ移ろう。地下の観測は奉術衆に任せる」


 水鉢を運ぶ奉術衆に続き、立ち上がる。


 手水舎の水面は、もう静かだった。

 玄斎はそばに置いた探索符を確かめ、通信具を取り出していた。


     ◇


 社務所で待っている間、藍子は机へ並べられた水鉢を何度も見た。


「追わない」


 隣から声が届く。


「まだ何もしてないよ」

「集中しかけた」

「少し気になっただけ」

「玄爺が、任せるって」

「……うん」


 水鉢から目を離す。


 戸が開いた。

 玄斎に続いて、三人の奉術衆が入ってくる。


 一人は地図と記録板を持ち、残る二人は観測用の術具と札を抱えていた。


「待たせたな」

「地下の流れは?」

「大社の東西と、境内の外に観測点を置いた。次に通れば、方向と時刻を比べられる」


 机へ地図が広げられた。

 三つの印が書き込まれている。


「今から先を追うんですか?」

「いや。まずは、同じ筋が通るかを見る。昨夜の記録とも合わせるのじゃ」


 琥珀が一枚の紙を置いた。


「玄爺」

「なんじゃ」

「次が来るなら、もうすぐかも」


 玄斎が紙へ目を向ける。


「手水舎で、藍子が止まったのが四時二十三分。水鉢が揺れたのが、四時四十七分」

「二十四分くらいだね」


 藍子も見比べた。


「秒までは書いてない」

「間隔を見たのか?」

「ん。同じくらいなら、次は五時十一分ごろ」


 室内の時計は、五時十分に近づいていた。


「二度だけでは、偶然かもしれんぞ」

「だから、次も書く」


 玄斎が奉術衆へ顔を向ける。


「各観測点へ伝えよ。五時十一分前後の反応を確かめる。

 ただし、その時刻以外の変化も記録するのじゃ」

「承知しました」


 通信が送られる。

 机には、地下の反応を測る札が置かれた。


 藍子は水鉢へ意識を向けかけ、玄斎に止められた。


「自分から探らずに待て」

「はい」


 膝の上で手を重ねる。


 秒針の音が聞こえていた。


 五時十一分。


 何も起こらない。


「外れた?」

「まだ、分からない」


 琥珀は時計を見ている。


 十秒。

 二十秒。


 机の端の札が、かすかに震えた。


「反応があります」


 奉術衆が記録板を確かめる。

 続いて、水面へ小さな波紋が広がった。


 藍子の指先にも、冷たく重い感覚が届く。


「似ています。さっきと」


 玄斎がこちらを見る。


「感じた範囲だけでよい」

「片側から来て、通り過ぎました。東から西へ、だと思います」


 通信具から報告が入る。


『東側観測点、五時十一分三十一秒に反応。西へ移動しています』


 別の声が続いた。


『西側は五時十一分三十八秒。大社から離れる方向です』


「こちらの札は、五時十一分三十四秒です」


 奉術衆が告げた。


 三つの観測点で、東から西へ通過した順番が揃っていた。


 琥珀も時刻を書き足す。


「二十四分くらい」

「うむ。今回も近い。じゃが、周期と決めるには、まだ足りん」


 玄斎は三つの記録を並べた。


「観測を続ける。山林と旧水路の班にも、時刻を合わせて記録するよう伝えよ」

「はい」

「連盟には、流れが強まるときに怪異の反応も変わるか、照合を頼む」


 藍子は地図を見た。


「同じ間隔なら、誰かが送っているんですか?」

「自然の流れにも揺らぎはある。間隔だけで決めることはできん。

 方向、強さ、妖気の性質を合わせて調べるのじゃ」


 水鉢の反応は、もう静かになっていた。

 奉術衆は術具の記録を保存し、外の観測点へ連絡を続けている。


 隣へ目を向ける。


「最初から、時刻を書いてたんだね」

「何が必要になるか、分からなかったから」

「私、変だと思ったことしか覚えてなかった」

「藍子が気づいたから、書けた」


 琥珀は紙を玄斎へ差し出した。


 玄斎が受け取り、観測記録へ重ねる。


「二人の記録も残しておく。今日は、ここまでじゃ」

「次も二十四分くらいなら……」

「観測は奉術衆が続ける」


 藍子が口を閉じると、琥珀も地図を見た。


「藍子が感じたことも、比べた方がいい?」

「今回、術具と照合できた。次からは、その観測を続けられる」


 玄斎は二人へ顔を向けた。


「気づいたことを伝え、記録を渡した。その先は、こちらへ任せよ」

「……はい」

「ん」


 立ち上がる。

 水鉢は机へ残した。


 社務所を出ると、境内は夜の暗さに包まれていた。

 石段の先には、町の明かりが見える。


「琥珀」

「なに?」

「次の時刻、気になる?」

「気になる」

「私も」


 足を止めかけ、社務所を振り返った。


 窓の向こうで、奉術衆が新しい記録を開いている。


「……明日、聞こう」

「ん」


 二人で石段を下り始める。


 その背後では、観測用の札が次の流れを待っていた。

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