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神機巫女 -SHIKITSUNE-  作者: レイン
第二節 青龍の巫女候補

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第十八話 休む日の過ごし方

第十八話 休む日の過ごし方


 翌朝、藍子はいつもより遅く目を覚ました。


 枕元の時計を見て、身体を起こす。


「もう、こんな時間……?」


 学校も稽古も休みの日だった。

 それでも、寝過ごしたと思った瞬間、布団を跳ねのけていた。


 朝食の準備。

 洗濯。

 廊下の掃除。


 やることが次々と浮かぶ。


 部屋を出ると、台所から食器の触れ合う音がした。


「まさか……」


 足早に向かい、戸を開ける。


 食卓には、ご飯と味噌汁、焼き魚が並んでいた。

 見た限りでは、焦げてもいない。

 鍋も吹きこぼれていなかった。


 琥珀が小皿へ味噌汁を取り、顔を近づけている。


「琥珀」

「起きた」

「これ、作ってくれたの?」

「ん」

「一人で?」

「途中から、藍子のお母さんに聞いた」


 完全に一人ではなかったらしい。

 少し安心しながら、食卓へ近づく。


「昨日、本当にやるって言ってたもんね」

「藍子は休む日」

「そうだけど、朝食くらいは――」

「座る」

「はい……」


 調整池から帰った日も、同じように座らされた。

 椅子を引くと、琥珀が向かいへ座る。


「食べて」

「いただきます」


 味噌汁を一口飲んだ。


 少し薄い。

 けれど、出汁の味はきちんとする。


「どう?」

「おいしいよ」

「本当に?」

「うん。もう少しだけ味噌を足してもよかったかな」


 琥珀も口をつけ、しばらく考えた。


「薄い」

「さっき、味見してたんじゃないの?」

「熱かった」

「冷まして飲めばよかったのに」

「藍子が来た」

「それで私に任せたの?」

「感想、聞きたかった」


 焼き魚へ箸を伸ばす。

 端は少し崩れていたが、中まで火が通っていた。


「初めてなのに、ちゃんとできてるね」

「見てたから」

「私が作ってるところを?」

「ん。毎日」


 味見ばかりしているように見えていた。

 けれど、何も見ていなかったわけではないらしい。


 もう一口、味噌汁を飲む。


「ありがとう」

「まだ掃除と洗濯がある」

「それもやってくれるんだ」

「ん」

「教えることがあったら、呼んでね」

「藍子は座って教える」

「分かりました」


     ◇


 朝食のあと、琥珀は洗濯物を抱えて縁側へ出た。

 藍子は座布団に座り、その様子を見ている。


「その袖、折れたままだよ」

「こう?」

「うん。あとは、隣と少し間を空けて」


 干した服が横へ動く。

 今度は、一枚分ほどの隙間ができた。


「そこまで空けなくても大丈夫」

「難しい」

「慣れれば簡単だよ」

「藍子は、いつからやってるの?」

「いつからだろう。気づいたら手伝ってたから」


 毎日の生活の一部だった。

 休むよう言われても、目の前に仕事があると手を出したくなる。


 ずり落ちかけた服を見て、腰を浮かせた。

 琥珀が振り返る。


 座り直した。


「見張られてる気分なんだけど」

「見張ってる」

「否定しないんだ……」


 洗濯物を干し終えると、次は掃除だった。

 琥珀が箒を持ち、廊下へ向かう。


 藍子も座布団を抱えて移動した。


「来なくていい」

「ここなら、座ったまま教えられるよ」

「見に来ただけ」

「……隅から出口の方へ掃くと、同じところを何度も掃かずに済むよ」

「先に言って」

「今からでも大丈夫」


 琥珀が廊下の端へ戻る。

 その背中を見て、肩の力が少し抜けた。


 昨日までは、《徒桜》をどう動かすかばかり考えていた。

 青龍の力を受け取ること。

 自分の霊力を流しすぎないこと。

 次に怪異が現れたら、今より正しく動けるのか。


 何もしていないと、考えはそちらへ向かう。


 けれど、目の前では琥珀が箒を持ち替え、柱の隅に残った埃へ挑んでいた。

 藍子が普段していることを、一つずつ確かめながら。


 居間のテレビから、昼前のニュースが聞こえた。


『続いて、県内の河川敷で遊歩道の一部が陥没した事故についてです』


 画面へ目を向ける。


 立入禁止の柵。

 遊歩道に開いた穴。

 周辺を調べる作業員たち。


『現場付近では数日前から異音が確認されており、自治体は地下水の流れに変化が起きた可能性もあるとして――』


「また、地面の下で……」


 琥珀も箒を止めた。


「怪異?」

「分からないよ。普通の事故かもしれない」


 そう答えても、調整池の地下水路が頭をよぎる。

 携帯端末を取りに立ち上がりかけた。


「藍子」

「玄斎様に、確認だけでも」

「今じゃないと駄目?」


 動きを止める。

 画面には、柵の内側で作業する人たちが映っていた。


 陰陽連盟も、奉術衆も調査を続けている。

 自分がニュースを見る前から、動いている人がいるはずだった。


「……急いで聞かなきゃいけないわけでは、ないね」

「ん」

「でも、気にはなるよ」

「覚えておく」

「覚えておく?」

「玄爺に会ったとき、聞く」


 座布団へ戻った。


「うん。そうしよう」


 テレビでは、次のニュースが始まっている。

 琥珀も掃除へ戻った。


 しばらくして、その箒の先を見た。


「琥珀」

「なに?」

「そこ、さっき掃いたところだよね?」

「気のせい」

「昨日は私が借りたけど、今日は使わないよ」


 琥珀は黙って、まだ掃いていない方へ向きを変えた。


     ◇


 藍子と琥珀が昼食を取っていた頃、河川敷には作業服姿の者たちが集まっていた。


 陥没した遊歩道は柵で囲われている。

 表向きは、地中の空洞と周辺地盤の調査だった。


 柵の内側では、陰陽連盟の術者と奉術衆が作業を進めていた。


「地下空洞の確認が終わりました」


 穴から戻った術者が、隊長へ報告する。


「魑魅魍魎が三体。いずれも低位です。妖殻化の兆候はありません」

「周囲へ出る経路は?」

「陥没箇所以外にも、土の裂け目があります。先に塞ぎます」

「頼む。調査用に一体を封印し、残る二体は祓え」


 隊長の隣で、奉術衆の男が採取した土へ探索符を近づけた。

 札の端が淡く変色する。


「外から来た妖気が混じっておる」

「調整池と同じか?」

「照合が要る。今ここでは、流れ込んだ痕跡までしか分からん」


 別の札を地面へ置く。

 淡い光が、穴から下流側へ伸びた。


「川の上流からではないな」

「下流側か」

「うむ。ただし、川の水をそのまま遡っておるわけではない。地中に別の筋がある」


 隊長が調査用の地図へ印をつけた。


「処理が終わったら、地下と地上から分けて追おう」


 柵が広げられ、通行人が迂回路へ案内される。

 その間に、四人の術者が空洞へ降りた。


 奥で、三つの影が身を震わせる。

 獣にも虫にも見える、不定形の怪異だった。


「左右を塞げ」


 護符が投じられる。

 淡い光が土壁に沿って走り、裂け目を覆った。


 三体が一斉に飛びかかる。


 先頭の術者が一歩引き、後ろの二人が印を結んだ。

 配置した護符から光が伸び、二体を包む。


 黒い身体が崩れた。

 残った霊核にもひびが入り、やがて散っていく。


 最後の一体が土壁へ跳ねた。


 封印札が、その進路へ放たれる。


「封」


 光が怪異を包んだ。

 不定形の身体が縮み、霊核とともに札の内側へ収まる。


 術者は札の状態を確かめ、封印箱へ入れた。


「処理完了。周辺の反応を確認します」

『了解。残留妖気には触れるな。採取は奉術衆と合わせろ』


 怪異のいた場所から、細い痕跡が空洞の奥へ続いていた。

 術者が照明を向ける。


 土の裂け目は、さらに下流側へ伸びている。


     ◇


 封印箱は地上へ運ばれ、奉術衆の手へ渡された。


「四季狐大社で照合する」

「こちらは流入経路を調べる。反応が強まったら戻る」

「うむ。まずは、地上から追える範囲を合わせよう」


 作業服姿の者たちが、それぞれの持ち場へ散っていく。


 三体への対処は終わった。

 残るのは、周辺の浄化と流入経路の調査だった。


 遊歩道が崩れた原因についても、土と残留妖気の確認が続けられている。

 一般人が近づける状態になるまでは、工事のための封鎖が続く。


 神機を呼ぶ必要はなかった。


 それでも、外から妖気が流れ込んだと見られる場所が、また一つ増えていた。


     ◇


 十二月に入ったばかりの午後。


 昼食を終えても、藍子はテレビを気にしていた。

 河川敷の続報はなく、別の地域の話題が続いている。


「新しい話、出ないね」

「ん」


 琥珀が食器を重ねる。

 藍子が自分の皿へ手を伸ばすと、それも一緒に持ち上げられた。


「任せて」

「……分かった」


 台所から水音が聞こえ始める。


 しばらく座っていた。

 テレビを見ても、内容が頭へ入ってこない。


 机の脇に置いた鞄へ手を伸ばす。

 取り出したのは、稽古に使っているノートだった。


 水鉢で覚えた加減。

 青龍コアから来る力の感覚。

 腕を上げる力から、支える力へ切り替えるタイミング。


 忘れないうちに、一つだけ書いておきたい。


 開いたところで、水音が止まった。


「藍子」


 戻ってきた琥珀が、ノートを見下ろしている。


「少し書くだけだよ」

「今日は見ない」

「座ってるよ?」

「頭が休んでない」

「そこまで?」

「玄爺が、考えすぎることも控えろって」

「そんなことまで言われた覚えはないけど」

「今、追加した」

「勝手に増やさないで」


 琥珀は向かいへ座り、ノートを机の端へ寄せた。

 代わりに、自分の鞄から紙を取り出す。


 時刻と短い言葉が並んでいた。

 調整池での観測記録だった。


「それは?」

「昨日の稽古で使った記録」

「それも勉強じゃない?」

「藍子は休む」

「琥珀は?」

「私は、見てただけ」

「昨日はずっと見てたでしょう」


 答えず、紙へ目を落とす。

 余白へ短い言葉を書き加えた。


「何を書いたの?」

「次に、先に言うこと」


 指したのは、怪異の腕が《徒桜》の脚へ巻きついた場面だった。


「曲がったの、見えた。でも、藍子が避けたと思ってから言った」

「声を聞いて下を見たけど、もう巻きついてたね」

「見えたときに、言う」


 琥珀が線を引く。


「全部を確かめてからだと、遅いこともある」

「まだ分からなくても?」

「曲がってるって、分かった分だけ」

「そっか。私も、その声で見られるもんね」


 紙には、柄へ霊力を流しすぎていた場面にも印がついていた。


 琥珀も、あの戦いを忘れてはいなかった。

 何を見落とし、何を伝えられたのか。

 自分とは違うところを確かめていた。


 湯呑みが、二人の間へ置かれた。


「二人とも、休むのが下手ね」


 母が苦笑し、もう一つ置く。


「お母さん」

「藍子はノートを開いて、琥珀ちゃんは記録を整理している。

 玄斎様からは、今日は二人とも稽古を休むと聞いたわよ」


「私は身体を動かしてない」

「それなら藍子も同じことを言えるわね」


 琥珀が黙った。


 母は紙とノートを重ね、机の端へ移す。


「忘れそうなら、一言だけ書いておけばいいわ。でも、その続きを始めたら休みにならないでしょう?」

「……はい」

「琥珀ちゃんもね」

「ん」


 小皿が置かれた。

 一つずつ、プリンが載っている。


 琥珀の視線がすぐに落ちた。


「これを食べている間は、二人とも休めるかしら」

「休む」

「切り替えが早いね……」


 携帯端末が震えた。


 表示された名前を見て、姿勢を正す。


「玄斎様からだ」


 短い連絡だった。


 河川敷で確認された怪異への対処は完了したこと。

 今日は予定どおり休養を続けること。

 詳しい内容は、明日の稽古前に説明すること。


「怪異はいたんだ……でも、対処は終わったって」

「ん」

「詳しい話は明日だって」


 画面をもう一度読む。

 今すぐ来るようにとは、書かれていなかった。


 琥珀が匙を取る。


「今日は休む」

「……うん」

「プリンも溶ける」

「プリンは溶けないよ」

「温くなる」

「それはそうだけど」


 端末を伏せた。

 藍子も匙を取る。


 口へ入れると、甘さと冷たさが広がった。


 異変について聞くのは、明日でいい。

 今は、目の前のプリンを食べる。


 隣では琥珀が、すでに二口目をすくっていた。


     ◇


 翌日の放課後。


 四季狐大社を訪れると、玄斎は社務所の一室で待っていた。

 机には周辺の地図と、小さな封印箱が置かれている。


「玄斎様。その箱は?」

「昨日の河川敷で封印した魑魅魍魎じゃ」


 向かいへ座る。

 玄斎が蓋を開けると、中には黒く変色した札が収められていた。


「陥没は、怪異が起こしたんですか?」

「調べた限りでは、流れ込んだ妖気によって地盤が脆くなったと見られておる。

 その空洞に、三体が集まっておった」

「三体とも、この中に?」

「いや。二体は祓い、調査する一体を封じた」

「祓うのと、封印するのは違うんですね」

「うむ。祓うのは、術で妖気を散らし、霊核も形を保てぬ状態にする。

 封印は霊核を残し、活動を止めるものじゃ」


 箱の内側へ指を向ける。


「こうして調べる必要があるときや、その場で祓うには危険があるときに使う」

「神機で霊核を壊すのは?」

「討滅(とうめつ)と呼ぶことが多い。妖殻を破り、その奥の霊核を壊すのじゃ」


 調整池で崩れた巨体を思い出す。

 外殻の下から、小さな怪異が次々と分かれていた。


「あの融合体は、霊核を壊したわけではなかったんですよね」

「そうじゃ。地下の供給を断ち、相手が蓄えた妖気を放出したことで、妖殻と融合を維持できなくなった」

「その間を、《朧》や術者の人たちと守ったんですね」

「うむ。分かれた個体は現場の術者たちが対処した。調査用に封じて回収したものもある」


 自分が倒したから、終わったのではなかった。

 地下で供給を止めた人がいて、地上で防護を重ねた人がいた。


 玄斎が地図を広げる。

 昨日の河川敷にも、印が増えていた。


「今回も、外から妖気が流れ込んだ痕跡がある。調整池のものとの照合を続けておる」

「古い水脈のときみたいに、今回も水と逆向きだったんですか?」

「川の下流側から、地中を通って入り込んでおった。じゃが、経路まで同じとは限らん」


 琥珀が身を寄せる。


「どこから来た?」

「まだ分からん。地中で枝分かれし、古い水路へ入っておるところもある。

 地上の調査と合わせて追っておる」

「誰かが送ってる?」

「その可能性もある。強い怪異の影響かもしれん。今は、見つかった流れを確かめる段階じゃ」


 藍子は河川敷の印を見た。


「昨日は、神機を出さずに収められたんですね」

「うむ。通常の術者部隊で対処できた」

「私たちが休んでいる間に……」

「現場の者たちが、自分の役目を果たしたのじゃ」


 玄斎がこちらを見る。


「報道を気にしておると思うて、結果を知らせた。じゃが、お主らを呼ぶ必要はなかった」

「全部、確かめに行かなくてもいいんですね」

「うむ。今後の判断に必要な情報は伝える。今日のように聞きたいことがあれば、尋ねればよい」


 肩の力を抜いた。


「河川敷に残った妖気は、大丈夫なんですか?」

「浄化を進めておる。一般人が近づける状態になるまで、工事のための封鎖を続ける」

「分かりました」


 琥珀が箱へ目を向けた。


「この怪異、話せる?」

「言葉を理解するほどの知性はない」

「なら、妖気と反応を見る?」

「そうじゃ。外から来たものを分けて調べる」

「ん」


 玄斎は蓋を閉じ、箱を脇へ置いた。


「さて。藍子、昨日は休めたか?」

「はい。琥珀にもお母さんにも、止められましたから」

「途中でノートを開いた」

「すぐ閉じたでしょ」

「私が止めた」

「琥珀だって記録を見てたよ」

「母君から、その話も聞いておる」


 二人とも口を閉じた。


 玄斎が小さく笑う。


「今日は、まず状態を確かめる。問題がなければ、軽い稽古へ戻すとしよう」

「はい」

「ん」


 部屋を出る前に、地図を振り返った。


 昨日の事件は、自分が動かなくても収められた。

 それでも、外から妖気が届く場所は増えている。


 印がどこへつながるのかは、まだ分からない。


 玄斎が端末へ記録を送っていた。

 その先を調べる仕事も、続いていた。


     ◇


 境内の稽古場には、観測用の紙札が用意されていた。


 座布団へ腰を下ろす。


「薄く霊力を流せ。強く光らせようとするでないぞ」

「はい」


 両手をかざし、呼吸を整える。

 指先へ届いた力を、少しずつ札へ通した。


 青い光が端まで広がる。


「そのまま」


 流れを保った。

 身体が重くなる感覚はない。


 玄斎は札と、藍子の様子を交互に確かめた。


「もうよい」


 量を減らし、静かに収める。


「十分に戻っておる。昨日までの記録と比べても、無理なく保てておるな」

「身体も、今日は軽いです」

「ならば、その余裕を残したまま終えることを覚えよ。すぐ元の量へ戻す必要はない」


 立ち上がりかけたところで止まる。


「今日は薙刀は?」

「使わん。身体へ薄くまとわせる確認までじゃ」

「分かりました」


 玄斎が、今度は木札の入った箱を開けた。


 赤が三枚。

 白が二枚。

 青が一枚。


 床へ、升目(ますめ)を描いた布を広げる。

 中央には、小さな木の駒が置かれた。


「赤は怪異、白は味方、青は避難させる者じゃ。この駒を藍子の位置とする」


 駒の隣の升目を指し、そこへ動かして見せる。


「移動するときは、隣の升目を指せ。警戒するときは、見る方向を指すのじゃ」

「方角は、地図と同じですか?」

「うむ。布の奥を前として揃える。駒が向きを変えても、右と左は変えぬ」


 駒を中央へ戻した。


 琥珀が布を見渡す。


「私は、先に必要なことを伝える」

「そうじゃ。前の稽古では、一つの流れを見た。今日は複数の相手が動く。

 短く言うだけでなく、先に知らせる危険を選んでもらう」


 左後方の角へ、青い札が置かれた。

 その二升上に赤い札がある。


 正面の離れた場所には、残る赤い札が二枚。

 白い札が、その進路を押さえていた。


「藍子は目を閉じよ」


 目を閉じる。

 木札が床を滑る音がした。


「始めよ」

「正面に二体。味方が二人。左に一体。左後ろに――」

「そこまで」


 玄斎が止めた。


「正面の二体は、味方が押さえておる。先に伝えるべきものは?」

「左の一体」

「なぜじゃ」

「守る人に近い。間に味方がいない」


 少し間があった。


「左後ろへ一升下がって。避難する人が、その後ろにいる」


 指で左後方の升目を示す。

 玄斎が駒を動かした。


「そこから左前を見て。怪異が一升先」


 今度は、その方向を指す。


「ここを通さない?」

「ん。正面の二体は、味方が押さえてる」


 玄斎が赤い札を動かし、藍子の駒の前で止めた。


「今ので、避難者との間へ入れた。最初の報告でも情報は短かったが、急ぐ相手が後になっておったな」

「近い方を、先に見る」

「距離だけではないぞ。味方が止めておるか、間に遮るものがあるかも見るのじゃ」


 目を開ける。

 自分の駒の後ろに、青い札があった。


 琥珀の声だけで、そこまで来ていた。


「さっきより分かったよ。最初は正面へ行くのかと思った」

「正面から言ったから」

「うん。先に動く場所を教えてもらえると、迷わなかった」


 玄斎が札を戻し、配置を変えた。


 今度は青い札が、藍子の駒の一升後ろにある。

 左の怪異は二升先。

 正面では味方が一体を押さえ、右の一体は遠くに置かれた。


 再び目を閉じる。


「左から一体。二升先。後ろの人へ向かってる」


 琥珀の声が届いた。


「私は、ここで止める?」

「ん。左を見て」


 左を指す。


「前は味方が止めてる。右は、まだ遠い」


 木札が動く。

 続いて、短い報告が来た。


「左、一升先」


 指の向きを保った。

 今は、別の相手を追わなくていい。


「避難する人、右後ろへ動いた」


 背後の位置が変わる。

 藍子は一度考えた。


「私は、まだここで左を押さえる?」

「ん。右へ抜けるまで」

「分かった」


 玄斎が動かしていた札を止めた。


「そこまでじゃ」


 目を開ける。

 青い札は、駒から離れた右後方へ移っていた。

 左の赤い札は、藍子の位置で止まっている。


「今度は、先に知りたいことが分かった」

「途中で、聞いた」

「うん。守る人が動いたから、自分も動くのか迷った」

「分からぬまま動かなかったのはよい」


 玄斎が二人を見る。


「報告しただけで、伝わったと思い込むでないぞ。藍子も、判断できぬところは今のように確かめよ」


 琥珀が頷いた。


「もう一回」

「まだやるの?」

「今の順番、もう一回確かめる」

「お主も休みを挟め」


 伸びかけた琥珀の手が止まった。


 玄斎が札を箱へ戻す。


「今日は二回で終わりじゃ。続きは、次の稽古でよい」

「……ん」


 藍子はその顔を見た。


「琥珀も、休むの難しいね」

「藍子ほどじゃない」

「それは、まだ分からないよ」


 琥珀は答えず、升目の布を畳み始めた。

 藍子も端を持つ。


 動けるときに、どこまで動くか。

 分からないときに、何を聞くか。

 まだ続けられると思っても、今日は終えること。


 二人で畳んだ布を、玄斎へ渡した。


「次もお願いね」

「ん」


 今度は、二人とも道具へ手を伸ばさなかった。

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